不安がらせて、
脅かして。その上で金品を
“巻き上げる”
挙句の果ては、大切な尊い命までをも奪ってしまう。
もしそんな事実が発覚すれば、
「卑劣な行為!」
であるとして、散々に糾弾されることになる。当然のことではないでしょうか。
人の弱みや不安にツケ込んで利益を貪る輩ども。これらに対しては、いつの時代でも非難のマトになる。おそらく誰も異論がないのではないでしょうか。
でもこれが医療となると、話が違ってきてしまう。どういうわけだか、医療の手にかかると脅しや恫喝が正当化されやすくなる傾向が見られる。
正当化どころか、ありがたいものとして多くの人々から
“歓迎!”
され続けてしまっている。こうしたおかしな現象が見られるのです。
現代医療の問題点を手厳しく批判し続けている医師の近藤誠氏は、『医者に殺されない47の心得』(アスコム刊)の中で、
『ヤクザはしろうと衆を殺したり、指を詰めさせたりすることはありません。強盗だって大抵はお金をとるだけです。でも医者は、患者を脅かしてお金を払ってもらった上に、しょっちゅう体を不自由にさせたり、死なせたりする』
と述べています。
893よりもずっとタチが悪いにも関わらず、どういうワケだか人々は医者や医療を信頼し、そこに依存し続けている。
コロナ騒動などは本当にその典型例で、重症化率も死亡率もどちらも極めて低いにも関わらず、多くの人々は医療側の言うことを鵜呑みにし続けてしまっている。
そして任意にも関わらず、未知でキケンで遺伝子組み換え人間に変えてしまうような「遺伝子ワクチン」を数多の血管が集まる筋肉の中に自ら進んで打ち込んでしまっている。
純真無垢であることもいい加減にしておかないと、取り返しのつかない事態を招き寄せてしまう。
体内に入れ込むものについては、厳選に厳選を重ねてでも足りないくらい。ましてや未来ある子供や未成年の若者たちに対しては、石橋を散々に叩いても
“渡らない!”
それくらいの慎重さと覚悟とが必要になるのではないかと思っているのです。
人命があまりに軽視され続けている。イクサ続きの戦国時代であったって、大名たちは自軍の損耗を徹底的に回避する。
智謀の限りを尽くした工夫と算段。これに終始していたことが伝えられているのです。
「鬼畜米英」、「人間魚雷」、「神風特攻隊」、そして「一億火の玉!」。
人命軽視も甚だしい、約80年前のあの戦争当時と似たような空気感を覚えてしまう。それは、私だけなのでしょうか?
今回は、「ダマしの手口」について考えてみることで、
医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて述べてみます。
■患者は作られる!
日本は世界一の
「長寿国」
そういわれて久しいものがあります。
そんな日本の人口は減少の一途を辿り続け、増加傾向は全く見られない。これが偽らざる現状になります。
本来なら、人口が減少していくのに併せて、医者の数も 減っていくのが自然であり、当然の姿。にも関わらず、
「医師不足だ!」
なんてスローガンが叫ばれ続け、医者の数は年々増え続けているの現状。この時点で極めてオカシナことだといわねばならないわけなのです。
現在日本の医師数は約33万人と言われていて、毎年
“8000人”
もの新たな医師がコンスタントに誕生し続けている。人口減と医師増加のアンバランス、どうにかこれを解消する必要に迫られる。
そうでないと、今後ますます人口が減っていくことを踏まえれば、医師個人や製薬会社が受け取る報酬のパイは減少の一途を辿っていくことはあまりに明らか。こういうことになるのです。
医師不足が叫ばれる本当の理由は、医者の絶対数の不足なんかでは決してない。
・都市と地方との格差
・専門分野・診療科目の偏り
ココにこそ医師不足の真の理由が潜んでいる。こういうことになるのです。
現代医療が最も得意とするところは、『救命救急医療』になります。
事故や突発性の急性症状に対して現代医療は抜群の力を発揮する。この点は率直に認めなくてはならないのでしょう。
でもガンやアレルギーなどの慢性症状に対しては甚だ無力であることも一方の事実。
本来なら救命医療の方に手厚く人を回してこその話なのですが、どういうワケだか決してそれをしようとしない。
最も苦手であるはずの慢性症状、そして心療内科やメンタルヘルス。こうした科目ばかりに手厚く人材が集められてしまっている。
だからこそ一刻を争う救命患者たちは病院をタライ回しにされてしまい、その間に命を落としてしまう。こうしたケースだって報道されているのです。
それはさておき、人口が減少し続ける中、医師ばかりが増え続けていけば医者余り・クスリ余りとなって、医療産業は
“開店休業”
状態になってしまいます。病人だけを相手にしているようでは、商売は干上がってしまうことになるのです。
この事態を回避するには、健康な人を病人に変えていく以外に方法がない。無症状・無自覚の人を対象に、患者数を増やし広げていく。
商売上の都合、こうした必要に迫られてしまうのです。そのための最適なツールは、
「健康診断・ガン検診・人間ドッグ・予防接種」
これらになります。
これらはいずれも健康な人、もしくは無症状の人に対して医療行為を押しつけるための手段であり、仕掛けになるからです。
予防医学の名のもとに、実に不要で意味のない検査。効いたためしなんてほとんど例のないワクチン。
これらの必要性をあえて作り出し、大声で繰り返し叫ぶことによって足りない需要を補填し、喚起することに躍起となっている。
それは供給過剰に対する需要不足が背景にあるともいえるのです。
不要で意味のない検査や予防接種などを受けさせるためには、不安がらせて、散々に脅かし、強引に需要を作り出すことが大前提になる。医療による、
“患者の創造”
このように批判する声だって少なくないのです。
実際に、日本の検診に関わる医者や看護師、レントゲン技師、関連業種の雇用者総数は、数百万人規模といわれています。
もし検査をやめようということになれば、数百万人が一挙に失業する事態が待っている。それどころか、医療全体が
『崩壊する』
このように指摘され続けているのです。
■唯一の被爆国・・・
東日本大震災の際に、福島県産の野菜や魚介類は
「敬遠」
され続けました。おそらくそれは今日も変わっていないことなのでしょう。
理由は、放射能が
“コワイから”
そうであったはずなのです。
でも医療となると、どういうわけだか自ら進んで被曝するような行為に及んでしまう。これは一体何なのか?そう思わざるを得ないのです。
放射線の照射は、この先、妊娠の可能性のある若い女性に対してもお構いなしで行われ続けています。ちょっと足がイタイというだけでも、パチパチと気軽に撮ってしまう。
検査!という美名において、CTスキャンやPET(ポジトロン断層法)などの検査が医療現場で盛んに行われているのですが、
レントゲンによる被爆量を「1」とすると、CTやPETはその“100倍”にも達することがいわれているのです。検査部位によっては、
「400倍」
にも達してしまう、そう警告する声だって存在するのです。
福島原発事故で国が避難の目安にした被曝線量は年間20msv(ミリシーベルト) だったのですが、胸部CT検査は1回受けるだけで被曝線量は何と、「7~10msv」。
たった2回の検査で、避難レベルに達してしまうのです。
PET検査とは、放射能を含ませたブドウ糖、放射性薬剤を血液に注射することで、ガン腫などの問題個所をクリアに見る方法になります。
悪性腫瘍はこの放射性薬剤を貪欲に細胞内に摂り込む性質があるため、正常な部位よりも色濃くハッキリ、
“クッキリ!”
写真に写る。それにより小さなガンも精度よく発見できる。 こうしたことをウリにした検査法がPET検査になるのです。
放射能を含んだブドウ糖を血液に打ち込むだなんて、私などからしてみれば、「オゾマシイ・・・」の一言なのですが、何も知らないまま、医者の言うがままにこんな薬剤を注射され、その後に大量被曝の憂き目に遭うことになってしまう。
たかが検査で、どうしてココまでのリスクを負わねばならないのか?
しかもそのPET検査で、ガンを発見できる確率は、たった15%程度と指摘する声もあるのです。85%のガンは見過ごされてしまうことを意味している・・・。
科学的根拠がないとして、海外でPET検査は行われないことがいわれています。検査大国・被曝大国、日本ならではの検査方法と言えそうです。
いずれにしろ、こんなに気軽に放射線を浴びせかける国は世界に
「存在しない!」
こんな不名誉なことが言われて久しいものがあるのです。
毎年8月になると広島長崎の地において、唯一の被爆国としての深い祈りが捧げられ続けていますが、医療現場のそれについては何も指摘されることがない。
唯一の被爆国は世界最大の被曝爆国で、日々大量の被ばく者を生み出し続けている。
残念なことではありますが、これが偽らざる現状といわねばならないのです。
■放射性物質と食
放射線について語るとき、放射性物質の存在が必ず話題になります。
放射性物質、そういわれるとキケンなもの。このようなイメージがあると思うのですが、これらは一体どういうものになるのでしょうか?
そこで放射性物質の中身を詳しく見てみると、
“食べものとの関係”
これが如実に浮かび上がってくるのです。
『放射性ヨウ素131』
という物質名をよく耳します。
福島原発事故でも大量に飛び散ったといわれる物質なのですが、でもヨウ素(ヨード)そのものは人体の甲状腺機能を健全に働かせるために欠かせない物質。
この物質を人体は甲状腺内に摂り込んでいることが言われているのです。
通常は食べものから体内に摂り込まれていくのですが、特に昆布、ワカメ、海苔などの海藻類に多く含まれていることが知られています。
でもこのヨウ素の食事からの摂取。これを怠ってしまうと、人体は放射性ヨウ素131から必要な量のヨウ素を摂取してしまうことがいわれています。
人工物であり危険物である要素を自然のヨウ素だとカン違いしてしまい、甲状腺にドンドンと
“摂り込んでしまう”
人体は放射性ヨウ素とは気づかずに貪欲に不足分を体内に入れ込んでしまう・・・。自然物と危険物との違いを上手に認識できない。
こんな風に説明されているのです。
実際に普段から和食を心がけ、海藻類を日々コンスタントに食卓に取り入れている人の場合、放射性ヨウ素131をあまり体内に摂り込まないことが言われています。
でも洋食や肉食、ごちそう食などばかり食べ続けている人の場合、放射性ヨウ素の体内蓄積。このリスクが飛躍的に
「高まってしまう」
こういうことになるのです。
厚生労働省によると、日本人女性の約6割が甲状腺に何らかの障害を持っていることが発表されています。
原発事故は論ずるまでもありませんが、私たちが気軽にレントゲン検査やCT検査を受けてしまうと、放射性ヨウ素131を体内に蓄積しやすくなってしまう。
それは甲状腺ガンの原因になることが言われているのです。安易に検査などを受けてはならないと思うのですが、いかがでしょうか?
また『セシウム137』という放射性物質もよ耳にするのですが、これは野菜などに多く含まれる
“カリウム”
と構造がよく似ていることがいわれています。
そのため野菜不足に陥ると、ヨウ素と同じ理屈で放射性セシウム137を主に筋肉、そして甲状腺に溜め込んでしまうことがいわれているのです。
野菜の摂取を怠り、体がカリウム不足に傾いた状態。その状態のまま、各種検査を受けてしまうことはキケンな振る舞い。このようにいわねばなりません。
日本人は長らくお米などから糖質を摂り、味噌や漬物などの発酵食品を食べ、そして旬の野菜を煮炊きして頂く。そのことで食卓を構成してきた歩みがあります。
カリウムとセシウムとの関係からも、和食の中心の食生活の大切さと素晴らしさとを思うばかりです。
さらに『ストロンチウム90』といわれる放射性物質があるのですが、これは原発を動かす際の燃料であるウラン。
ウランなどの核分裂反応によって生ずる放射性物質であることがいわれています。この物質は、
「カルシウム」
とよく似た分子構造をしていることが分かっているのです。
何も子供に限った話ではないのですが、特に発育期の子供たちは骨や歯を丈夫に頑丈に作り育てる必要があります。
そのためカルシウムを貪欲に体内に摂り込もうとすると説明されるのです。
でも和食を食卓の基本にしていなかったり、乳製品を多く摂っていたり。こうした日本人の体質に合わない食生活を続けてしまう。
また頑丈な骨の形成のためには太陽光を浴びることによる、ビタミンDの体内合成が不可欠であることもよく知られています。
※参考:
食の問題、日光浴の問題。どちらか一方、もしくは両方が充分でない状態が続くと、人体は放射性物質ストロンチウム90を積極的に摂り込もうとしてしまう。
不足分の埋め合わせに走ってしまうことがいわれているのです。
ストロンチウム90が一度体内に摂り込まれてしまうと、骨の中に長く留まることが知られています。そしてそれは細胞を傷つけ、ガン発症の原因になることが指摘されているのです。
やはり日本人の基本食はどこまで行っても
『和食』
であるはずのもの。
さらに屋内は雨風を避けるためのもので、夜間の休息用のものといわねばなりません。老いも若きも、日中はなるべく戸外で過ごすことが大切。
またかわいい孫や子のためにも、原発を推進し続けることを政策に掲げるような政党。これを決して支持しない。
このことも大切になるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
■ガンじゃないのに・・・
以前もお伝えした内容になるのですが・・・、
2013年にアメリカ国立ガン研究所は
「乳ガンの中の非浸潤性乳管がんや上皮内がんなどをがんと呼ぶのはやめるべきだ。死ぬリスクはないのに、ガンという言葉の響きが患者を恐怖に陥れている」
と米国医師会誌で提唱しました。またスイス医療委員会は、2014年に
『マンモグラフィ検査の廃止』
を勧告しています。廃止の理由として挙げられているのは、データーに根拠が乏しく、検査そのものの信ぴょう性に問題があると指摘し、組織を採取するなどの行為は、
“むやみに体を傷つける”
“手術や抗がん剤などの不要な治療を受けさせられる”
こうした有害性を無視できないからと勧告の理由を述べているのです。
実際に、カナダではマンモグラフィを受けた女性4万4925人を25年にもわたって追跡調査をし続けた結果、
「乳ガンと診断された484名のうち、106名は過剰診断で不要な治療をされていた」
と報告されているのです。
医療業界にはマーケット維持のための都合というものが存在する。そうしたことから不要な検査や不要な手術が日々繰り返し行われ続けている。
こういうことなのでしょう。 でもそれは医療産業の都合であって、私たちには一切関係のないこと。
医療従事者の食い扶持をあてがうためだけに、自らの大切な体や臓器、そして自分や家族の大切な健康を犠牲にしてはいないだろうか?遺伝子ワクチンにしたって事情は全く同じであるはずのもの。
よくよく考える必要を思います。
以下は、2400年前のギリシャの医師で、一般に『医学の父』と呼ばれるヒポクラテスの言葉になります。
恫喝産業に傾斜し続ける医療従事者には、ぜひともあなたがたの父親の言葉を噛みしめてもらいたいと思います。
「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」
「病気は人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」
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