「医術は呪術」
かつてそんな時代がありました。
病気はすべて神の祟りで、天罰として考えられていた。
そこでは祈ったり、祭ごとを行ったりすることこそが医療の手段。病気になったら、あとは天にすべてを
“委ねるだけ”
患者も家族も、医師も誰も、それ以外に他に方法がなかったと伝えられているのです。
「天よ!哀れなるこの者を救い給え!」、だから加持祈祷を行い、祈りを奉げていたのです。
そこに1人の人物が登場します。その名は『ヒポクラテス』。
今から約2500年前の人物ですが、別名“医学の父”とも呼ばれています。彼の登場により、呪術的なそれまでの医療に変革の時が訪れた。
このように説明されるのです。
ヒポクラテスは病気の原因は天罰や神の呪いの結果では決してない。病に苦しむ人々と接し、入念に観察を続ける中で、この結論を導き出しました。
そして、
“人は自然から遠ざかるほど病気に近づく”
と述べ、克服には、患者の内に備わった「自然治癒力」。その発動にこそ、真の解決策があると結論づけたのです。
「人(生き物)は身体の中に100人の名医を持っている。その100人の名医とは自然治癒力であり、 医師はそれを助ける手伝いをする」
医者の仕事は病者を治すことではなく、患者をサポートすること。治すのはあくまで患者自身の力である。
そして、
「心に起きることはすべて体に影響し、体に起きることもまた心に影響する」
と述べ、患者が悲嘆し、心が苦しみで覆い尽くされないように、“希望と慰め”とを与えていく。それこそ医師の仕事であると説いたのです。
これが有名な
『病者への愛』
と説明されるのです。
今回は「治す力」について考えることで、医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて述べてみます。
■病気とクスリの関係
「クスリがあるから病気は作られる」
こんなことが言われています。
病気があるからクスリが開発されるのではなく、製薬会社がクスリを開発するからこそ、それに見合った病気が作られる。
今の医療には、こうした面があることは事実なのでしょう。健康で元気、何ら問題のない人までもが、病人にされてしまう・・・。
このアベコベな仕組みこそが現代医療が抱える病理の1つ。現在の
“うつ病の蔓延”
などは、その典型例ではないかと思っているのです。
日本の抗うつ薬市場は、“1200億円”を超える巨大市場となっています。でもそれは作られたものに過ぎず、極めて不自然な形で急速に拡大していった経緯があるのです。
1996年には43万人で、1999年医に44.1万人であった日本のうつ病患者数は、
2002年には71万人、2005年には92.4万人、2008年には104.1万人、2017年には、127.6万人にまで拡大し続けているのです。
1996年~2005年の6年間で2倍以上に急拡大している。うつ病とは強力な感染力を持った
「伝染病なのか?」
そう思ってしまうほど、短期間に激増していったのが経緯です。
この背景には、抗うつ薬として2000年に開発された、『パキシル』という名のクスリの影がチラついている。
つまり、抗うつ薬開発に要した莫大な費用を回収し、そこから儲けを拡大していく。そのための装置として、医療が使われている。
この不都合な関係は誰の目にも明らかではないか?と思うのです。
製薬会社と医療業界とのタッグで進められた「病人創造」の実態。それは世界規模で同時に行われ、イギリス、アメリカ、北欧、中国などでも患者数が激増し続けている。
それに併せて、パキシルの売上はうなぎ登りで、破竹の拡大を続けている。売薬業からしてみれば、
“笑いが止まらない・・・”
このような状況が作り出されているのです。
■ああ荒野・・・
生きていれば、人生の艱難辛苦に見舞われる、そんな場面は多々あるものです。
失恋、失業、死別、さまざまな人生の挫折は、『人の世の常』といった面があるからです。1999年までは、
“雨の日があれば晴れる日だってくるよ”
そんな言葉で終わっていたものが、2000年のパキシル開発以降は、
「それは心の病だよ」
こんなトンデモナイ事態へと飛躍することになってしまったのです。
それは“うつは心のカゼキャンペーン”の成果といわれていますが、データからこう読み取ることができるのです。
思い悩む本人にしてみれば、医者から『病気!』と告げられてしまえば、もはや穏やかではいられなくなってしまう。
苦しい時だからこそ、なおさら心がさざめき、動揺してしまう。
こうして、“おクスリ~”、“お医者サマ~”と依存心で心が埋め尽くされていく。一時的なショック状態を巧みに捉えて、診断という名の判決を下していく。
病人のレッテルを貼り付けることで、患者を
“クスリ漬け”
に追い込むことを正当化していく・・・。
おカネにアタマをヤラレてしまえば、道徳も良心も何も、木端微塵に軽々と吹き飛んでしまう。
留まることを知らないうつ病の蔓延から、医療の不条理を思わずにはいられないわけなのです。
■生きる力!
ヒポクラテスの生きた時代は、
「黒死病」
といわれたペストが猛威を奮った時代でもありました。
当時ペストは、“神の放った矢にかかる”といわれ、患者は天罰を受けているのだと信じ込まれていたそうです。
でも、ヒポクラテスは丹念に発病の原因を探ってみたところ、あまりに
“不衛生な環境下”
にあることに気づきました。それこそがペスト蔓延の直接の原因である、このことを突き止めたといわれているのです。
そして衛生環境を保つことを最優先にし、患者に生きる勇気と希望とを与え続けた結果、ペスト感染の拡大を食い止めた。
ヒポクラテスの業績はこのように伝えられているのです。
病気の原因を明らかにして、患者に生きることへの望みと希望とを抱かせる。
“君の苦しみは天の呪いなんかじゃ決してないよ。ただ衛生状態が悪かっただけなんだよ”
気持ちが塞げば治るものも治らなくなってしまう。心を強く大らかに持って、
「一緒に乗り越えていこうよ」
そんなヒポクラテスの声が聞こえてきそうな気がします。
患者に本来備わった自然治癒力を最大化させようと、懸命に励ましと慰めを与え続ける姿。
今の医療との天地ほどの差を思うつけ、愕然としてしまうのです。
■2つの実践!
以前も紹介した話になりますが、19世紀から20世紀にかけて人類は
「結核の蔓延」
に悩まされ続けていました。
莫大な数の犠牲者を出しながら、有効な手立ては何もない。結核は“不治の病”とされ、罹ったらそれで最期、このように諦められていたのです。
そうした中、ドイツの医師・ヘルマンプレイマーは、結核は
“治せる病気だ!”
と力強く述べて、消極的な議論に終始する中、世界を驚かせたことが伝えられているのです。
プレイマー医師は宣言の後に実践へと動き出しました。1859年にドイツ・シュレジエンに『肺結核療養所(サナトリウム)』を開設し、結核患者をそこに収容したのです。
サナトリウムで行われたことは主に2つ。それは
“栄養状態の改善と新鮮な空気の提供”
医師の監視のもとでの患者自身の持つ免疫力、治す力を最大化するための療法を施したのです。
結核は心身の「衰弱病」ともいわれることから、心も体も穏やかに過ごすことが他の何よりも大事!とプレイマーは考えました。
そして太陽の下で寝転ぶことも奨励され、皮膚から自然の力を摂り入れることも日課とされていたそうなのです。
プレイマー医師の信念から導き出された行動は、次第に着実な成果を見せ始めました。
こうして森林や海浜などの風光明媚な場所。大気汚染などとは一切無縁な場所を選んで、世界各地にサナトリウムは開設されるに至った。
このように伝えられているのです。
■盗人猛々しい!
日本でも1887年に鎌倉の由比ガ浜に最初に建設されたのを皮切りに、各地にサナトリウムは開設されていきました。
お金持ちしか入所できないという批判に対して、それぞれの国の宗教者なども協力して国を動かし、
「勤労大衆のためのサナトリウム」
もヨーロッパを中心に各国で建設されていきました。
こうして重篤患者を回復させるなどの好成績を挙げたことがいわれているのです。
そして医師も人々もサナトリウムの経験をもとに、病に対する心構えや実践法。これらを習得していき、結核による死亡者数は次第に減少していったことが解説されているのです。
イギリスの統計では、
1838年には人口100万人あたり3800人の結核による死亡者がいましたが、1945年には、
“500人”
まで減少していました。
1944年に世界初の抗生物質ストレプマイシンが開発・導入され、BCGワクチンとの2本柱。
それこそが結核を克服できた直接の原因ということに表向きはなっていますが、これは明らかな
『成果泥棒』
といわねばなりません。“盗人猛々しい”とはまさにこのことではないか?と思ってしまうのです。
アメリカでは、結核による死亡者が
『1921年368.7万人⇒1931年316.7万人⇒1941年274.3万人⇒1951年153.8万人⇒1961年44.7万人』
と推移していますが、BCGの集団接種が行われたのは1945年~1948年の間。
完全なる終息期に差し掛かった段階で、ワクチンも抗生物質も使われ始めているのが厳然たる事実になります。
ワクチンなどの薬剤開発が感染症撲滅の理由などでは
“決してない!”
私たちは歴史の事実に謙虚に学ぶ必要を思うのです。
■ドクハラに負けない!
医師の口から出てくる構文は決まって、
“〇〇しないと××になる”
コレになります。
「手術を受けなければ、余命は3ヶ月」
「抗ガン剤で叩かないと、ヒドくなるばかり」
「予防接種を受けないと、大変なことになる」
“ドクハラ”なんて言われますが、常にこの構文を用いた脅し文句を駆使して、
ムダなクスリを処方し続けたり、不必要な手術で臓器を取り除いたり、効かないばかりでキケンなワクチンを血管に打ち込んてしまったり・・・。
売上の拡大に血道を挙げ続ける。現代医療はこんなことばかりを繰り返しているのです。
ヒポクラテスやサナトリウムの実践例を思うにつけ、現代医療はどうして
『手術と投薬』
以外の方法を認めようとしないのか?それだけが唯一無二の解決方法だと、骨の髄まで本当に信じ込んでいるのか?
疑問と不信が尽きないわけなのです。
患者にとって最重要と思われる食べものや飲料が、マズイ料理の代名詞の
“病院食”
と命名されて、揶揄の対象になっている。現代医療はどうしていつまでも、粗悪な食事ばかりを患者に食べさせ続けているのか?
ツライ病気に苦しむ患者にこそ、最高の食材を提供すべきではないのか?
なぜに開発期間があまりに短く、不充分な治験しか行われていない。そんな遺伝子ワクチンを国民の体に
「打ち込もうとするのか?」
医療を信じろ!医者任せろ!いくらそう言ったところで、絶対ムリ!
私などはそう思ってしまうのですが、あなたはどのように思われるでしょうか?
現代医療に“自浄能力”があるとはとても思えません。
あとは私たち自身が医師に負けない知識と知恵を獲得し、自分や大切な家族を守り抜くより方法がないようにも思うですが、いかがでしょうか?
最後にナイチンゲールの言葉で終わりたいと思います。
「天然痘も何もないところに自然発生するようなものではない。天然痘が狭苦しい部屋や、すし詰めの病棟などにおいて、まさに最初のものとして発生するのをこの眼で見、この鼻で確かめてきたのであるが、それはどう考えても感染したはずがなく、そこに発生したに違いないのであった」
「子供たちに、新鮮な空気が入り、明るく、陽当たりよく、広々とした教室と、涼しい寝室とを与え、また戸外でたっぷりと運動をさせよう。たとえ寒くて風邪が強い日でも、暖かく着込ませて充分に運動させ、あくまで自由に、子供自身の考えに任せて、指図はせずに、たっぷりと楽しませ遊ばせよう」
■参考文献
・『子どもの予防接種「義務」ではないが... 感染すると治療法なく重症化の危険』
・『病気はクスリで作られる!特効薬の販売で、「うつ病」患者が2倍に増えた』
・『ADHD、抗うつ、アルコール依存症、認知症など中枢神経領域の治療剤市場を調査』
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る