shiz-7のブログ

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70歳の記念に始めてみました。
日本カウンセリング学会員で社会福祉士です。
結婚前は、東京大学宇宙航空研究所勤務。子育て中は、くもんの教室を15年、男女平等推進センターの相談員、社会福祉法人に20年勤めました。
今は毎日が日曜日。日常雑感を書いています。

冬空が気持ちの良い勝沼です。

 

 

100歳と6日、、、

とうとう母が眠りにつきました。

 

敬老の日に、市長さんが100歳のお祝いに来てくれたときに、「本当の100歳の誕生日は12月17日だから、その日までは頑張らないと悪い」といっていました。真面目な母ですから、ちょっと早い100歳のお祝いに義理立てせずにはいられなかったんでしょうね。

 

 

 

11月下旬から体調が優れず起きている時間が減り、病院のお世話になっていたのですが、私が具合悪くしているから知らせないようにと、弟に言ったそうです。私は、今月10日頃やっと体調がもどり、ぎっくり腰も良くなった頃に、息が苦しい、食事が取れない、と聞いて駆けつけてから2週間、ずっと一緒にいることができて感謝でした。

 

 

100歳の誕生日。

昔、仲人をして、その子供の名付け親にもなっていたので、今も毎年ケーキをいただいてます。

本人は残念ながら、もうおかゆくらいしか食べないのでケーキは孫と子の口に。

 

いつも来ていた猫も、母の様子が気になるのかじっと座っていました。

 

 

 

 

100歳と2日目に、私の次女が会いに来たら、とても喜んで「嬉しい、嬉しい」と何度もハグしていました。

3日目に来た長女には、あまり声が出ませんでしたが、笑顔で喜んでいました。

4日目には、意識が薄れ傾眠状態が続き、6日目に、眠ったまま静かに息を引き取りました。

とても穏やかでほっとしました。

死因は、一ヶ月前の検査で判明した「進行性結腸がん、心不全」とのことでした。弟が昼夜ずっと献身的についていてくれたので、母は安心できたと思います。

元気に長生きする人は長く病まない、と聞いていましたがそのとおりでした。母の我慢強さもあるかもしれませんが、、、

 

今日は弟と家族葬です。

次女が100歳のお祝い写真をレタッチしてくれたのでこの写真と一緒に。

寂しいですが100年、よく働いた年月、、りっぱな母を、感謝で送りたいとおもいます。

 

 

母が毎日見ていたぶどう園に鳥が来ていました。

 

 

 

 

 鷲田清一氏のコラム、「折々のことば」を楽しみに読んでいます。いつもとても深い含蓄のある言葉が取り上げられていて、啓蒙され、刺激を受けています。今朝のは、中江兆民の

「我立憲政治はいまだ発達せざるに早すでに敗壊し了(お)わらんとせり」という言葉を引いています。1901年、最後の新聞論説「議事体の敗壊」の書き出しだそうです。 議員には買収とは別に元老からの圧力がかかる。その「非義」はもっぱら意思の自由の束縛、ひいては議会の独立の毀損にあると。

鷲田氏の言葉はこうです。

「〜爾来、どれだけの政治家が公的な責務より地位の維持を優先してその主張を変え、殖財を図ってきたことか。敗壊とはつゆ思わずに」

思わずそうそう、と共感しました。

その下に「天声人語」

 アメリカでは、トランプさんが、2世紀以上の歴史ある1セント硬貨の製造を終らせ、来年、建国250年記念1ドル硬貨の発行を考えているそうです。むろんこれには自分の肖像を刻むらしく。

「〜が、そこにはトランプ氏自身の肖像を刻むというから億面のなさには全く恐れ入る」

とあります。

思わずくすっと笑ってしまいました。確かにリンカーンより自分!と言いそうですね。

一方でこれにも思わず吹き出してしまいました。

「〜ある人が息子の将来を占った。聖書と林檎と1ドルを彼の部屋に置く。 息子が聖書を掴んだら聖職者に、リンゴなら農家に、1ドルなら銀行家にしよう。しばらくして部屋へ行くと、息子は聖書を尻に敷き、りんごを平らげ、1ドルをポケットにしまっていた。そこで息子を政治家にした」

 

 

 11月はなんだか不調で憂鬱な日々でした。母のこともありがんばったのでしたが、21日頃からひどいぎっくり腰になって起きられなくなりました。骨粗鬆症で背骨がどうかなったのかも、、と考えるのも嫌で、みんな年のせいと寝ている自分を騙しながら12月もはや4日。痛みは続くけど、いい加減しゃんとしなくては、、と新聞を眺めていたら面白くて気分転換ができました。そろそろとベッドを出て、近所をひとまわり。

澄み切った冬空です。風も冷たくなりました。しばらく外に出ないうちにパッと冬になったようです。

 

 

もうお正月を迎える準備でしょうか。あちこちの庭木がきれいに剪定されていました。

 

アドベント、クリスマス、師走、そしてお正月。もうあとは慌ただしく過ぎていく12月。

落ち着いて風邪を引かずに乗り切ることができますように。

 

 

 

 

 

 

勝沼は、秋の色が深くなりました。

ご近所の庭も秋らしい色合いに。

 

母は、めっきり足が弱くなってしまい、立ち上がり、歩行が不自由になりました。

デイサービスで入浴したほうが安全だと思い説得して、初めての認定調査を受けることに。

母は、父の介護を一人で10年もして看取ったので、自分が人の世話になるというのが「情ないことになってしまった」と考えるようです。日頃近くで面倒を見てくれる息子(私の弟)にも、同様に思っていることでしょう。

認定結果が出る頃には100歳の誕生日です。

もっと本来の明るい気力が戻ってほしいと思いながら一旦帰宅しました。

 

ルピナスヴァレーからのおたよりが届いていました。

あちらはもう冬に向かってまっしぐらなようですね。

 

ご近所でも秋が進んでいます。

 

にわか雨の砧公園

 

長い事、暑い暑いといいながらも、季節はそれなりに移っていきますね。

今月の前半は、起きるのもやっとなくらい原因不明の不調でしたが、摂食して寝ていたらだんだん治っていきました。なんだったんでしょうか。

具合が悪いときは、なにもかもが億劫になりますが、狭い庭の小さなバラやスミレに癒やされました。母も庭に出て日に当たることができたらいいのですが。

 

そんなこんなで11月も大半が過ぎ、やっとこのブログも5年続けることができました。

こうして時々、覚えとして記録しておこうと思いました。

 

なによりも普通の暮らしの幸せ。戦争しない、平和な日常がつづきますように。

毎日が平安でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日山梨から帰ってきました。

秋晴れで久しぶりに爽やかな風と青空。

山もぶどう畑も少しだけ色が変わって秋の風情です。

 

母がこのところ野菜の手入れも何もできないので、こぼれた種から、道の真ん中まで、こんなに花が咲きました。

奥に見えるのは、大きく育ったミニトマトのブッシュ。たった一株なのにもう大木です。

まだ青い実をたくさんつけています。

 

ナスもたった一本ですが、毎日2個くらい実ります。

 

雨が続いたので外出できない日が続き、母はすっかり寒がりになって何枚も着込み、晴れても外に出る気力が失せたようです。食事の量も減りました。

お風呂が大変になったので、いよいよデイサービスにいこうか、という気持ちになったようです。今から介護申請出しても、今年中に認定が下りるか、どうか、、

「トイレに行くのも一苦労。つい、オックウになって横になっていると、どんどん色々なものを忘れていく。このままばかになるんじゃないかと思う。やはり年相応なのかね、、」

と呟いています。

対面ではなんとか話が通じていますが、テレビやラジオの音声は言葉が理解できなくて、興味がなくなってしまったようです。1人で横になっていたら、何も聞こえず、きっと不安になっていることでしょう。さりとて、一日中話し相手もできず。

先日は、押し入れの片付けと衣替えをしました。

 

テーブルに、みかん、かき、りんご、バナナなどを切って、つまめるようにしておくと少しずつ口にしてくれるので私の気持ちも少し楽になるのですが、このまま食事量が減ると心配です。

 

 

今日は、久しぶりに蘆花恒春園に行ってストックの甘い香りを堪能し、

世田谷美術館で「利根山光人の旅 異文化に見た畏敬と創造・自然と魂」という展覧会を見てきました。

 

刀根山先生は、夫が小学生の頃、家が近くだったので2年ほど先生のアトリエに通って絵を教わっていたそうです。何を教わったのか、今となってはあまり覚えていないそうですが、アトリエに大きなピアノがあり、奥様が弾いていたと思い出したようです。

 

「先生の絵、印象が全く違う」と夫が言いました。

夫が教わっていた頃の先生の絵は、夫の実家にもあるのですが油絵が中心で、ラフなタッチでした。

今回の展覧会では、先生がマヤ・アステカ遺跡やメキシコ旅行の後で描かれたカラフルなものが多く、リトグラフ、パステルなども用いられ、夫の中での先生の絵の印象とは全く違ったものになっていたようです。

様々な手法で描かれた原初のエネルギーへの思いと、たくさんの拓本、蒐集品に先生の驚き、畏敬の念が詰まっているようでした。

 

砧公園で拾ったどんぐりとぎんなん。

 

平穏な生活に感謝しつつ、、

 

 

 

 去年、「ヒバクシャ」として知られる、広島、長崎の被爆者らの草の根運動による核廃絶への努力、また核兵器を再び使用させないための証言活動を継続してきたことで日本被団協がノーベル平和賞を受賞した時に、ノルウェーのノーベル委員会は、あまり忖度をしない委員が多いのかなと思っていました。

今年は例のアメリカ大統領が早くからノーベル平和賞を狙ってアピールしていたので心配していたのです。

この記事に取り上げられた委員長のフリードネス氏が、2021年に委員会入りしてから、草の根で活動する受賞者が目立つと書いてあります。

「共通するのは、民主的であるという点。集い、最善の道を議論し、信念のために立ち上がる。こうした平和的な抵抗こそ、世界を実際に変えられる」という視点です。

去年との共通点は、「個人の力が大きな変化をもたらしうる」と示したことです。

マリア・コリナ・マチャドさんという方を知らなかったのですが、「ベネズエラの民主主義移行への推進力だ」と述べたそうです。勇気ある反政府的運動家でしょうか。当のベネズエラのテレビでは受賞のニュースは流れず、ネット媒体では、否定的に報じられているそうです。

 

 

見渡すと、今現在の世界が、普通の平和を求める人に批判的な感情に傾いてきたと危惧します。

ネットでこのような世論操作をしている団体も多いと感じます。

 

古いSF映画『地球爆破作戦』(1970年公開)を観ました。

原題はColossus: The Forbin Projectというので、この日本語の題名とは少しズレを感じましたけど、賢いコンピューターに人間が支配されていく様子から、逆説的に平和というものを考えさせられました。

学習するコンピューターが人間の歴史をどのように見てより良い社会のために何をするのか、、、それは現代のAI 人工知能があらゆる分野で人の役に立っているばかりではなく、将来、人の思惑を超えて、大きく影響を及ぼすのではないかという心配を具現化するような気がします。

 

米ソ冷戦は1989年に終わったとされていますが、作品公開時は冷戦下のアメリカです。ミサイル防衛のためのスーパーコンピューターを開発しますが、時を同じくしてソビエトでも同様のコンピューターが開発されたのです。

このコンピューターたちは大いに人類について学び、互いに結束して世界平和のためにどうするのか計算し、「平和の敵は人類である」との結論に達したようです。それで開発した博士を仲介人として独裁者のように命令するコンピューター。アメリカもソビエトも自国の有利を図るのですが、相手は賢い計算機なので、損得、忖度、人情や人の都合など眼中になく、冷静に処理を始めるところで、映画は終わります。結末ははっきり描かれていません。

 

確かに長い歴史を学ぶと、人は戦争ばかりしています。普通の人がいくら平和を願っても、結局、平和のために相手を叩き潰すという考えは変わりません。今現在もそうです。

 

将来、人工知能、スーパーコンピューター、AIが平和を築き上げるかしら、それは私達の願う平和なのかしら、、、と疑問に思いつつ、「平和の敵は人」という実感があるだけに暗い余韻が残ります。

 

ノーベル平和賞がその名にふさわしい人や団体をこれからも選んでいって欲しいと思います。

 

 

うれしいことに、いつもの「やまのたより」が届きました。

あちらはすっかり秋になった様子。美しい写真に癒やされます。

二太郎さんのお誕生日はとてもあたたかい雰囲気ですが、レイチェル・カーソンの別荘での数奇な出会いとか、大きな恵みに満ちていると感じます。

健康が支えられ、これからも良いお仕事ができますように。

とにかく平和で安心な日々が守られますように。