「虚しさと共に生きるという、老いの成熟」
後期高齢と呼ばれる年齢になって、私はようやく気づいた。若い頃には当たり前のようにあった体力も、気持ちを押し出す勢いも、いつの間にか静かに減っている。朝起きて、家事をこなし、少し仕事をし、語学の勉強をしても、ふと胸の奥に冷たい風が吹くような虚しさが忍び寄る。こんなに頑張って、いったい何になるのか——そんな問いが、以前よりも深く沈むようになった。
そんな折、ふと古歌を思い出す。「世の中は かくこそありけれ 逢ふことも 別るることも ありて見えけり」、人は出会い、別れ、喜び、失望しながら生きていく。虚しさもまた、人生の景色の一つなのだと、この歌は静かに教えてくれる。
老いとは、若い頃には見えなかった“影”を受け入れる過程でもある。体力が落ち、気力が揺らぐからこそ、私は初めて「生きるとは何か」を静かに見つめ直す時間を得たのだと思う。若い頃は前へ進むことに必死で、立ち止まる余裕などなかった。今は違う。立ち止まることそのものが、人生の一部になっている。
虚しさは、世界とのつながりを求める心の声でもある。家族の笑顔、誰かとの短い会話、季節の移ろいなどが、かすかな光となって胸に灯る。大きな成果を残すことよりも、今日の小さな温もりを丁寧に受け取ることが、老いの時間を満たしてくれる。
虚しさを抱えながら歩くこの日々こそ、人生の最終章に与えられた“成熟の時間”なのだと、私は静かに思う。