川上未映子『乳と卵』 | 空想俳人日記

川上未映子『乳と卵』

 ここんとこ続けて読んでいる川上未映子作品。問題作『ヘヴン』を読み、最新作のコロナ禍作品『春のこわいもの』を読み、そして、今回は、これ。

娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。夏の3日間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める。日本文学の風景を一夜にして変えてしまった、芥川賞受賞作。


川上未映子『乳と卵』01 川上未映子『乳と卵』02 川上未映子『乳と卵』03

 著者さんが大阪生まれと言うこともあってか、大阪弁のリズムが心地よいんだけども、句点がなかなかつかない、読点ばかりで、これは著者さんが、ひとつの行為に思いが数々あるので、句点がつけられない、それは、他の作品にもあるが、この作品にはメチャ顕著で、なんで、こうなるかと言えば、いろいろ考えてみたけど、結論できずに、あれやこれや思いを巡らすうちに、自分も何を考えているのか分からなくなり、それをあえて否定もせず、堂々とあらゆる比喩を使って、書き連ねているから、長々とした吐露となって現前に現れるのであり、もしかして、これが魅力で芥川賞受賞となったのかもしれないのである。
 というように、ボクも少し真似てみた。以上のような文章が連綿と続く。
 姉の巻子と娘の緑子、ある時の喧嘩を境に、緑子は、母に悪態をついてしまう自分が嫌で、いや、厭で厭で、喋らなくなるのだが、謝りたくて母に感謝してるのだが、一方は本音と言えば喋ると悪態をつく、母が厭で厭で厭で。だから、作品中も、喋らない緑子のノート筆記が何度も挿入されている。
 そんな母子が二泊三日で東京にいる巻子の妹のところへ来るお話。
 緑子を生んだ後、ぺちゃんこになった胸を豊かにしたい、それが姉の想い。それに対し、娘の緑子は、胸が膨らむどころか、自分が女であることで卵子を抱え、精子を待ち受けている存在であること、性交の果て受精し子どもを宿すための卵子が自分の中にあることを、厭で厭で厭で。
 そんな二人の母子の間に、妹である主人公も、これまで定期的だった生理が、不規則で思わぬ出血とか、これは、まあ、女性にしか書けない小説だとは思うが、実は、ボクは、こういうことに慣れておってね、まさに、月の満ち欠けとともに女性の体が潮の満ち欠けとともに波打っていることが、ある意味、羨ましく、ボクが、卵を抱えていないだけの、精子発射装置でしかないことが残念なんだなア。わかるかなあ。
 つまり、巻子の乳への拘りも、緑子の卵子への思いも、男であるボクには、妬みとも言える羨ましさを、ふらりと二人に感じてしまうのであったとさ。

 実は、この文庫には、もう一作、短編【あなたたちの恋愛は瀕死】が掲載されている。主人公「女」の新宿での一日。
 化粧品売り場で、女は、上がったり下がったり(簡単に言えば、気持ちの問題よ)。そこを出て、短いスカートの若い女とぶつかってこけるのよ。こけた直後、今度はティッシュ配りの男。「どうぞ」という言葉に、最初は呆然としてたけど、「ありがとう」と受け取るが、また、ほかの人に配ろうとするティッシュも「ありがとう」と受け取る。
 そして、紀伊国屋まで行きワゴンから男を眺める。女ともダリのことを思い出す。知らない男と性交できるか否かを、想起したりする。ここらで、瀕死の恋愛の香りがプンプンしてくるのだが。
 かといって、主人公の「女」がどちらのタイプかわからない。男に「へ~い」と外人のように声をかけるのを想像。
 さて、紀伊国屋の店内で、安っぽい蛍光灯の下では、店内の人が急速に年老いていくように思え、女は身体をふるわせ、出口に向かった女は、天井の隅に付けられた鏡の中の自分を見て、「とんでもないわ」と思う。
 さて、最後に、やってみなけりゃわからないと言わんばかりに、先のティシュ配りの男に、肩をたたいて、本当に「へ~い」と声をかける。いきなり、男に殴られるのだ。ハンドバッグが大きく開いたため、中の化粧品が散らばっています。ハンドバッグは口を開き、コンパクトは遠くに飛び、鏡もバラバラ、通行人に踏まれ。打ちつけられた女の頬には、どんなに小さな光も届かない。
 自分にあたる光、届かない光、鏡に映るデパートでの自分と、紀伊国屋での鏡に映る自分。上がったり下がったりが、光と鏡に象徴的に描かれているこの作品は、まさに瀕死の状態にある恋愛感情なのかもしれない。たぶん、この女は、殴った男とともに、死ぬまで恋愛を通過せずに結婚、あるいは、独身を貫き通す、かもしれない。

 【父と卵】にも【あなたたちの恋愛は瀕死】にも、自分の存在を他者や環境や世界と照らしあわさなければならなくて息苦しくなる、そんな現代人の生きることのつらさが描かれていると思う。
 特に、緑子の自分が新たな命の準備、卵子を体内に持ちながら、自分を生んだ母親の巻子が、緑子を生まない昔の乳を取り戻したがっている、なんて切ないんだろう。しかも、それに対し、緑子は、自分なんか生まなければよかったのにという気持ちから、二世も作らず生まずこしらえず、だから性交もしないのかな、恋愛もコミュニケーションもしないで生きて生きたい、と思う気持ちが切ない。
 ボクは、この作品に、川上未映子の「どう生きればいいのよ、世界は私をだましだまし生かそうとしているけど。みんな嘘っぱちじゃん」なあんていう執念に近い高ぶる思いが描かれているように感じられて仕方がない。


川上未映子『乳と卵』 posted by (C)shisyun


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