今回はこれまでに何度か書いた論語からです。
「忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む」
原文:
子貢問友。子曰、忠告而善道之、不可則止。毋自辱焉
読み:
子貢友を問う。子曰(いわ)く、忠告して之を善道し、
不可なれば則止む。自辱(はずかし)めらるること毋(なか)れ。
意味:
子貢が交友の道をたずねた。先師はこたえられた。
「真心こめて忠告しあい、善導しあうのが友人の道だ。
しかし、忠告善導が駄目だったら、やめるがいい。
無理をして自分を辱しめるような破目はめになってはならない」
(下村湖人『現代訳論語』)
とても興味深いのは、
この論語とほぼ同じことを述べている聖書の個所が
あります。
===マタイによる福音書 18章15-17節====
15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、
行って二人だけのところで忠告しなさい。
言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。
すべてのことが、二人または三人の証人の口によって
確定されるようになるためである。
17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。
教会の言うことも聞き入れないなら、
その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
(注) 異邦人か徴税人の意味
関係ない人として、放っておくこと
====
どちらもほぼ同じことを言っており、
何か問題があれば、1度は忠告するが、
それを無視するような人は放置して、友として付き合うのを
やめなさい。
というものです。
そして、今、僕は、兄妹に
父母は、こんな状態だったから、世話をすべきだったでしょうと
言った。そして、裁判所にも、世話すべきでしょう?
と尋ねた。
でも、兄妹も裁判所も、放置してよいのだと言った。
だから、僕にとって、兄妹も裁判所も放置すべき異邦人となった。
異邦人
(出典:イラスト素材:ドレッドヘアーの黒人)