芸能界に数多存在する整形美人。

 

見事に作り上げられた整形美人を美しいという。

 

不自然さの美に、美を感じる美的感覚。

 

内面がにじみ出ない人工的な美を高く評価する奇妙な風潮。

 

ずれていく感覚、やがて整形した顔もずれていく、そうあの、マイケルジャクソンのように。

 

 

 

 

 

綺麗に見えるように造形されたのだから綺麗に見えるのは当たり前、もし綺麗に見えなければそれは失敗作。

 

完全なる崩壊。

 

その崩壊は二度と元には戻らない残酷な現実。

 

美容整形の技術が進歩した現代でも、たまに失敗作が出来上がる。

 

悲しい事実。

 

 

 

 

 

一重まぶたが二重になり、エラが削られ、鼻が高くなり、しわが消え、胸が大きくなる。

 

美容整形が完成する。

 

ただ、私の眼には、それは不自然さの極みにしか見えない。

 

それを美しいと感じる美的感覚は、私には無い。

 

申し訳ございませんが、私の眼はごまかせません。

 

 

 

 

 

ナチュラルにはナチュラルの意味がある。

 

持って生まれた曲線、タテヨコのバランス、無理がない筋肉の動き、愛嬌。

 

しかし、不自然さにはそれらが無い。

 

 

 

 

 

不自然さのちぐはぐさが視覚から入ると、脳に強烈な印象が刻まれる。

 

一度刻まれたそのもやもや感は、二度と消えることはない。

 

美しい整形美人をテレビで見るたびに、私の脳は反応する。

 

私の脳がその不自然さに慣れることはない。

 

 

 

 

 

もしも私が面接で短所を訊かれたこう答えるだろう。

 

 

 

「私の短所は不自然さへの不寛容です」と。

 

 

 

 

 

別にそればかりを厳しく観察しているのではない。

 

ただ、不自然さが気になるだけ、そして、それを美しいと言うことに抵抗があるだけ。

 

嘘をつくのは難しい。

 

私は正直者ですと大見え切って嘘を言う訳ではないが、やはり、不自然なものは不自然と言ってしまう。

 

そこは譲れない、なぜならそれが私の短所だから。

 

 

 

 

 

この文章を考える時、常に何人かの顔を思い浮かべながらキーを叩いている。

 

そうすることで、言葉が次々と出てくるから。

 

テレビでよく見る顔を思い浮かべながら、あの人の目、あの人の鼻、あの人のアゴ、あの人のシワを思い出しながら、この文章を考えている。

 

具体例はたくさんある。

 

それほど整形顔がポピュラーになった証拠。

 

世間はとても寛容、私はどんどん不寛容。

 

美的感覚は変化する。

 

誰もが美人になれる。

 

そして、美しさの価値はどんどん低くなっていく。