このブログでも「宇宙のはじまり」や「インフレーション理論」について

書いてきました。

 

もちろん、「インフレーション理論」が正しいとしても、

「僕の信仰」にはなんらの揺るぎも起きませんでした。

 

そこで、今日は

「天地創造とインフレーション理論」

についての僕の考えを書いてみたいと思います。

 

 天地創造 (システィーナ礼拝堂:バチカン)

   

1) 宇宙のはじまりと天地創造

   これまでにこのブログで、

「宇宙のはじまり(インフレーション理論)」について書いてきました。

例えば、

 

 

そこで、インフレーション理論について詳しくは書かず、

「量子力学からすると、真空の揺らぎ」によって、

「宇宙は始まった」ので、「神」など必要としない

という「批判」への僕の考えを書くことにします。

 

僕には、この「批判」を理解できません。

まず、科学は常に進化し続けますし、「インフレーション理論」も

まだ、完全ではありませんが、

 

それを置いたとしても、

「量子力学に支配される時空」はなぜ、存在していたのでしょうか?

別の言い方をすると・・・

「物質と反物質が生成消滅を繰り返している真空という時空間は

いつ、どうして存在したのでしょうか?」

あるいは

「量子力学に支配される空間」はどうして「存在したのでしょうか?」

 

上記が示されたなら・・・

「神による天地創造なしに、宇宙は始まった」

と言えることは否定しません。

 

ただ、現代では、非常に不思議な「量子力学に支配された時空間」が

今、ある時空間を説明するものであるという「知識」を得ましたが、

 

だから、「神なくして、天地創造された」ということはできても、

それは、

「天地創造」を「量子力学に支配される空間はなぜ存在したのか?」

という課題に変えただけだと思うのですが・・・

 

2) 天地創造物語

 また、

「地球ができてからでも46億年経過しており、

 6日で天地が創造されたのではない」

という人がいますが・・・・

 

これも、僕にはとても不思議です。

例えば、1メートルは1000ミリメートルであるように、

上の質問は

神の6日が地球の46億年

であれば済むことだとおもいます。

 

人に「天地創造」を話すとき、たとえ話になるしかないことは

自明だと僕には思えます。

 

それは、僕が数学・物理・工学を文系の人に話すときに

たとえ話で、その意味することを伝えます。

 

なぜなら、正確に伝えようとすると、

基礎となる算数=>数学、理科=>物理=>工学と順に話すと

話は長くなり、本当に伝えたかった「意味」がどんどんぼやけるからです。

 

このブログの中で、これから信仰で記載されている言葉と

現代社会の認識の間の違いを書くつもりですが・・・

 

天地創造物語とインフレーション理論のように、

旧約聖書や新約聖書の時代に、本当に伝えるべき事柄の真意を

伝えるために、書かれたものを科学などの人類がやっと獲得した

知識を否定するのではなく、アップデートされた知識から

旧約聖書や新約聖書の時代の言葉の意味を再定義すればいいだけ

と僕は思っています。