円座というものがある。


数年前に聞いた円座の存在。



記憶の彼方に忘れていた。

そして、何年かたって、去年から

また、私の前に現れた。


かねてより、興味があるのだが、

気持ちが、参加に合致しないせいで、

参加はしていない。


今日また、円座に参加した友人からシェアされた。


円座とは、一見、

ただ、話をするだけなのだが、これが深い。

話す、という行為は、実は

自分の奥深い所が映し出されるのだ。


私の友人は夏に踊りの発表会をした。

参加者の1人が、その感想を話し出した。


〇〇さんの踊りは、自分を表現していず、

うちに篭っている。

〇〇さんは、(もっと自分を表現して

他の人に伝えるために)

円座にもっと参加する必要がある、というような感想だったらしい。


いらないアドバイスてんこ盛りである。


ある人が、なぜ今頃、それを言いたかったの?と

質問した。


彼女の答えは、

今まで、〇〇さんが聞いてこなかったから、だった。


〇〇さん、私の友人は、

誰かに見せるためにやってはいない。

自分の満足の中で踊っている。


ただ踊ったどけなのに、

他の人の視点が入った途端、

その行為は、他の形に変わって行くのだ。


その踊りの感想を言った彼女は、

普段とても謙虚だそうだ。

そして、いつも、私なんて…という感じ。


忙しいと良く言うという。

忙しいから、〇〇がやりたくても出来ない、と

いうような内容だそうだけれども。


円座では、

いきなりの上から目線で、こうあるべき、

こうするべきだ、が出てきた。


円座の場は恐ろしい。


普段は謙虚で、

へつらっている態度の裏側の本音や

深層心理が出てしまう、という場なのだ。


場のエネルギーとでもいうのだろうか。


いつか、参加しようと思う。