日本人は熱しやすく、
「冷めやすい」
それでいて、スグに
"忘れてしまう"
こうした国民性であることがいわれています。
「人のウワサも75日」、そんな風にいわれたりもするのですが、とかく私たちはほとぼりが冷めると、何でもかんでも忘却の彼方に葬ってしまいやすい。
こうしたことがいわれているのです。
木の文化、石の文化。以前、そうした研究を読んだことがあるのですが、ヨーロッパは石の文化で日本は木の文化。
戦争で石の建造物が壊れると後片づけが本当に大変。重たい石をどかすことから始めなくてはならないからです。
苦労が多いからこそ、苦難をいつまでも忘れない。
でも木の文化の方は火がつけば全部燃えてしまうわけだし、仮に燃えなくても石ほど片づけに苦労することがない。
故に、過去の苦難をいともカンタンに忘れてしまいやすい。こうした違いがあることがいわれているのです。
なるほどな~と思ったものですが、でもそれだけが理由とは限らない。
それは日本列島の地理的条件。ココにも忘れやすさの要因が潜んでいるのではないかと思うのです。
■ダメな人とは?
日本列島は南北タテ長。気候は温暖湿潤を基本に、北は亜寒帯。南は亜熱帯。
真逆とでもいうべき気候条件を1つの国土の中に含んでいる。
日本列島が"世界の縮図"といわれる由縁は、多様な気候風土にあることが解説されるのです。
古来より食用植物資源に恵まれてきたため、食べものは豊富。旧石器時代から人口密度は世界一。
それだけ多くの人の口を養える。豊かな食料資源に恵まれてきたことが言われているのです。
でもその反面、世界有数の火山大国で地震をはじめとした自然災害に見舞われ続けてきた経緯があります。
また、日本の河川は世界の大河と明らかに異なる特徴がある。それは流域面積が小さく、延長距離は短く、流れの速い河川が多いこと。
明治期に日本を訪れたオランダ人の治水技術者のデ・レーケは、北陸の常願寺川を見て、
「これは川ではない、滝だ」
こうした感想を漏らしたことが伝わっているのです。
鉄砲水や洪水などの被害は、日本列島にとっては宿痾とでもいうべきものになるのでしょう。
水を治める君主は名君。治水工事では武田信玄や徳川家康、伊達政宗などが有名ですが、いずれも戦国期有数の名君中の名君。
一たび洪水に見舞われてしまえば、家も作物も、何もかもが流されてしまう。
「自然災害大国」
こうした中で、私たちの祖先は生き続けて来たというわけです。
多発する自然災害を前に、祖先たちはそのたびごとにいちいちクヨクヨ嘆き悲しんでいるワケには参らない。
自然の脅威に怯えながらも、それはそれである。こうした具合に場面場面をきちんと切り分け、過去の出来事にあまり執着も頓着もしないように。
"仕方がない"
"不可抗力だよね"
"しょうがないよ、これは"
こんな感じで災害に遭うごとに、その都度、荒廃の中から立ち上がり、復興を繰り返してきたのが経緯というわけです。
ロダンの有名な彫刻に「考える人」なんて作品がありますが、あんな風にいつまでも座り込んだまま、ひたすら考え続けている。
このような人は、日本においてはダメなヒトであると判断されてしまう。
過去のことはキレイに水に流して、心機一転。ココロ新たに生産活動に励んでいく。勤勉かつマジメ、それでいて忘れっぽい国民性。
「日本は災害、欧米は人災」
このように説明されたりもするのです。
■懲罰と共同体
以前、「村八分」について書かせて頂きました。
※参考:
村八分の対となる言葉は、「村十分」。十分とは、
「出産・成人・結婚・葬式・法事・病気・火事・水害・旅立ち・普請」
この十個の事がらを以って十分とする。つまり村八分とは、十分の内の2つを除き、その他については協力しないことを意味するものなのです。
その2つが何かといえば、
"火事と葬式"
たとえ絶縁になったとしても、その家族の中の誰かが死んだ際には村中の人々が手助けをして葬儀を執り行う。
火事に遭った際も皆が手を貸し、心を合わせて鎮火作業に従事する。
つまるところ、結婚や出産などのオメデタごとには手を貸さないが、つらく悲惨な出来事に対しては情けをかける。
こうした緩い懲罰は、世界に類例を見ないものだと解説されるのです。
でもこの話には続きがあって、ひとたび村八分に遭ったからといって、いつまでもその刑に服したままというわけではない。
それはあくまで一定期間の「有期刑」。
一定期間を過ぎるとしかるべき人を仲介にして、改心の意志を村人に対し表明し、刑を解いてもらうようにとお願いする。
その際は罰金を払ったり、村に土地を提供したり、さらには道路工事や山の手入れなどの労役奉仕を行ったり。
また謝り酒、ことわり酒といった具合に、共同体のすべての戸主に酒を振る舞うなどの
"詫び入れ"
を行うことで、村八分を解いてもらう。
いくら慈悲深い懲罰であるとはいえ、災害が多く、稲作を中心とした水田農業においては周囲の人々の協力なくしては成り立つものではない。
村八分を解いてもらわない限り、その一家はジリ貧となっていき、やがて没落を覚悟せざるを得なくなる。
「禊(みそぎ)を終えた」
「罪を憎んで人を憎まず」
こうした言葉がありますが、過去は過去のこととしてキレイさっぱり洗い流す。
一連の儀式を行うことで、元の鞘に戻ることを許そうとする。
これとは逆に改心がみられないと判断された場合は、さらに上の懲罰ある「所払い」の刑に処されてしまう。
所払いは村からの完全な追放であって、いわば夜逃げも同然。
それだけは避けなくてはならないので、村人に対して懸命に詫び入れを行う。
このようにして、村落共同体を維持していたことが説明されるのです。
■性善説と日本人
思えば、日本の神話における悪しき者の祖先は、須佐之男命(スサノオノミコト)になるのでしょう。
須佐之男は手のつけられない乱暴者として描かれ、お姉さんである天照大御神の水田の畔を切ってしまったり、その溝を埋めてしまったり。
さらには新嘗祭が行われる神殿に大便をしたり、天照大御神の機織部屋の屋根に穴をあけ、そこから皮を剥いだ馬を放り投げてしまったり。
手に負えないほどの荒ぶる神として、須佐之男命は描かれているのです。
さすがの優しい天照大御神も怒ってしまい、天の岩戸に隠れてしまった。太陽神がお隠れになったことで、青山は枯山と化し、海も川も干上がってしまう。
こうした事態に陥ってしまいました。
八百万の神々たちは困り果てててしまい、須佐之男命に罪を贖わせることを決め、たくさんの食べものを供出させたり、ヒゲを剃り、手足の爪を抜き追放してしまう。
一定期間の有期刑に処することで、須佐之男命に憑りつく悪霊を祓い清めさせる。
こうした様子が描かれているのです。
改心した須佐之男命はその後に、八首八尾を持つモンスターのヤマタノオロチを退治して農民の窮状を救うといったヒーロー。
そんな姿に大変身を遂げていく。
乱暴者に一定期間の「禊」を行わせることで、悪しき霊が祓われ正しき者へと変貌していく。
神話の例から推察できるように、日本人の思いの根底には
「性善説」
があるのではないかと國學院大學名誉教授の故・樋口清之氏は解説しています。
すべての人は善であり、正しき者である。悪しき行為に手を染めてしまうのは、すべからく正しき者に憑りつく悪霊たちの仕業である。
だから禊を行ったり、悪霊を祓い清めることで、平常の生活に戻ることができるようになる。
神話にも描かれた、こうした考え方は
"日本独自のものである"
そう樋口氏は説明するのです。
日本人はスグに忘れてしまうからダメなんだ。欧米諸国に比べて、何もかもが見劣りする。
少年法も、今の刑法もあまりに懲罰が甘すぎる。どこまでも自己責任で行くべきだ!
こうした嘆きにも、怒りにも似た声が数多く聞かれるご時世ですが、この地に生きた私たちの祖先たち。
彼らが罪や悪とどのように向き合ってきたのか?
温故知新ではないのですが、それらを探り当てることも必要で大切な作業ではないかと思うのです。
個人の能力、個人の責任。でも、その能力も責任も日本の村落共同体をベースに築いてきたものではなかったか。
そして日本型共同体、日本型経営、これらを根こそぎ破壊してきたのが、欧米流の新自由主義。
バブル崩壊以降の流れだったのではないでしょうか?
アジア・ユーラシアの時代の到来を前に、この地で生きてきた人々の知恵と実践にいま一度光を当てたい。
そんなことを思う今日この頃です。
■参考文献