なぜ、今年の年賀状は届かなかったのか?

 

今夜はその件について考察いたしました。

 

まず確認、年賀状に書いた住所は正しかったのか?

戻って来た年賀状の宛名面を写メしてそこに書いた住所を本人に確認してみたが、間違いはなかった。

次に、その住所から引っ越しでもしたのかと本人に確認してみたところ、引っ越しなどしていないとの返信。

その場所は私もよく知っている、何度も訪ねたことがある、地図にも載っている番地である。

 

年賀状に書かれた住所に間違いはない、本人は今もそこに住んでいる、そこの住所は地図でもネットでも確認できる。

以上の結果を踏まえて推測できることは、今年その日その年賀状を配った人間のミスとしか考えられないという結論です。

 

その住所が見つけられないほどの未熟な人間が配達業務に就いていた、もしくは、配ってもいないのかもしれない。

後のことなど何も考えず、見つからない、だから差出人に戻しておけばいいという短絡的な判断のもと年賀状は戻って来た。

仕事の出来ない人間の適当な仕事によりこの年賀状が我が家に戻された、それにより私はもう一度この年賀状を書き直しまたポストまで投函しに行くと言う手間を要することになった。

いい加減な仕事をした奴のおかげで落ち度のない人間は余計な時間と労力を費やすことなった。

一度で済むことが年賀状1枚もまともに配達できない奴のせいで、2度、3度と迷惑を被ることになった。

しかも配達できなかったと言う嘘までつかれて。

 

我が家に届く郵便物や宅配物について、年に1~2件は誤配がある。

近所宛のものが届くことがある。

それは昔より増えている。。

小さなミスは必ず大きな迷惑につながっていく。

そしてそのミスの中には必ず嘘がある。

何かをやればそこにミスはつきものだから昔はミスも気にならなかった、しかし、昔のミスはミスをしないようにという努力や気遣いがあったような気がする、しかし今起きるミスにはミスをおこさないようにした形跡が見られない、はなからミスを気にしていない、ミスしてもかまわない、ミスするのが当然、他人の迷惑なんて気にしない、適当さと無責任さが手に取るようにわかる、そんなミスばかりであり、嘘ばかりである。

 

戻って来た年賀状にも、無責任さしか感じなかった、なぜなら、昨年まではこんなミスなかったからね。

 

こうしてどんどん低能な人間が社会に蔓延していくのでしょう。

そして社会全体のレベルがどんどん下がっていくのでしょう。

質の高い仕事があったことを知っている世代としてはこの劣化していく現実は恐怖に感じる。

しかし、この国の人間の質は確実に落ちている。

簡単なことさえできない人間に、では何が出来ると言うのだろうか。

機械やデジタルに人間の領域が侵されることを嘆く前に、人間の質の向上を真剣に考えた方がいいと思う。

機械やデジタルが進歩していく速さよりも人間の劣化の方が数段早いような気がします。