今日はお休みだったので、早朝五時からの
「畑仕事」
途中、山に水汲みに行った以外は夕方まで。ほとんどの時間を畑で過ごしておりました。
まとまった時間が取れ、集中して農作業に没頭できるのは最大の気分転換。
休みが少ないので、時間を有効に活用しなければ!
そんな感じで、秋冬野菜用の畝(うね)立て作業に従事しておりました。
人参のタネ播きができたのは最大の収穫。今年はいつもより数倍高い、高畝で人参を育ててやろう。
そう思って、いつもより数段気合の入った作業に熱中しておりました。
※人参を播種しました☆彡分かりにくくてスイマセン。自己満足の写真です。
夏の強烈な差しで一段と日焼けが進み、我が家の茶トラ猫のフクよりも茶色に変色。
アブが怖くて脅えながらの作業だったのですが、アブはキレイな水にしか卵を産まない。
怖いけど、アブがいることの意味は水がキレイな証でもあるから、ガマンしなくては。
やっぱり自分は冬よりも
「夏が好きだな~」
そう思いながら充実した1日を過ごすことができました。
作業をしていると、突然大きな車が畑の前に止まりました。何だ?と目をやると、そこから近所の小学生が次々に降りてくる。
普段はそんなことないのにと思いを巡らせてみると、
「熱中症アラート」
どうやら暑さで下校中に熱中症にならないようにと、小学校の先生が生徒一人一人を送っている模様・・・。
何というか、思わず言葉に詰まってしまった次第です。
子供は太陽の下で元気に過ごすはずの生きもの。解糖系エネルギーに満ち満ちているのが子供の本分で、暑さ寒さもお構いなしであるはずのもの。
※参考:『子供と大人、男と女の違いに迫ってみる!女性はもっと厳しくあれ⁉』
キケンを最大限に回避させよう。アレも危険、コレもキケンと、先回りして余計なお世話ばかりを焼いているようにしか、私の眼には
「映らない・・・」
生きものに対する眼差しがあまりにズレているように思えてしまった次第です。
■医学の根源
「人はか弱くて脆い生きもの」
現代医療、及び現代栄養学は私たちの心と体をこのように定義づけています。
か弱くて脆いものだから、ケガや病気を自分で治す。そんなことできるはずもない。
アタマが良くて、善意に満ち満ちている。そんな優しいお医者サマが治してあげなくてはどうにもならない。
そして化学の粋を極めに極めた製薬会社が作る、「おクスリ」。
その偉大なる薬効で、悪い病気を叩き潰してあげなくてはならない。
医学も薬学も本当に偉大なものだけど、人間ばかりはどうにも出来が良くない。言うなれば、出来損ない・・・。
医学のこのような思想は一般に、
「肉体故障説」
または人体故障説、こんな風に呼ばれているのです。
でも、現代医療は決して認めようとはしませんが、私たちの体には本来、治癒のための素晴らしい機能が備わっていることも事実なのです。
ケガをすれば血が流れますが、体はそれをそのまま放置するはずがない。
ケガをした箇所に向けて、まずは真っ先に血小板が駆けつけます。血小板が患部に体当たりして、それが折り重なることで血が止まる。
それがカサブタとなって、傷を修復するようにできているのです。
下痢にしても、悪いものが入った際の解毒のための措置。皮膚の炎症にしても必要であるがゆえの
「排出作用」
こうした面があることも、併せて知っておかねばなりません。
解熱剤や下痢止め、消炎鎮痛剤などを使うことは、体が治ろうとする力を強制的に停止させてしまうことでもあるのです。
異常事態に対して、防御機能は本来的に備っている。そうであるならば、問題はその力を高めていく選択をするのか?
それとも自らの手で低めてしまう選択をするのか?そのどちらを選ぶのか?
ココに行き着くのではないかと思うのです。
■依存心こそ!
農業で考えてみましょう。
農薬を40回も50回も使わなければ、出荷できない野菜もあれば、農薬など一切使わなくても虫や病気にやられない野菜もある。
この極端なまでの差はどこにあるのか?それは
「姿勢の差」
に尽きる、そう思うわけなのです。
一方は、虫や病気がでたら農薬を使えば良いと決め込む姿勢。
もう一方は、虫や病気が出ないような環境づくりを行う姿勢。
この2つの姿勢に大別されるというわけです。
農薬を使い続ける姿勢ならば、それ以上の発展を望むことは難しいのかもしれません。
でも虫や病気が出ないような環境づくりを心がけるならば、さまざまな面を考慮しなくてはならなくなるのです。
どのような条件を排除すれば、虫や病気にやられることなく作物は元気に育つのか?
どのような条件を整えれば作物は本来の力を最大限に発揮できるのか?
そもそも虫や病気は仕方がないものとして諦めるのか?
それとも、それは一定の条件が整った段階で起こりくる現象なのか?
肥料も農薬も一切使わない自然栽培は、その探求の果てに体系化されたものといえるのです。
・医療機関にかかり続ける人。クスリを飲み続けなければならない人。
・医者にもクスリにも頼らなくても、元気で逞しく生きる人。
その違いは生活環境を含めて、心のあり方を含めて、日々、どのような姿勢で
"暮らしていくか?"
持っている本来の力を高めていくのか?それとも自ら低めてしまうのか?
その選択にあるというわけです。
私たちの体は思っているほど脆くない。弱いものではなく、どんな状況も
「粘り強く」
元に戻すための機能が備わっているのです。
もちろん日々化学物質を満点にとり、運動もせずに不規則な生活、そして心も汚している。
それは当然の帰結として、故障していくものなのでしょう。
そして医療機関に頼らざるを得ないことも、止むを得ないことといえるのでしょう。
それでも体は元の自然な状態に戻そうと努力を惜しまないものなのです。
最後に著書の引用を用いて終わりにしたいと思います。
「医者への依存心そのものが自分で治す力を低下させるからです。繰り返しになりますが、医者がみなさんの病気を治すわけではありません。
本来病気は自分で治すものなのです。医者はただただ治癒へのきっかけを作るだけなのです。したがってあまりに依存心が強くなってしまいますと、自分で治そうという最も大事な、治癒への原動力がなくなってしまいます。
依存が自立を凌駕すると、とたんに病気は治りにくくなってしまいます。」
(『9割の病気は自分で治せる』中経文庫 岡本 裕 著)
■参考文献