とあるワークショップに参加しようと思っている
何のことはない、手作り作品をつくるワークショップなのだが、
ランチ付き、だった。
シトリン欠損症の私
ワークショップには出たい。
でも、ランチは食べれないものがあるかも、知れない。
だから、いつも行きたいけど、行かないという選択をしていた
今回は、食べれないものが多いから、
タッパ持参で参加したい、と伝えた
案の定、アレルギーと思われて、
ダメな食材を聞かれた
気持ちは嬉しいけど、栄養素
簡単に炭水化物と糖分がNGなので、
食べれるかどうか、
自分で判断するので、お気遣いなく、と返信した
それから、
せっかくワークショップに参加するのだから、
できれば一緒にランチを。。という善意の応酬がはじまった
嬉しいけど、嬉しくない
ご自身の細胞や体に食べられるか聞いて、
丁寧に生きているんですね、と好意的な文なのだが、
丁寧に生きるのは良いけど、大変でしょう、と
可哀想だわ、という心が滲んでいる文が添えられている
食べることに大変だ、と思った事はない
だって、食べたくないものを食べてないだけだから。
食べたいものを食べているだけ
大変なのは、周りへの説明や
人間社会への対応の仕方
理解は求めていない
理解される事は、決してないからだ
それより、大変で苦痛なのが、
その後の会話のやりとり
炭水化物が食べられない、と聞いた後の
何度かやりとりされる内容
「え?白いご飯を食べない?」とびっくりされた時の返し方とか
「何食べてるの?」という問いに答えても
全く理解されずに、せんぺいは?果物は?と質問攻めされる苦痛
友達とご飯行くときの店選びは限られてしまう事の
申し訳なさ
今回、可哀想、と思われている事をあらためて痛感
うすうす、そこも感じてはいたけれども
あれも、これも食べれなくて大変
可哀想よね、、、
そんな風に思ってほしくない
私は可哀想、じゃない
その受けた痛みを消し去る方法は
まだ見つかっていない