袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願
一休禅師
普段から私達は、意外とほんの些細なことでも自分の価値基準を、誰か他の人に置いて生きている可能性がある
両親、パートナー、親友、メンター、憧れの人…
そして、それを、ほとんど日常において、無意識的に行なっている場合が多い
結局、それでは他人軸として生きてしまっている事になる
当たり前の事だが、自分自身の為にも、ここで一言言っておきたい
「あくまでも自分自身が主役で、自分自身こそが神である」
本当の意味でそこに腑に落ちて、気付いて生きて行く為には、あくまでも自分自身の感覚を研ぎ澄まして、そこから来たものを行動に移して行く事しかない
そして自分自身の感覚を研ぎ澄まして行く為には、先ずは自分の思考を静めて行く事が必要となる
そうでなければ、いつまでも他人の言葉に右往左往し続けてしまう
頭での判断ではいつまで経っても他人軸となる
只々自分の感覚だけを信じる
感覚は決して考えない
いや、
考える事は出来ない
感覚は感じるだけ
また
自分が思っている感覚は、本当は感覚ではなく、思考と勘違いして、それが感覚だと思っているケースが往々にしてある
何故なら
毎日の生活の中で思考が不安や恐怖、心配に支配されていれば、決して自分の感覚とつながる事は出来ない
今日も瞑想を続けましょう!