たまに、思い出す有名な聖書の言葉があります。
「ルカによる福音書11章 9-13」
文語訳だと
====ルカによる福音書11章11-13====
9: われ汝らに告ぐ、
求めよ、さらば与へられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
10: すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、
門を叩く者は開かるるなり。
11: 汝等のうち父たる者、誰かその子魚を求めんに、
魚の代に蛇を与へ、
12: 卵を求めんにさそりを与へんや。
13: さらば汝ら悪しき者ながら、
善き賜物をその子らに与ふるを知る。
まして天の父は、求むる者に聖靈を賜はざらんや
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僕は文語訳のほうが、好きですが・・・
口語で、カトリック・プロテスタントの新共同訳だと
====ルカによる福音書11章11-13====
9: そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。
10: だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11: あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、
魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
12: また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
13: このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。
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宗教は本来、現生利益を求めるものではないとよくわかっていても、
この言葉が浮かび、苦しい時・困難な時は
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求めよ、さらば与へられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
ですよね。だったら、
「この苦しみを取り除いてください」
と祈り、求めてしまいます。
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