出会いは不思議だ。

 

会った時に「ビビビ」とか

結婚するかも、という予感は

イチミリもなかった。

その場では、一言も

会話すらしなかった。

 

はじめて会ったのが、

子供の日。

森の中。

 

それから夏くらいに

はじめてデートらしいものをして。

でも、デートではなく、

2人で会いましょう、(どう違うか分からないけど)

という事だった。

 

それから、ずっとなんとなくの

頻繁にも会う事はなく。

 

連絡だけは、なんとなく

とっている関係で。

 

それが、出会いから

半年でいきなり付き合う事になって。

一月後には結婚することになった。

 

あんなに、結婚、したい、と思っていたが

よくわからない「結婚」という二文字に

踊らされていたのかもしれない。

 

結婚すれば、幸せ。

結婚さえすれば、もう安心。

すべて、なにもかも

不安も虚無感も吹き飛ぶ。

そんな風に思っていた。

 

でも、結婚とか、そんな事より、

とにかく、ずっと一緒にいたい、と思った。

 

そう思った時に、

あぁ、これが、「結婚」というピリオド、ではなく、

続いていく新しい道なんだ、と

感じられた。

 

そして、あっという間に、

大切な人になった。

 

今、膠原病で

診察で一喜一憂して。

 

そんな私を、変わらず「大丈夫」と支えてくれている。

 

精神的な支え、本当にありがたい。

助かっている、なんてもんじゃない。

 

=====================

あの時の出会いは必然だったのだろう。

 

そのころ。

 

大手企業のOL.

友人もいて、仕事もあって、

職場でもやりがいがあって・・・

 

でも、何かむなしさ、が

そこはかとなく、いつもあった。

 

いつも孤独で、

いつも虚無感があって。

 

孤独を消す何かを求めていたのかもしれない。

 

結婚。したかった

合コンいきまくった。

友達に会うたびに

「誰か紹介して」といい、嫌われたチーン

 

結婚できるパワースポット

恋人と出会う神社。

いきまくった。

いつ、会えるのか。

ヒーラー、チャネリング、会いまくった。

 

モテル、と言われる

服、髪型、真似をした。

合コンでは、それなりに受けが良かった(と思う。自己基準)

 

結婚相談所にも入った。

なんか、システムにつかれ、

すぐに退会した。

 

でも、私の探しているものは

ちっとも見つからず。

 

婚活と同時に、

チェンジザ・ドリーム という活動に入れ込んでいた。

 

孤独もあったし、と思うし、

残業が多い会社の生活や

やりがいのあるポストを任されながらも、

この経済活動は

自分や自分のまわりを幸せにするのだろうか?という

素朴な疑問もあった。

 

自分がやっている仕事が

間違いなく、地球も傷つけて、

疲弊させているという事実。

 

心に痛みがあって、

なんとかしなくては、と思っていた。

 

そうそう、農業にも手をだしていたなぁ。

 

とにかく、いろんな事に不安があって、

焦っていたように感じる。

 

みんなと同じように

素敵な人と結婚して、

家庭ももって、

経済的に支えてもらって、

楽しく生活して・・・

なのに、なぜ私は普通の人の幸せが手に入らないの?

あの人より全然容姿だっていいはずなのに・・

(今から思うと、最悪な発想。

そういう問題ではない、と今は思うけど)

 

どうしたらいいの?

 

地球と人間が健やかに

共存共生していくのには、

今のこの会社生活は間違ってるんじゃないの?

(でも、そこからお金はもらっているよ)

やめたらいいのかな?

何が本当に正解なのかな?

 

どうしたらいいの?

 

いろんな事で悶々としてた。

 

こんなに頑張っているのに・・・

ダレカホウホウヲオシエテ

 

チェンジザ・ドリーム繋がりで知った

ふたこわたるさん

 

当時、まだお会いしていなかったけど、

コミュニティの中で話題の人だった。

プロセスワーク というはじめて聞く手法。

どうやら、それを使っている人らしい、

とても、すごい人らしい、という

噂とともに、興味をひいた。

 

彼が三浦半島でワークをする、というので、

いてもたってもいられなくなり申し込む。

「死と誕生」というテーマの

森の中で行うインディアンの智慧の

要素がつまったワークショップ。

 

当時、ネイティブ、という単語も

森にもほぼ興味がなかったが、

ふたこさんに会ってみたい、という気持ちのみで参加。

 

彼とはそこで出会った。

 

はじめて会った時のことは

まったく覚えていない。

会話もまったくしていないのだから、

当然といえば、当然。

 

それが、

出会わないような

駅のホームとか

乗っている電車の中とか、

ばったり運命的に会うことが数回。

 

神様の計らいなのだろうか。

 

奥手な私たちの背中を

ぐぐぐっと押してくれた。

 

森がよんでくれたのかもしれない。

 

今だから、言える。

 

偶然なんてものはない、

全て必然で、この世はパーフェクトなんだろうな、と。

 

ということは、病気も必然・・・なのだろうが、

ここは受け入れられないから、

保留にしておこう・・・

 

でも、書いてみて、

病気に対しても、

「方法」を探して頭で考えすぎなのかもなぁ・・・