人間はどこまでも人間らしくあれ!魂の伝承を考える・温故知新学! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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日本が世界を席巻していた頃。

「ルックイースト、ジャパンアズナンバーワン」

今から思えば遠い昔のようにも感じてしまうのですが・・・、でも確かにそうばれていた時代があったのです。

敗戦の焼け野原から日本人は立ち上がり、アジアの奇跡!と呼ばれるまでの経済発展を成し遂げてきました。

世界からの熱い視線が私たちの国に向けられていた時代。私が高校生くらいの頃でしょうか。

快進撃を続ける経済の秘訣は、

「日本型経営にこそある!」

そんな風に解説されていた日のことを思い出すのです。

日本型経営がなんであるのかといえば、「終身雇用と年功序列型賃金」の2つ。

働く人々を一生涯にわたって、同じ会社で抱え込んでいく。そのことで雇用はすこぶる安定する。

竹中平蔵なんかにいわせれば、日本の労働市場は人材流動性が低いからダメなんだ・・・。

そう言うに違いないと思うのですが、でもそのダメな日本人のあり方こそがアジアの奇跡を実現してきた原動力。このことも否定できない事実ではなかろうか。

いつクビになるか?といった不安がないから、日々の業務に誠心誠意で取り組むことができるようになる。

 

住み込みで働くことが基本だから、毎日毎日、同じ人と顔を合わせることになる。人間関係が概ね優しく、従業員相互に身内のような存在になっていく。

 

イザ!という時の協力体制だって作りやすい、そんな制度ではなかったかと思うのです。

主人を含めた従業員はあたかも疑似家族であるかのように、定年になるまで。同じ職場で働くわけだから、会社の業績は他人事ではなく、自分事。

会社と自分とは運命共同体、会社がよくなれば自分も家族も良くなっていく。

納期までに間に合わない!ともなれば、従業員は徹夜を辞さずと懸命に働く。会社がした約束は自分がした約束でもある。こうして我が社、

「ウチの会社」

世界でも類例を見ないといわれる、ウチの会社思考。その会社の経営者でも、オーナーでもなく、タダの従業員に過ぎないはずの末端の社員。

そんな人々までもが"ウチの会社"と呼ぶことを憚らない。その経営のあり方は、極めてホームリーであったことがいわれているのです。

そういうと当時の日本の政治経済をけん引していた政治家や財界人たちは偉かったんだな。今とは全然違うのだな。

こんな風に思ってしまいがちなのですが、そこだけに理由を求めることにはムリがある。

日本型経営の出どころを辿れば、江戸時代に源流を見出すことができると思うのです。

260年にもわたって、長期安定政権が続いた江戸の昔。鎖国体制を敷く中の江戸期の文化・文明は日本独自のものである。

それは広く認められた歴史的な事実といえます。

日本社会、及び日本人が何であるのか?アジア・ユーラシアの時代の到来の前に、私たち自身が何者であるのか?

この点を探るには、江戸時代の日本の姿にヒントがあるのではないかと思うのです。



■心を合わせて!
日本は太古の昔から食用植物資源に恵まれてきたお土地がら。

旧石器時代から日本の人口密度は世界一!そういわれる由縁は、食料資源の豊富さに理由があるのです。

でもその食料資源をそのまま日々の糧にするには、あまりに自然災害が多すぎた。

よって人々は心を合わせて自然の脅威に備える必要があり、近隣同士で互いに一致団結する必要に迫られてきました。

さらに単位面積当たり最大の収穫量を誇るお米を社会の中心に据えたことで、共同灌漑に代表されるような全村一致の協力体制。

農村においては、この体制を高度に築き上げる必要に迫られていたのです。こうした日本人たちは血縁関係をベースに、地縁者に過ぎない近隣者同志が互いに

「疑似血縁関係」

を取り結んできたのが経緯になります。その際に大切になるのは、『年中行事と通過儀礼』。少し前に、こうした内容をお伝えしました。
※参考:『日本のココロ、その琴線にあるモノとは?根源に迫る!自然派歴史文化考

そして江戸時代に発展した商業経済は、この農村共同体をベースに作り上げられたと解説されるのです。

江戸期の商家も、「終身雇用制」だったことがいわれています。そして終身雇用制であるだけに留まらず、永代雇用制であったとも解説されるのです。


つまり父親が越後屋や白木屋の手代や番頭だったのなら、その子供も孫も白木屋に丁稚奉公として入るに至る。

長年にわたって勤め上げてくれた店員の息子なのだから、その子どもだって信頼できるに決まっている。

信頼されたのなら、信頼を以ってお返しをするのが日本の麗しき流儀。信頼を裏切る行為は、卑怯かつ外道な振舞い。

こうして終身雇用制、永代雇用制をベースに相互信頼関係を結んでいたことが説明されるのです。

最近はダマした方もワルイけど、ダマされた方にだって責任がある。こうした言われ方もするのですが、かつての日本においてはダマした方が圧倒的に悪い!

相場はこのように決まっていました。

子や孫としても幼少期から、あなたは白木屋の立派な番頭になるのよ!こうした具合に教育され、サナギが蝶になるかのように。

 

歳を追うごとにその意識が醸成されていく。こうして優秀な丁稚、手代、番頭へと階段をかけ上っていったのです。

材木業から身を起こし、江戸を代表するまでの呉服屋にのし上がった白木屋は、度重なる火事によって全焼の憂き目に遭っていたことが遺構から判明しています。

でも七転び八起きの精神で、その都度、同じ場所で再建されている。

主人はもとより、店員たちにとっても白木屋は自分の店。その店を再建することは、自分が生きることそのものでもある。

ウチの店、ウチの主人、ウチの商品。白木屋が崩壊すれば、自分や家族の人生だって崩壊していく。

 

こうして火事に遭うごとに、主人・従業員が心をひとつに合わせて店を再建させてきた。

それは経営者の力というよりは、店員たちの思いと力とを結集させた、労使協調、労使一体の成果であると説明されるのです。

■そのふる里は?
代々の白木屋の主人たちも、店員たちを家族の一員であると認識し、店員が亡くなった後には同じ墓に埋葬していました。

それは店員本人のみならず、その家族までをも一緒の墓に入れている。

東京渋谷の東北寺にある数十基のお墓は、200年にわたった白木屋の歴代の店員とその家族たちを葬った墓地。白木屋の菩提寺になるというわけです。

商家にとって従業員は家族そのものであったから、店員の面倒は最後まで主人が見続ける。

それは吉原の遊郭であっても同じで、遊女が一たび病気になれば主人は回復するまで世話をし看病する。

吉原の娼家は江戸の向島近辺にたくさんの寮を持っていたそうで、寮は個人経営の病院といった側面をも備えていたそうなのです。

商家の待遇面の特徴をいえば、万事平等といったようなものではなく、きちんと強弱がつけられていました。

 

能力の秀でた店員に対しては、生活給に加えて「祝儀金」を付与していく。現代流にいえば、能力給に当たるもので、悪平等を防ぐといった意味合いがあったのでしょう。

また「年功加奉」といって、長く勤める店員に対しては年齢とともに月給が加算されていく。経験の集積者に対しての手厚い扱いだったと説明されるのです。

世界に類を見ないといわれる、「終身雇用と年功序列型賃金」。

その原型は江戸期の商家、そしてその母体ともいうべき農村共同体にある。このようにいえるのではないかと思うのです。

 

 

■本来の教育とは?

欧米においては「能力」、日本においては「人格」。

 

欧米と日本とでは、子供の教育方針にこのような違いがあることが言われています。相互信頼社会を運営していく中で、人格育成は最重要のことがら。

 

"世間に出して恥ずかしくない子に育てる!"

 

こんな言い回しを現代に生きる私たちですらも、使うくらいなのですから。

 

でもそれだけではやっぱりコト足りない。個々人の能力開発や技術の習得、鍛錬だって社会に欠かすことができない事がら。

 

この地に生きた私たちの祖先は、能力開発の問題とどのように向き合ってきたのか?その具体的事例が、

 

「徒弟制度」

 

年季奉公といわれるように、およそ10年くらいの間は弟子として親方の家に住み込み,無給で家事や仕事の雑用をしながら、職人としての技術を習得していく。

 

その間の衣食住は、すべて主人や親方側が負担する。弟子の側は無償で労働力を提供する。

 

こうして高度な技術を衣食住の心配をすることなく、集中して身につけることができるようにと配慮されていた。

 

礼儀作法はもとより、親方は弟子の技術が高い水準に達するまでの間は、徹底的に鍛え上げる。

 

自分のところで足りない技術があるのなら、同業者間で構成されている職人組合のヨコの連帯を用いて、別の親方に弟子を預け、そこで新たな技術を習得させていく。

 

弟子が一人立ちした際に、"アノ職人の技術は低い・・・"だなんて噂が立てばそれで最後。それは親方側の不名誉や

 

"恥!"

 

になってしまう。

 

現代の教育においては、教えられる側の一方的な責任ばかりにされてしまいがちで自己責任ばかりが強調されているのですが、徒弟制度においては

 

"教える側の責任である!"

 

このことが明確にされている。教える方も真剣で、教わる方も真剣。親方の顔に泥を塗ることは、恥以外の何者でもない。

 

そして晴れて職人として世に出た際には、「我が親方は○○だ!」といった具合に、誇りと評価。そして信用の源泉にもなっていく。

 

親方としても自分の死後にまで名前が残るわけだから、弟子の働きは自分の大きな名誉となって返ってくる。

 

「我、一を決め是れを貫く」

 

徒弟制度とは、こうしたものであったと言えるのです。

 

無給の滅私奉公、この面ばかりが強調され、徒弟制度などは語るに足らぬ。古くて悪しき封建的な習慣として、完全否定されているのが現状なのでしょう。

 

でも、教える者と教わる者との関係とは、本来はこのようなものではなかろうか?そんなことを思ってしまうのです。

 

■秘すれば・・・

当時の江戸は人口100万人を超える世界最大の都市。

 

生活用品の提供先として、職人には実にさまざまな注文が舞い込んでいたことが言われています。

 

地産地消的な意味合いが強いため、一切のゴマカシなどが利くはずもない。悪い噂はあっという間に、たくさんの人々の耳に入ってしまうことになるからです。

 

真剣に学び、心血を注いで取り組み、素晴らしい作品を作り上げていく。このさまをして、「職人芸」と呼ぶのが本来の意味なのでしょう。

 

タンスひとつを作り上げるにも、この程度の強度があれば充分だなんてことは微塵も思わない。

 

どこにでもあるようなモノを作る程度では、職人の心を満たすことなどできるはずもない。

 

だから絶対に壊れないタンスを作ってみせる!代々にわたって、引き継がれるほどの素晴らしいタンスを作ろうとする姿勢こそが、「職人気質」。

 

"地震の時はタンスの陰に隠れろ!"

 

なんていわれるのは、職人魂、職人気質を表したものであるというわけです。

 

それでいて職人たちは、そのタンスに自らの名前を刻み込むような野暮なマネなどすることがない。

 

「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」

 

自らが手掛けた作品の完成度のみに、無上の喜びを感じる人種こそが職人。

 

国学院大学名誉教授で故・樋口清之氏は著書の中で、このように説明しているのです。

 

AIの時代が到来した!昨今はこのようなニュースが日々報じられているのですが、AIにできることはといえば、当たり障りのない標準的なものばかりなのが実際のところなのでしょう。

 

モノづくりの現場においてもAIにできることはといえば、汎用品。そればかりにならざるを得ない。

 

単純なモノの生産についてはAIに任せておけばそれで良し。そうであるなら、人間には人間にしかできない。

 

こうした価値を追及してこそ、先端技術を活かすための最善の道なのではなかろうか。

 

江戸期の職人たちの心意気にこそ、未来のあるべき姿が込められているように思うのです。

 

私のブロ友の方々が心血を注いで創り上げた楽曲のPVが、このほど公開されました。

 

 

これなども、まさに志を持った人間にしかできないものではないかと思います。興味があればぜひ一度、視聴してみてくださいね。

 

 

■参考文献

 

 

 

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