ここ最近なのか、数ヶ月前なのか…

歳のせいなのか、よくわからないけれど、

なにか、変化している。


30代くらいは、よく自己啓発系のワークショップに

出たりしていた。


最近は、全然気持ちが動かない。


間違っている、とは言えないけど、

やたらと、何か問題があると、

幼少期の親子関係を持ち出して、

深掘りしていく人たちにも、

前はあんなに共感していたのに、

ウンザリしている自分がいる。


原因探し、はもうやめたいのかもしれないし、

それだけ、が、今のあなたを作った原因ではない、

と言いたくなる。


ここまでに、親だけじゃなくて、

いろんな人たちや環境があって、

今の自分があるのだから…


要因はひとつではなくて。

今を感じたい。


知り合いに、モラハラで

離婚しようか迷っているという人の相談を受けた、という話をされて。


それでねー私、まず、あなた自身が

心を平穏にする、っていったの。

それが、きっと、相手にも伝わるから…


みたいな話を聞かされて。


確かに一理あるけど、

まず、モラハラ受けて、心の平穏が保てるなら、

相談にこないと思う…と思ってしまった。


義兄が知的障害だ、と言ったら、

そういう人は、

人類に必要なんだ、みたいな事を言われて。


そんな壮大?


特殊な能力がある人も多くて、絵とかすごいの

かけるんだよ、と、さも、新しい情報を

教えてあげる、みたいな口調で言われた。

本、貸してあげようか?


ねむの木学園ですか?と聞いたら、

ポカーンとされて…

他の所だったらしいけど。


そして、

いやいや、そういう事ではなくてだね。


絵がうまいから、といって、

生活ができるわけじゃなくて、

そして、障害者がかいている、ということに

視点があることに

なんだか、イラッとして。


健常者の世界で価値があるように

障害者を語るのはやめてほしい、と

思ってしまった。


素敵な絵がかけなくても、いいんだけど。


全部話をわかってるのか、

わかってないのか、

こっちとしては、わかんないような

会話とも言えない会話が続いても。

突然バスケの話をされたり、

ニュースの話をされたりして、

え?今?それ?と思うけど。


全部大丈夫です、と

全然大丈夫じゃないのに、答えてしまう

その歯痒さを抱きつつ、

しょうがない、と

存在していることを実感する毎日。


ただ、存在して

ただ、生きている、という事を

まるっと全部受容していく義兄をみて、

なにも言えなくなる


本は借りなかった。


そんな人がいることも知ってるけど。

本も沢山読んだし。


でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだった。

絵なんか描けなくたって、

存在している、ただの1人のオジサン。


確かに、素晴らしい絵を絵を描く人もいるだろう。

でも、なんか、

最近流行りの感動ポルノ?に聞こえたんだ。


私も大人なので、

え?本ですか?ありがとうございます!とか言って、

でも、今はいいですぅーと逃げた。


一応、社会性を保って生きている。


ちょっとづつ、

なにか、私の深い価値観が

刺激されている時期なのかもしれない…


そう思う満月の夜