なんとなく、先週は急に

これまでの人生をふり返る」ことが多かったので、

僕のこれまでを少しまとめてみました。

 

まずは、学歴・職歴です。

 

乳幼児期の約6年は、このブログにも書きましたが、病弱でしたが・・・・

それでも、

大学浪人と大学院浪人をしたので、普通より2年多くかかりましたが、

なんとか、大学院(修士)までは出ました。

 

このブログにも書きましたが、本当は「博士課程」に進んで、

大学に残るつもりでしたが、「母が突然失明」したので、

大学に残るのは諦め、社会人になったのは仕方ないとしても・・・・

 

就職した造船会社で「海洋構造物の構造設計」をしていたのに、

突然、「所属部署がなくなり」、転職を余儀なくされました。

 

でも、その後も「造船関係の仕事」も続けられましたし、

転職した「日本のシンクタンク」では、

「エンジニアリング・コンサルタント」として

「多くのものの構造設計・流体解析・熱解析等」に従事し、

「新製品のための試験・試作や製品のトラブル解決」などで、

「大学に残った」より、「広い経験と知識」を得られたと思っています。

 

また、このシンクタンクで、

最期に日本での普及を目指した

アメリカの「汎用流体ソフト」の開発元が「買収」され、

それに伴い、僕は仕事を続けるために、「外資系エンジニアリング会社」に

移り、2025年07月まで働いて、67歳手前で「定年退職」しました。

 

人生は

「自分の力ではどうしようもないことがよく起きますが、

 それに負けずに、できることを精いっぱいやるとなんとかなるもの」だと

僕は、自分の経験から思います。

 

まとめとして、僕の場合は、

20年学業にはげみ、40年仕事をしたんだなぁ!

約2倍働いたのは、標準的だなぁと思っています。

 

次に、病歴を見てみました。

 

未熟児で生まれたので、

小学校入学までは、ほんとうに病弱で、

「風邪」「下痢」は日常行事で、「はしか」「風疹(三日はしか)」にもなり、

母は、中学に入学した時、

「片道1時間で、山も上るような学校に通えるかなぁ?」

と心配していましたが、

中高では、「風邪」以外はほぼ病気をせず、

大きな病気(けが)としては「右腕を骨折」したくらいでした。

 

そして、中高では、

「いろんなことに興味がでて、学業は中間・期末試験の時だけ何とかする」

程度で過ごしました。

なので、

高校の卒業式での校長先生からの卒業証書授与でのお言葉は

「君は勉強だけしなかったね」でした、

 

まぁ、それでも1浪して、大学に入り、相変わらず、

自分の興味のあることをし続け、

「学業は試験の時だけ徹夜をする」を基本にしてはいました。

 

でも、

専門課程に入ると、「学問の虫」になり、「学業に専念」していました

そして、やっと「学問がすきになり」、大学院に進みましたが、

社会人になるまでにそれほど大きな「病気」はしませんでした。

 

そして、

とにかく何かがあると「徹夜を続けて勉強する」という習慣と

無理しすぎると、「神経性腸炎」になり、僕の体は「少し休め!」と

教えてくれるようになりました。

 

だから、職に就いてからは、基本「モーレツ・サラリーマン」で

過ごしました。

 

今、振り返ると、社会人になってからは「約10年おきにかなりの病気」になって

いました。

35歳声帯欠落・剥離~>理由は喉頭結核ではないかと言われましたが、

   結核菌がでないなどで、確定診断にはいたりませんでした。

   ただ、僕が31歳の時に、母親と妹が結核になったので、

   喉頭結核だろうと言われました。

   実は、31歳のときの半年と35歳の時の8か月の間、2度長期に

   結核の薬(ストレプトマイシン・カナマイシン・リファンピシン等)を

   服用したことにより、結核の薬の副作用で、

   36歳から、健康診断の4000Hz,8000Hzの聴力は

   かなり悪いものになりました。

47歳:シンクタンク時代に、結構ひといいじめに会い、東京単身赴任を

   言い渡されたことなどで、アレルゲン不明の重度の「全身蕁麻疹」になり、

   一度は喉頭内部まで腫れて、呼吸が苦しくなったりしましたが、

   重度の時期は半年で、いじめていた上司が役員になって、所管を外れた

   3年後には完治しました。

57歳:外資系エンジニアリング会社に移って1年ほどして、

   海外で、夜中の漏水により、転んで、肋骨を6-7本骨折し、

   とてもつらい時期を送りました。

65歳これまでの苦労と「兄妹による遺産訴訟」が重なり、

   「甲状腺機能低下症(橋本病)」になり、67歳を目前に定年退職しました。

 

僕のこれまでは、普通の人が歩む人生と大差のない

「山あり谷あり」なんだとはわかっていますが・・・

それでも、「結構しんどいものだった」と自分では思っています。

 

 

               人生をふり返って・・・・

(出典:イラスト素材:人生で様々なものを失いながら歩く男性