人生の『質』を高めるには?最大効果の心身健康法を総復習してみる! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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重度の認知症を患う、義母の便秘が

「ヒドイ」

以前から、1泊2日のショートステイに出すと決まって便秘になって帰ってくる。

実の娘である私の妻曰く、外に行くと体裁を繕ってしまう性格であるとのこと。

よって便意を催しても、一生懸命ガマンをしてしまう。重度の認知症に陥っても、それは以前と変わらない。

ガマンを続けることにより自律神経に乱れが生じやすくなり、累積かつ慢性の便秘状態に陥ってしまっているのです。

我が家においては、当然便意を催すため夜な夜なトイレに赴くことになる。そのたびごとに妻が付き添うことになる。

今は概ね、1時間に1回のトイレ訪問。大体において、ガスが出るだけでそのまま虚しく寝床に帰ることを繰り返している。

喘息持ちの義母は、トイレで便を出そうと踏ん張れば踏ん張るほどに、咳き込みやすくなってしまうのです。

咳き込むのがイヤだから、頑張って最後まで便を出す努力を中途で放棄してしまうのが常。

義母も妻も、睡眠不足が甚だしい。こうした状態がしばらく続いているのが現状です。

私も可能な限り、妻の代わりをするのですが、でもそれはあくまで可能な限り

 

私も昼夜勤という25時間勤務に就いているため、到底ムリなど続くものではない。

私の収入で一家の家計を賄わざるを得ないため、私が倒れてしまえば一家は揃って路頭に迷ってしまうことになる。

「介護地獄」

そんな言葉がありますが、我が家もそれに似た状況であるのが偽らざる現状です。

先日は、物音がするので妻が義母の部屋に赴くと、パジャマもオムツも全部下ろして義母はベッドの上に座っていたとのこと。

小の方を床にぶちまけてしまっていたそうなのです。

真夜中の床清掃とシーツをはじめとした寝具の交換作業。やり場のない妻の怒りが、義母に向かって炸裂。

そんなシーンを目の当たりにしてしまいました。

メス猫で甘えん坊のフクは自分に愛が向かなくなっていることへの不満で、頻りにニャンニャン鳴き続ける。

かくなる上は、やっぱり義母を然るべき施設に預けるべきではなかろうか。このままでは妻も私も疲労困憊に陥りかねない。

義母から最も縁遠い私などはそんなことを思ってしまうのですが、実の娘である妻は頑としてそれを受け付けない。

施設に入れば、その先に待ち受けているのは「身体拘束」

 

手足、そして胴体をベッドに縛りつけられて身動きが取れない状態にされてしまう。

その状態のままにしておけば、時間の経過で足は弱り、自力歩行は次第に不可能になっていきます。

 

こうして施設側が制御しやすい、そんな入居者の状態を作り出すことができてしまう。

たとえ施設でそれをしなくても、なんだかんだと理由をつけ、提携先の病院へと送られる段取りが整えられていく。

拘束と薬剤の幻覚作用とで入院期間中に歩けなくさせてしまい、施設に戻る頃にはすっかり寝たきりが完成!

妻はこのループを熟知しているものだから、実の母親をどうしても施設に預けたくない。

 

自分が頑張れる間は、どうしたって手離したくはない。手離せば、その先に待っているのは高齢者介護という名の

"虐待行為"

私の側も約2年にわたり、大腸ガンを患った実の母親を自宅で介護し、最期まで看取った過去があります。

そうであるが故に、妻の気持ちは痛いほどよく分かる。

妻と義母とは決して仲の良い親子ではなかったそうですが、そうであっても親の死は子にとってはやはり受け入れ難いもの。

 

それは母親への虐待だって同じこと。子としての本能ではないかと思うのです。

51年目の原爆の日にヒロシマを訪れた私は、頻りに嘆く被爆者の方々の声を聞きました。

「50年目はあんなに賑やかだったのに、51年目のこの静かさは何なのだろう。100年目を迎えるまで無関心が続くのか・・・」

被爆者の方々は口々にこう話されていました。そして、

「本当の意味で、心から死者を弔うことができるのは肉親だけなのよ」

当時20歳そこそこだった私に、ある被爆者の方はこう切々と問いかけてきたのです。

正直、私にとっての義母の介護はかなりのストレス源になっています。

会話は成立しないわけだし、私が誰であるかはもちろん、実の娘さえも一切分からなくなってしまっている。

義母が起きている間はずっと童謡が鳴り響いているし、どっこいしょ、ヨッコラショ。口にモノが入っていない間は、いつも小声でそう繰り返し続けている。

夜勤から疲れて帰ってきた際などは、本当に辟易としてしまうのが正直なところです。

医療介護の分野が虐待をやめ、大切な自分の肉親を安心して任せられるようになる。

 

そんなプロとしての当たり前の姿に生まれ変わる。

このことを切に願うばかりなのですが、それは現時点においてあまりの高望みといわねばならないのでしょう。

医療・介護の側に自浄作用があるとは到底思えないし、国民である私たちの方だって、お医者サマ~!おクスリ~!と無暗ヤタラに崇め奉り続けている。

テレビをつければ、大谷!大谷!、本当にイヤになってしまいます。

ともあれ、私も母親の介護で妻に迷惑をかけたわけだから、ココは自分も忍ばなくてはなりません。

 

一体、あとどのくらい続くのか?先は全く見えないままなのですが・・・。

妻はこの問題の妥協策として、義母に「下剤」を飲ませることに決めました。

 

我が家ではついぞ見ることがないクスリであって、もちろん妻も飲ませたくないことは山々なのでしょう。



これまで頑張り続けてはきたものの、かくなる上は仕方がない。

 

功を奏するかどうかは分かりませんが、妻の負担が少しでも軽くなることを願って止みません。

とにかく肉親が認知症になってしまったら、身内は厳しい現実をつきつけられることになります。

どのように日々を過ごしていけば、与えられた人生の時間を心身ともに健康で、充実させることができるのか?

改めて、この点について考えてみたいと思うのです。

 



■人生の質
喜びや悲しみ。私たちの感情面を司っているのは、脳の中の

「前頭葉」

といわれる部分。

感情をコントロールする大切な部位なのですが、前向きな意欲や創造性を掻き立てる。

 

いわば人生の"質"を左右する大切な部位が前頭葉。こんな風に説明されているのです。

加齢による脳の萎縮は自然現象なのですが、それは「せーの!」で一斉に訪れるようなものではない。

 

脳の部位によって、早い・遅いの差が出てしまうもの。中でも、前頭葉はとりわけ老化スピードが

"早い!"

ことが言われています。早い人なら前頭葉の萎縮が40才前から始まることが分かっているそうです。

 

これが始まってしまうと、何に対しても意欲が起こりにくくなっていく。そしてちょっとしたことでも、怒りやすくなる。

 

怒るだけならまだしも、いつまで経っても怒りが収まらない。マイナス感情の迅速な解消が

「困難」

になると解説されるのです。

思考や発想から柔軟性が失われていき、次第に“カタブツ人間”へとなり果てていく。

周囲から人が1人去り、2人去りといった具合に、孤独の度合いが極まっていく・・・。

老化は自然現象ではあるものの、前頭葉の老化については特に注意が必要になる。

なぜなら日々の心がけ次第で、その老化に待った!をかけることができものだから。

 

こうしたことがいわれているのです。

■その戒めとは?
何度かお伝えしているため、すでにご承知の方には大変恐縮なのですが・・・。 

能の大家の世阿弥の言葉に

「初心忘るべからず」

があります。入社式などでお決まりの常套句になっていますが、実に誤った解釈で使われ続けている。

このことが指摘されるのです。

取り組みを開始した、最初の気持ちをいつまでも

"忘れないように!"

このように使われるケースが多いのですが、世阿弥はそんなことを戒めたのではない。

初心というものは、必ず忘れ去られてしまうもの。

 

どんなに努力をしても、どれだけ記憶を鮮明に蘇らせようにも、最初の気持ちに戻ることなど、とても不可能。

これが世阿弥の主張です。

いくら忘れまい!と心に強く念じてみたところで、忘却の彼方に追いやられてしまうことを世阿弥は指摘しているのです。

最初は未体験・初体験、ドキドキワクワクが止まらなかったものであっても、いつしかすっかり
慣れっこになっていく。

 

この状態でいくら初心に帰ろうとしても、もはや帰ることはできない。

だからこそ慣れっこで、ありふれた毎日に安住する姿勢を戒めよ!守りではなく、常に新たな境地と高みを目指して、

「挑戦!」

をし続けなくてはならない。芸事に完成などはないのだから、現在の境地に安住するのではなく、未知の世界に迷わず飛び込め!

人生で初心をいくつ作ることができるか?これこそが芸事を極める最大のポイントになる。

世阿弥はこのように教え諭しているのです。

"もう齢なんだし"
"この程度でいいや"

"ラク隠居させてもらおうか"

こんな態度を世阿弥は厳しく戒めた。初心に帰るためには、いつでもどこでも新しい挑戦が必要になる。

それこそが初心忘るべからずに込めた意味である。このように解説されているのです。

 


■最大効果の健康法
「こころと体のクリニック」院長の和田秀樹氏は、老化を自覚した時点で、それに

"抗う決意"

が必要になると指摘しています。それこそが前頭葉の老化に歯止めをかけるカギになるというのです。

「ドキドキすること、想定外の場面に遭遇するこ。つまり新しいことにチャレンジして脳の前頭前野に刺激を送ることが、感情老化を抑えるのに有効」

と述べているのです。

アメリカのブリガムヤング大学の研究で、30万人の中高年を対象に7年半をかけた追跡調査が行われました。

そこで分かったことは、友人との「良好な関係」を保ち続ける人は、そうでない人に比べて、死亡率が

"50%"

も低下する。このような研究結果を公表したのです。

これはその他の健康に良いといわれる長寿法や運動法などの中でも、最も効果の高い健康法だったと報告されています。

身近な人との関係を良好に保つことは心身の健康に計り知れない恩恵をもたらしてくれる。

これは老若男女を問わず、共通した原則となるもので、良好な人間関係は人生の質を高めるのと同時に、寿命を

「天寿」

に近づけるための最高の妙薬になる。それくらいインパクトがあるものといえるのです。

脳の前頭葉を老化させるばかりとなれば、親しき人々は遠ざかってしまいます。

それは健康長寿の魔法の杖を失うことにもなるので、初心忘るべからずの精神で、未知なる分野にチャレンジしていく。

いくつになっても、ワクワク・ドキドキ。そしてトキメキ☆彡をいつまでも忘れない。
 
それは医者いらず・クスリいらずの人生にも不可欠な姿勢といえるのです。 

読者の皆さん!、今後ともぜひ、仲良くしてくださいね💛

 

■参考文献

 

 

 

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