去年5月の話をしておきます。 | 紫雲和尚の爆書きによるラディカルイノベーション

紫雲和尚の爆書きによるラディカルイノベーション

1級FPであり、中小企業診断士でもある和尚が、えらっそうなことを申し上げるブログです。
クリステンセン教授が提唱したラディカルイノベーションをこのブログで起こしてみる所存です(2016年1月4日

一昔前、このHNではなく相当下品なブログを書いていた頃、
アメブロのNGワードに引っかかって、「表示出来ません」のようになったけど、
今回、「タヒ」って書いてアウトにならないことを祈りつつ。

数年前だったか、飯島愛がなくなったとき、
ブログのコメントが増え続けている、と言う話があった。
今覗いてきたら、7万コメント超えてた。
(彼女が亡くなったのは確か2008年)

彼女のように、有名人が亡くなった場合、
「なくなった」と分かっていて、コメなんかを置いてくるのは、いい。

亡くなったことを知らず、コメを残して、
「最近返事こないなあ、あいつ記事も更新していないし、もうSNSやめたのかなあ、もともと飽きっぽい奴だったし」
とか、自分なりの解釈で返事がないことを腹におとし、現実を知るよしもない、というのはどうだろう。

今日はこの話題。

ブログのあちこちで書いてきたが、私は去年の5月に年の離れた友人Hを、なくしている。
あまり書きたくないような理由でだ。(お察しください)

実はその日、さらに別の友人Nさんと3人で呑むことにしていた。
数日前にメールを送り、その前の年に試験の前にも呑んでて「ゲンカツギ」の意味もあって、3人で飲みたいと思っていた。
メールの返事はなかったが、上記のごとく
「まあ、あいつのことだから、返事をさぼっているのだろう」
と、当日昼頃、彼の会社の社長から、
「あのね、和尚、H君が‥(以下略)」
何を言ってるのかわからんまま、電話を切って、仕事は手につかず、Nさんに連絡、一緒に式場へ。

飲み会が、通夜になってしまった。
行くのが遅くなってご家族だけの控え室へお邪魔した。
44歳、久し振りに大泣きに泣いた。

それから、半年以上経つが、なんだか昨日のような気がする。

昨日からのFB祭りで彼の経緯を知らなかった方が現れた。
それで、その人に語らねばならない機会がある。

自分も彼と同じように、非常に近しい人しか存在を知らせなかったのに、こうしてブログ書いたり、FBでいいね、とか言ったりしてる。
彼はFBの写真で笑ったままである。

なんだか不思議な気がするが、現実だ。

なぜ、そうなる前に、彼の心をこじあけてやらなかったのか、
それを思うと、自分の不甲斐なさが嫌になる。

彼のFBが廃止されてないのが、ますます、むなしい。

今年の5月迄に、お墓参りをせねばと思っている。