なんとか、以下の沈んだ気持ちから復活しつつあります。

愛犬の肺水腫が、利尿剤と抗生物質の投与で改善に向かってきて

自宅に帰れたのもありますが・・・

怒りの中で、わかっていたことをやっと思いの中に

取り入れられるようにもなってきたからです。

 

上の記事を書いたときでさえ、わかっていたことがあります。

 

もし・・・

 

僕が死んで、最初に神様に会ったとき、

僕は、僕の精神エネルギーのすべてがなくなるまでの

力を込めて、神を思い切り殴り続ける

 

状況だったとして・・・

 

神様は、そんな時だからこそ、

「そうか、つらかったんだね。

 ずっと、見てたよ。私を気のすむまで、殴りなさい」

と、テレパシー(?)で語り掛けてくることを・・・

 

辛い状況の中でも、

悪魔に心を奪われ、他者(ひと)に危害を加えたり、

他者(ひと)をだましたり、陥れたり、

他者(ひと)を恨んだり、しなかった僕を受け止め、

現世の苦しみには、大切な意味があったことなど一切、語らず、

言い訳をせず、僕を受け入れてくれる神様がそこにいる。

 

僕が・・・少しの間、他者(ひと)に怒りを覚えても、

すぐに、

「この人は周りを正確に理解で泣いていないから、仕方ないんだ。」

「人は、悲しいそんざいだなぁ!」

と、冷静に認識できるようになることもすべてわかって・・・

 

自分の子供や友達が、突然、辛い自分の想いを吐露してきた時の

僕のように、

戸惑い、反省しながら、

どうにか、彼や彼女の気持ちを受け止めようとする

そんな神様だ

ということは、本当は、僕もよくわかっているんだ。

 

それでも、「気持ちが爆発して、どうしようもない時がある」

そして、そんな人間の心も、神様はよくわかっておられる。

 

そして、「ほら、こんな気持ちだよね」と教えるために、

聖書には、

例えば、イエスがエルサレムに入城した時に

聖なる地で、商いを営む者たちに怒りをぶちまける場面を

載せているんだ

と、僕は理解しています。

 

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ヨハネによる福音書 (2章13-16節)
13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、

 イエスはエルサレムへ上って行かれた。 
14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、

   座って両替をしている者たちを御覧になった。 
15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、

   両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 
16鳩を売る者たちに言われた。

  「このような物はここから運び出せ。

   わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

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神であり、人となった「イエス」もこのように、怒るときもある。

それは、

「イエスが生きているいろいろな場面での不条理を身をもって理解している」

ことの証で、それを知ってなお、やはり、

 「すべてのものの不可抗力であるものも含めたすべての罪の救いのために

  自分の命を投げ出した」

神である「イエス」がそこにいたことを、僕は知っている・・・

 

でも、でも・・・・

たまには、「せめて、神である貴方への怒りの爆発を許してください」

甘えだとわかっていても、やり場のない思いを持つのが人なのですから・・・

 

           心を落ち着けるために祈る

(出典:イラスト素材:手を合わせて祈る高齢の男性