「主と従との関係」
幹と枝葉の関係。
私たちは生活のさまざまなシーンにおいて、あるべき位置関係をきちんと
“見定める”
この必要を感じています。
とかく世に溢れる情報や商材は、主と従とがすっかり逆転してしまっている、こうしたモノがあまりにも多過ぎる。
本来、主の位置でなくてはならないはずのものが、従の位置に引きずり降ろされてしまっている。
そして従の位置に過ぎないものが、あたかも主であるかのように堂々と振舞っている。
主と従、幹と枝葉の関係をきちんと見極める、この必要を強く思っているのです。
農の分野で考えてみると、野菜を育てるのはあくまで
「野菜自身」
であるはずのもの。それがいつしか、肥料が野菜を育てるものへとすり替えられてしまっている。
野菜などは自分の力で育つことができないほど、か弱くて、脆い。軟弱で虚弱な生命体。
虫や病気に対してはあまりに無力なわけだから、農薬を散々にバラ撒くことで
“守ってあげなくてはならない”
野菜とは、人がアレコレと手をかけてあげない限り、生きられない。
現代農業は作物たちをそんなカヨワイ命として、位置づけているのです。
でも自然の野山を見渡せば、人が肥料を与えている場所など、どこにもありません。
農薬を散々に撒かなければ、全滅してしまう。そんな自然の植物などはどこにも存在しないのです。
農薬がなければ生きられないのは、田畑に生きる
「作物だけ」
肥料や農薬がなくとも、植物たちは栄養失調になることもなく、元気に成長し、翌年、また翌年と未来永劫にわたって生命を繋ぎ続けているのです。
主と従との関係がすっかり逆転してしまっている。それが、有機を含めた今の農業の現状ではないだろうか?
そんなことを思っているのです。
そこで今回は、「主と従」について考えることで、
医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて述べてみます。
■主と従の転倒
この逆転現象は何も野菜に限った話ではありません。
「医療」
においてもまったく同じ。現代医療は人体をか弱くて脆いもの。このように位置づけているものだからです。
人体は性能の悪いポンコツ機械のようなもので、スグに故障し、たちまちトラブルに見舞われてしまう。
人体における故障やトラブルは病気の症状に当たるわけだから、スグに
“お医者サマ”
に診てもらう必要がある。自分の力でドーコーできるようなものでは決してない。
現代医療においては、自然治癒力などは一切存在しないもの。このように一方的に結論づけられているのです。
治すのは医者やクスリであって、どこまで行っても医療が
「主の位置」
患者はあくまで
“従の位置”
このような関係性がすっかり固定化されてしまっている。モチは餅屋というくらいなのだから、病気のことはすべてお医者サマにお任せする。
お医者サマは、慈愛に溢れた人々で、なおかつ高度で深い専門知識を兼ね備えている。そんな崇高な方々なのだから、最善で最良の治療法を熟知している。
私たちはこんな風に思って、一度限りの大切なイノチを丸ごと医療機関に投げ出してしまっている。
昨今の新コロ騒動などを見るにつけ、そんなことを思ってしまうのです。
でも、そこに本当に問題はないのか?私たちは曇らぬ目で医療の現状を見つめ直す。
この必要を感じているのです。
■作用と反作用
今のクスリは本当によく効きます。使えば、ツライ症状を瞬く間に、
「解き放つ」
ことができてしまう。だから腫れが出たら、消炎剤。熱が出たら、解熱剤。不眠には睡眠剤、そしてアレルギー反応には、ステロイド剤。
このようにさまざまなクスリが処方され続けているのです。
でもよく効くことは、決して手放しで喜べるようなものではない。むしろ効くことは
“恐ろしいこと”
と言わねばならない。
私たちはもっとクスリの持つマイナス面についても、しっかり見定めておく必要を思うのです。
例えば、「麻薬」。麻薬には強い薬効が存在しています。
使えば、苦しく、不安で、退屈な日常から逃避することができてしまう。
眠らなくても高いテンションをキープできたり、何かに心底没頭できたり。アーティストなら、インスピレーションが雲のように沸き上がり、たくさんの
「詩やメロディ」
が次々と浮かんできたり。ビジネスマンなら、企画やアイデアが湯水の如く湧き出たり。もしや、自分は空をも飛べるのではなかろうか?
こうした全能感に満たされていくことが解説されるのです。
喪っていたはずの自信はムクムクと蘇り、ココロは充実感・満足感、そして幸福感で満たされていく。
クスリを打ちさえすれば、抱え続ける不安や障害を
“一掃”
できてしまう。強烈な薬効があるからこそ、麻薬へと手が伸びていく。強い効果があるからこそ、麻薬を手離すことができなくなっていく。
そして使えば使うほど、やがてその『反作用』に苦しめられることになってしまう。
「幻覚・幻聴・呼吸障害・排尿障害・痛覚過敏・心血管へのダメージ」
時間の経過で、こうした症状に襲われ続けるといった結果を招いてしまうのです。
麻薬の例からも分かるように、効果があることはコワイこと。手放しでは、喜ぶことはできないはずのもの。
この面を決して無視してはならないと思うのです。
■自然治癒の正体は!?
「湿布薬や塗り薬」
私たちは痛かったり、腫れたりすると、この薬剤を安易に用いてしまいます。
でも痛みや腫れは自然な体の治癒反応であって、決して敵視されるようなものではありません。
治癒に至る過程で起こってくるのが痛みや腫れ、そして発熱の正体。このようにいえるのです。
私たちの体は不具合箇所や破損個所を見つけると、直ちに修復に向けた活動を開始していきます。具体的には大量の
“血液”
を問題個所に大量に送り込むことで、治癒を成し遂げようとするのです。
血流を上げることにより、
赤血球による酸素供給と栄養補給
白血球による異物排除と修復作業
これらを図ろうと懸命になることが分かっている。
出血を伴うような場合には、真っ先に血小板が駆けつけてくる。破損した血管に血小板は次々と体をぶつけていき、それが折り重なることで出血個所を塞ぎ、これ以上の出血を許さない。
このような処置を施していく。そしてこの血小板が折り重なった死骸の山が
「カサブタ」
カサブタはキラワレ者な面があるのですが、それは出血を止めるために人体が行う自然な修復反というわけです。
カサブタができるまでの間は、ジュクジュクして不快。そんな状態になるのですが、あのジュクジュクの中にこそ40種類以上といわれる
“皮膚再生因子”
がひしめき合っている。
キズはクスリが治すのではなく、私たち自身の体が持つ再生能力によって治っていくものというわけです。
■荒っぽくて乱暴!
繰り返しになりますが、自然治癒を成し遂げる上で不可欠になるのは
「大量の血液」
になります。
でも、患部にたくさんの血液を送り込むためには、その輸送路である血管。これを広くしなくてはなりません。
軽自動車がスレスレ1台通れるような道ではなく、ダンプもトラックもあらゆる重機車両も、何でも通れる。あたかも
“高速道路”
のような道。私たちの体は平常時よりも血管を広くして、血液の大量輸送を可能にしようとする。
トラブル発生直後から、こうした体制作りに着手していくのです。
以前も触れたことなので、既知の方には釈迦に説法になってしまうのですが・・・、
血管を大きく広げる役割を担うのが、
『プロスタグランジン』
と呼ばれる物質になります。プロスタグランジンは別名、“血管拡張物質”ともいわれ、この物質が分泌されると、血管は大きく広がっていく。
道幅を広げることで、大量の血液輸送が初めて可能になっていく。
プロスタグランジンは実にありがたく、私たちを守るための大切な物質なのですが、それと同時に欠点も備わっている。その欠点とは少々・・・、
“荒っぽっくて乱暴”
なところ。道幅を広げる際に、痛みや熱、腫れや痒みなどの不快な症状をも、同時に起こしてしまうのです。
痛みや熱や腫れ、現代医療ではこれらの反応をすべて『悪である』と断じています。でもこれらの症状の真の姿は、プロスタグランジンが輸送路を広げている証拠であって、決して目のカタキ!にするようなものではないのです。
プロスタグランジン自身にお伺いを立ててみれば、痛いだの、熱いだの、腫れたなどとガタガタ言うんじゃねぇ!
いま治してるんだから、チョットは大人しく
「ガマンしていやがれ!」
おそらくこのように答えることでしょう。
気質は粗野で荒っぽい。ちょっと乱暴な面はあるのだけど、一生懸命あなたを治してくれる大切な味方・・・。
頑固一徹な大工の棟梁、そうした特徴がプロスタグランジンにはあるのです。
■余計な手出し・・・
血液の大量輸送を可能する、ありがたい物質がプロスタグランジンの正体。
このように言うことができるのですが、現代医療はといえば、この物質そのものを否定するようなことばかりに終始してしまう。
「プロスタグランジン抑制物質」
と呼ばれる、アスピリンやインドメタシン、ケトプロフェンなどの消炎鎮痛剤を即座に処方してしまうのです。
せっかくやる気満々だったプロスタグランジンを薬効の抑制物質が、意気消沈させてしまう。
そうなれば当然、赤血球も白血球も、血小板も本来の力をフル稼働させることなく、同時に鎮静化していく。
その結果、短期間で済むはずだった症状が、長期化・慢性化の一途を辿ってしまう。
血行が悪くなり、代謝が抑制され、自律神経にも乱れが生じてやすくなってしまうのです。
安易な消炎鎮痛剤の長期使用は、
『肺炎、膵炎、胃炎、白内障、無顆粒球症、溶血性貧血、白血球減少、血小板減少、皮壊死融解症』
などのより深刻な症状引き起こしてしまうのです。
消炎鎮痛剤の常用は、効くからこそコワイもの。それは体の自然な治癒反応を停止させ、中毒を起こすかのように薬剤への依存体質を作り上げてしまう。
こうした結果を招きやすくするのです。
■燎原の如く
これは、もはや“国民病”ともいわれる
「アトピー性皮膚炎」
の治療においても同じです。
アトピー治療においてはステロイド剤が使われるケースが多いのですが、処方の際に医師は、とりあえず症状を
“抑えましょう”
必ずこのように言うのです。
このクスリで、辛い症状を
「治しましょう」
とは決して言わない。ステロイドは治すためのものではなく、ただ単に症状を抑えるだけのもの。
もっといえば、治癒のための最良かつ最高の武器であるはずの血流をステロイド剤は抑制してしまう。
血流を弱めてしまえば、腫れも炎症も痒みも何も、出にくくなっていく。プロスタグランジンをはじめとした治癒反応を薬効で抑え込んでしまうのです。
医師たちはこのことを充分に理解した上で、治すのではなく抑える。このように患者に告げているのです。
だからどんなにステロイドを塗ったところで、根本治癒には至らない。薬効が切れれば、以前よりもより一層の強い症状に見舞われていく。
部分であった炎症個所はやがて燎原の火の如く、全身へと広がっていく。
本来体の中の異物や汚染物を排出するために、体がわざわざ起こしたはずの炎症。にも関わらず、その反応をクスリの薬効で封じ込めてしまう。
ステロイドを使い続ければ時間の経過で、過酸化脂質へと変わっていき、体内に
“酸化コレステロール”
が発生していきます。
これが発生すると、私たちの体はそれを“異物”と判断して、免疫部隊の白血球が増加していく。白血球の増加は『活性酸素』を体中に撒き散らすといった結果を招いてしまう。
それが燎原の火の如く、炎症が全身へと広がるプロセスというわけです。
部分から全体へと広がる炎症を、さらに強いクスリで押さえつける。ステロイドを使う量も雪だるま式にドンドン増えていってしまう。
薬効の弱いものから始まり、時間の経過で、ますます強いクスリを使わざるを得なくなる。こうして、薬剤依存から抜け出せなくなり、
「重症化の一途」
辿ってしまうのです。
より深刻な症状を招いてしまうのは、クスリに効果があるからこそ。
クスリは効くからこそコワイもの。安易に手を出すようなものでは決してない。
使うなら使うで、リスクをきちんと踏まえる。このことが大切になるのです。
■短期で弱いもの!
新潟大学名誉教授の故・安保徹氏は、『免疫革命』(講談社)の中で、
「私は何も、消炎鎮痛剤、解熱剤を全否定しているわけではありません。患者の辛い症状を二割減らそう、三割減らそうという気持ちで使う分にはには、決して悪いことではないと思います。
ところが、解熱剤の服用は治癒をもたらさないのだという概念を持っていないと、とにかく最後まで徹底的に炎症を止めよう、症状をとりのぞこうと突っ走ってしまって、病気をより悪化させてしまうのです。
そうした対症療法万能主義に、強い危惧を抱いています」
このように述べているのです。
どこまでいっても治すのはあくまで、私たちに備わった
「自然治癒力」
クスリなどはサブで従で、枝葉の位置に過ぎないもの。病気治療の幹となるのは、私たち自身の心と体。
こういうことになるのです。
主と従とが入れ替わってしまわないように、クスリを使うなら使うで、
“短期”
に限定し、しかも薬効の弱いもの。
これが大原則になると思うのですが、あなたはいかが思われるでしょうか?
■参考文献
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る