前回、薬を使用していないので、転院してください宣告を受けてから、

はじめての膠原病診察日 

 

今日は、今の心境を書いてみようと思います。

 

ベンリスタをやめて、薬を全く使用しなくなってから、

約半年がたちました。

 

結果は、現状維持で、ほぼ変わらずです。

 

とにかく、

薬がなくなって、嬉しい。

でも、再燃の怖さもあるから以前より、無茶をしなくなった。

 

外出したら休む、という生活を続けられている自分にまず感謝。

 

心は常にさざ波です。

心の安定って難しい。

 

最近、ちょっといろんな事に降参した感がある。

 

体調がよくなってきたら、

ボランティアやろうかな、

占い師(卍易風水師)として、もっとインスタやって集客したり、

マーケットとかに出店したり、しなくちゃ!とか、

なにか、やらなくてはいけない、と頭をよぎった。

 

以前の私は、いろんな所に出かけて、アクティブだった(と思う)

周りは子育て、仕事に忙しそう。自分で起業して、

占星術だったり、セラピストだったり、自分でお金を稼いでる友人もいる。

とにかく周りは人生を謳歌しているようで、焦る自分もいた。

 

でも、最近、降参した。

 

まず、そもそも、元気に生まれてきてないという事実を

もっと受け入れる事にした。

シトリン欠損、そして、膠原病体質。

幼少期は、一ヶ月の半分は喘息で休んでいた。

社会人になってからだって、朝はほぼ起きらなかった。

でも、朝遅く行っても全く問題ない会社で、働けていた。

(ほぼ毎日遅刻だけど、フレックスとか時間差で、当日朝電話すればOKというゆるさ)

5社転職したのに、毎回、そんな会社だった。

 

たまたまはない、と最近おもう。

 

人間って不思議。

自分で、人生を選んで、自分が人生を創っている、という人がいるが、

その考えが妙にしっくり来るようになった。

もちろん、その人の人生の課題はあるんだろうが

 

とにかく、自分で努力して出来る事も限界がある。

健康な人と比べても仕方がない。

その人は、そういう身体を選んで生まれてきた。

 

健康だった昔の自分に戻ろうとしても、仕方が無い。

 

それに、老化もしてる。

 

今できることをやる。

 

直感で行動して、

動いたから、結局必要なものは、手に入れている。

 

人間は自分は自分が心地よい生活を

思い込みやらエゴやらを削ぎ落として、

知らず知らず、作り上げているのかもしれない。

 

前は社会から切り離されたようで孤独だった。

 

仕事もしてない。

子どももいない。

 

子どももいないと、女性は、子育てコミュニティから断絶されてしまう。

しかも、ほぼ、みんな子育ての話が中心だったりする

(たまに独身の人はいるけど、そういう人は仕事の話一辺倒)

 

おひとりさまのコミュニティにも入ってみたが、

そんなに心の隙間は埋まらなかった。

 

でも、最近、ひとりでいる時間でも大丈夫になった。

 

敏感で過敏で、いろんな気を読み取って、感じて生きているから、

病気にもなりやすい。

だから、ひとりで過ごす時間が大切。

 

そういう私なんだ、と妙に納得したような気がする。

 

病気とうまく付き合いながら、

自分の心地よい、を維持すること

 

一番難しくて、一番やりがいがある事、なのかもしれない。