「重度の認知症で、入院中の私の義母」
この間、身体拘束の是非を巡り、病院との間で激しく衝突。
そんな日々を繰り返しておりました。
病院側は転倒の危険があるから。異食のリスクがあるから。
拘束の理由をスグにそう説明するのですが、私たち夫婦は納得がいかない。
病院からの連絡は決まって、○○の理由で身体拘束を行います。
"許可してください!"
こればかり。義母がどういう状態なのか?元気なのかどうなのか?食欲はあるのか?などといった日常の姿については何ら説明がない。
身体の拘束以外には一切関心がないかの模様・・・。
私の妻はこうした病院側の姿勢に憤慨し、人権団体や人権は弁護士などにも手当たり次第に相談。
どうにか身体拘束を止めさせたい、その一念で懸命な活動を続けていたのです。
コロナの規制が解除されるなり、私たち夫婦は面会に病院を訪れました。
そこで再会した義母は、自分の名前も分からない。出身地も覚えていない。そして自分の夫や娘のことも覚えていない。
当然、義理の息子である私のことなども一切分からない。
入院前はすべてわかっていたのに・・・。そんな姿にすっかりサマ変わりしていたのです。
面会時にはケアワーカーの女性が義母の傍らにピッタリ付き添っていたので、妻が、
「席を外してもらえますか?」
そう切り出すと、転倒の危険があるのでここにいますとのこと。妻が、
「車いすに座っているのだから転ぶことなどあり得ない。席を外してください」
再度そう強くいうと、そこから少し離れた場所で見守りますとのこと。こんな感じでようやくその場を離れていきました。
後で聞いた話なのですが、なぜ義母に張りついていたかというと、家族に病院内での出来事を話さないように。
患者に圧力をかける目的で傍に寄り添うのが常なのだそうです。
万一、この場で覚醒し、あれやこれやと話されてしまえば病院側としてはタマラナイ。
認知症患者には日々それだけのことが行われているのだと教えてもらった次第です。
義母の足は完全に浮腫んでいました。歩かないからこそ浮腫んでしまう。
病院側の治療方針は、とにかく患者を歩かせないこと。自力歩行を行わせないことで、患者を扱いやすい姿に変えることこそが医療の使命。
自力歩行ができなくなれば、晴れて介護保険の「要介護3」を取得できる。要介護3になれば、特養老人ホームの入居要件を満たすことができる。
この目的で、自力歩行を禁じているのが現状なのだそうです。
■ココロと体を!
義母は入院前とは違い、体全体からすっかり生気が抜けている。そんな姿に私には映りました。
髪はうなじ付近が黒々としていたので、一見すると元気を取り戻しているようにも見えるのですが、これは認知症のクスリの副作用によるもの。
白髪が黒髪へと変わっていく、『黒髪化現象』と呼ばれているそうです。
日々、大量のクスリを盛られていることの証左になるというわけです。
15分で面会は終わりとなりましたが、最後に私が義母は歩ける状態なのですか?そうケアワーカーに尋ねると、
「歩けるには歩けるのですが、フラフラしてしまいます」
こんな風に返ってきました。入院から約1ヶ月で、体あらゆるの機能が退化させられている。
この惨状を目の当たりにした私たち夫婦は、医療行為という名の人権弾圧。
そこから義母を救うために、身体拘束を行わない。そんな病院への転院を目指すことで一致したのが経緯です。
なかなか情報が取りにくく、カンタンにはいかなかったのですが、新潟県長岡市に身体拘束を極力行わない。
そんな病院があることを知りました。その名は「田宮病院」。
身体拘束は患者の心と体を強く傷つけてしまう。よってこの病院では、よほどのキケンがない限り、拘束は一切行わない。
こうしたポリシーを掲げた病院の存在を知るに至り、早速連絡してみた次第です。
■創意と工夫
動くことを禁ずれば禁ずるほど、患者は余計に動こうとするもの。その結果、看護師に暴言を吐いたり、暴力に及んだり。
これらは全て逆効果。そんな風に病院のスタッフは話してくれました。
また効率を高めようと、病室にズカズカと入っていき、そこで短時間で一気に着替えをさせたり、入院食の手配をガタガタと始めたり。ムリヤリ薬を飲ませようとしたり。
患者の気持ちに寄り添おうとしない。
こうした病院側の姿勢にこそ、数多くの問題が潜んでいる。こんな風に懇切丁寧に説明してくれたのです。
話をすればするほど妻もすっかり満足して、こちらの病院に転院させたい。そう思ったのですが・・・。
問題となるのは空きがあるのかどうか?受け入れてくれるのかどうか?それを率直に尋ねてみると、
「当院では依頼があればすべての患者を受け入れます。ベッドの空きはあるなしではなく、病院側の工夫で作るものなのです」
こんな風に答えてくれたので、早速転院作業を進めることになりました。その際、
「入院期間は3か月間と行政が定めています。今のうちから退院後の施設を探しておいてくださいね」
そう告げられたので、私たち夫婦は退院後の施設探し。これをも転院作業と同時に進めることになったのです。
田宮病院で機能を回復させた後に入る老人施設探し。その施設で寝たきり介護をされてしまえば、何の意味もない。
そう思って施設探しを行ったところ、意中の施設を長野県に見つけました。早速、その施設に連絡を入れ、見学に行ってきた次第です。
■歩け歩け!
その施設は広い一軒家。民家を改造しているのがこの施設の最大の特徴です。
広めの庭には芝生が敷き詰められ、そこにはベンチが置かれている。五月のイキイキとした太陽が芝生に優しく降り注ぐ。
無機質な一般の老人施設とは違い、この時点で好印象を持つに至りました。
女性の施設長が対応してくださったのですが、義母の状況を伝えると、
「まだ要介護2なのに、それは明らかにやり過ぎですね。きっとクスリの量も強度も強すぎるのではないかと思います」
そして、
「ウチではとにかく、極力自力で歩いてもらいます。寝たきり、車いす生活では生きている意味がないではありませんか」
「転倒リスクは確かにあるけど、それはスタッフがしっかり見てれば大丈夫。自分の足で歩いてこその人生なのだと思っています」
そんな風に話をしてくれました。
「特養老人ホームは確かに費用の面では安いのかもしれませんが、効率が最重視されているのが現状です。
お風呂も食事も、すべて時間時間で輪切りにされていて、次から次へと患者をチャッチャと捌いていく。およそ患者の側に立っている施設であるとは思えません」
「オムツも尿意、便意の感覚を狂わせてしまいます。ココではオムツをなるべく使わず、可能な限り、自分で用を足してもらいます」
「すべては施設側の工夫と経験。多くの問題はそれで解決できるのですよ」
こうした施設長の力強い言葉に、私たち夫婦はすっかり感服してしまいました。2人一致で、ここでお世話になろう。
その旨を施設長に伝え、快諾を得ることができました。見学を終えてから、転院先の田宮病院に連絡を入れると、
「施設が決まったのならコチラに転院される必要はありません。今の病院を退院して、そのまま老人施設に入居されるのが患者さんにとって一番負担の少ないあり方です」
そういわれたので、明日義母を拘束重視の病院から退院させ、その足で長野の施設に義母を入居させる運びとなりました。
この間、迷走に次ぐ迷走を重ねたわけですが、意志あるところに道は拓けていくもの。
そんなことを改めて実感することになりました。また報告させて頂きます。