スピードを求める代償は!?犠牲になるのは味と栄養と安全性の現代食材考 | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

自然食業界歴15年の管理人が1日10分で医者にもクスリにも依存しない自然食実践術を公開。衣食住、生活環境、医を含めた医者ギライ・クスリギライのあなたに贈る!実践術をブログで毎日公開中!

「スピード最優先」


それは私たちの時代を象徴するものなのでしょう。

 

“まだなのか!”
“グズグズするな!”


常にこんなことばかりを言ったり、言われたりしているのです。

車に電話、航空機に高速通信。

かかる時間は飛躍的に短縮され、確かに便利になりました。

でも、

便利になればなるほど、

「忙しい!」
「時間がない!」


と、ますます時間に追われているようにも感じるのです。


そこで今回は適正な「時間」について考えることで、

 

医者を遠ざけ、クスリを拒む。

 

そんな生き方のヒントについて述べてみます。

 



 

■筋肉からの解放
スピードを志向する風潮は

 

「いつから始まったのか?」

その源泉を辿ってみると、

 

“産業革命”

 

に行き着きます。

“さんぎょうかくめい???”

そう後ずさりするあなたのために、少しだけ解説してみましょう。

これはジェームズ・ワットによる

 

「蒸気機関」

 

の発明によって始まりました。

蒸気船や蒸気機関車といったように、機械による

 

“動力の革命”

 

だったといえるのです。

産業革命以前の社会は、何といっても

 

「肉体労働」

 

それは“筋力“を主力にした労働体系と言えるのかも知れません。

馬車なら馬の筋肉が動力だし、農作業のタネまきも刈り取りも、人の筋肉が動力。

 

いわば

 

“筋力依存型社会”

体力に優れ、筋肉が発達した、熟練度の高い人物が

 

「高い評価」

 

を受ける時代、このような時代だったといえるのです。

思えば、「男」という字は、

 

“田んぼに力”

 

と書きます。

 

その意味は稲作で必要となる、有用で優れた筋力を持った者を指す言葉です。

ついでながら、国技の相撲は、余興というよりはむしろ労働振興のための


「力自慢コンテスト」

 

男性陣に優秀な農業者になってもらうべく体を

 

“鍛えてもらう”


それを狙ったのが相撲の起源といわれているのです。




■解放の時
産業革命は、

 

筋肉労働から機械労働への

 

「変化」

 

を決定的にしました。

機械がやってくれるのだから、強靭な肉体を必要としない。

 

それまでの筋力社会で周辺作業に追いやられていた

 

“女性”

 

にも、社会参加の道を開いたと指摘されるのです。

いわば体力や熟練を要する職人の領域を、誰にでもできるものへと

 

「解放した」

 

こういうことになるのです。

産業革命によって、スピードへの概念は

 

“激変”

 

するに至りました。

大量、かつスピーディーにあらゆるものがシフトしていった。

 

機械の登場は時間の

 

「飛躍的短縮」

 

を可能にしたというわけです。

それは私たちの意識に重大な影響を与えました。

その意識をズバリ言うと・・・、


“より速く・より多く”

生産性と効率を上げること。

 

ただ単に上げるのではなく、


「飛躍的に上げる!」

 

産業革命の本質はここにあるというわけです。

この革命を契機に、私たちの思考はスピードに傾斜し、それ一色に染め上げられていったのです。


■より速くより多く!
この流れは

 

「農業」

 

にも及んでいきました。

効率の悪い有機肥料の限界を破ったのが

 

“化学肥料”

 

の登場です。

それまでの糞尿肥料も確かに効果はあったけど、

 

どうにも

 

「粗さが目立つ」

 

目的達成に向け限界があったことも事実なのです。

ゆっくりとはしてられない。

 

“もっと速く・もっと多く”

 

を収穫するには、より精度を高めなくてはならない。

 

ピンポイントに根に届き、一気に成長させるための何かが必要・・・。
 

こうして、植物が育つためのカギとなる要素は

 

「チッソ・リン・カリ」

 

であることを突きとめられました。

 

その後は試行錯誤が続き、1913年に世界初の化学合成肥料が開発されるに至ったのです。


■抜け落ちたモノは?

確かに化学肥料は、

 

「より速く・より多く」

 

の収穫を実現しました。

 

化学合成農薬とセットで使えば、熟練の技など一切

 

“必要としない”

 

機械化が進み、農業は誰にでもできるものへと変わっていったのです。

でも、

化学肥料の目的は“より速く・より多く”の収穫を上げることだけ。

 

それだけが、

 

「唯一の目的」

そのため安全性や作物のクオリティー、さらには地球環境への配慮などは、

 

最初から一切、

 

“考慮されていない”

農薬とセットで、胃袋を満たすだけのものを大量に作るためのものだから、

 

安全性への配慮はスッポリ


「抜け落ちていた」

 

味も栄養価も一切

 

“関係ない”

 

「質よりも量」、何よりも

 

“スピード”

 

こればかりが最優先にされたのです。





■犠牲になるのは!?
これは医療の分野でも同じです。

一人ひとりの症状を詳しく

 

“問診・・・”


そんなことは手間がかかって、効率が悪くて、とてもやってられない。

 

「三分診療」

 

こそがベスト。

膨大な患者数をスピーディーにさばくには、病名ごとに患者を記号化する。


そしてパソコン上のデータにして管理する。


患者の顔色を見たり、触診したりするのではなく、

 

“パソコンの画面”

 

を見ることばかりに重点が置かれている。

 

「患者の取り違い」

 

が起こるのも当然というような状況下にあるのです。

野菜、お米、発酵食、畜産、医療、建築、学習、仕事・・・。

私たちはあらゆる分野においてスピードばかりを追い求めているようです。

“石の上にも三年”
“機が熟するまで待つ”

 

こうした言葉はもはや

 

「死語」

 

速効、速成、速習ばかりで埋め尽くされているのです。

スピード狂時代、そうした中、

 

いま一度、

“自然界は極端を嫌う”


この原則に立ち返りたいと思うのです。

スピードがダメなのでは決してない。

 

問題はその

 

「行き過ぎ」

 

にこそある。


適正な本来のスピードを見つめる視点も併せ持つ必要を感じます。

生命ある食材にスピードを求めれば、犠牲になるのは

 

“味と栄養と安全性”

 

になります。

 

それは食べることの本質からドンドン外れていくことを意味しているのです。


食材にいま求められているのは、スピードではなく、

 

「生命力」

 

命を育み、命を養えるだけの力を持った食材の開発。


以下の食材群が健康で安全な食卓作りの一助になればと思います。
 

自然栽培米と天然菌の発酵食品を入手できるお店リスト

 

 

 

 

自然食業界キャリア15年のOBが綴る

無投薬・無医療の生き方マガジン!

 

 

 

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村