安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』 | 空想俳人日記

安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』

 安藤百福と言えば、日清食品の創業者であり、チキンラーメンの開発者であることは知っていた。しかし、そのチキンラーメンを開発したのは、なんと48歳。

安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』01 安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』02

 ここには、そこに至る前の歴史も書かれている。いやあ、知らなかったあ。

NHK連続テレビ小説「まんぷく」モデル 波瀾万丈の自伝!
無一文から再起し、
世界初の即席めん「チキンラーメン」、
世界初のカップめん「カップヌードル」を生み出した、
日清食品創業者・安藤百福氏のがむしゃら人生。
40代になって陥った無一文の状況から、
即席めんを発明して日清食品を創業、
世界にインスタントラーメンを広めた男の一代記です。


安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』03 安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』04

第1部 私の履歴書
 感想の前に、まずは、著者紹介。

1910(明治43)年3月5日生まれ。立命館大学専門学部卒業。1958(昭和33)年、世界初の即席めん「チキンラーメン」を発明。1971年、世界初のカップめん「カップヌードル」を発明。現在、日清食品株式会社会長、日本即席食品工業協会会長、関西経済連合会常任理事、日清スポーツ振興財団理事長、IRMA世界ラーメン協会会長、食創会最高顧問。1977年藍綬褒章、1982年勲二等瑞宝章、1992年科学技術庁長官賞(科学技術功労賞)を受ける。海外からは、ロサンゼルス名誉市民賞、ブラジル政府グランクルス勲章、タイ王国ディレクグンナポン勲章を授与された。1996年、立命館大学から名誉経営学博士号を授与。

 ほうら、ここでも、世界初の即席めん「チキンラーメン」から書かれている。ところがだ、義務教育修了後、祖父の繊維問屋を手伝いながら、森永郡守の紹介で20歳ごろに町に初めてできた図書館の司書となった。しかし2年で辞めて、父の遺産で1932年に台湾の永楽市場で繊維会社「東洋莫大小(とうようメリヤス)」を設立して内地から製品を仕入れて台湾で販売した。 
 太平洋戦争開戦後は、幻灯機の製造、バラック住宅の製造などの事業を展開。軍用機エンジンの部品製造をする軍需工場の経営にも携わったが、三等市民扱いの台湾出身であるために、無実の罪で45日間拘束されて憲兵から拷問を受けている。
 1946年、疎開先から大阪へ戻り、泉大津市に住んだ。終戦直後は土地が安く手放されていたため、久原房之助の助言により、大阪の中心街の心斎橋ほか御堂筋や大阪駅前など相当の土地を手に入れた。戦後の食糧難の中で「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」という思いを抱くようになり、食品事業を手掛けることを決意した。百福によるとこの時抱いた想いが原点となって、後に日清食品の企業理念「食足世平(食足りて世は平らか)」が誕生した。自宅近くにあった軍需工場跡地の払い下げも受け、跡地に置かれていた鉄板を用いた製塩業や漁業を営んだ。
 1948年、GHQに脱税の嫌疑をかけられた。安藤は前述の事業において地元の若者を雇い、彼らに「奨学金」として現金を支給していたが、奨学金は所得であり源泉徴収して納税すべきであるのにそれを行わなかったというのが理由であった。判決は4年間の重労働の刑[注釈 1]で、巣鴨拘置所に収監された。さらに安藤が個人名義で所有していた不動産は全て没収された。
 収監中に営んでいた事業を整理していたため、事業家としての人生は振り出しに戻ってしまった。大阪に新設された信用組合から懇願され、その理事長に就任したが、1957年に信用組合は破綻し「いよいよ無一文になった」。彼はこの件において、信用組合と親密な関係にあった銀行に対し不信感を抱いたことから「銀行には頼らない」と心に決め、日清食品の経営時には無借金を貫いた。
 以上、チキンラーメン開発前の彼の歴史(Wikipediaからも引用)なのだが、そうして、大阪府池田市の自宅敷地内に小屋を作り、かねてから構想を抱いていたインスタントラーメン(即席めん)作りに取り組んだのが48歳だ。彼はいう、何を始めるにも遅すぎるということはない、と。思いついた今がチャンスの始まりなんだね。
 さて、日本初の、いや、世界初のインスタントラーメンはチキンラーメンなのだが、ちょっとだけ、ボクのインスタントラーメンとの出会いについて一言。
 インスタントラーメンの歴史は、1958年に発売された日清食品のチキンラーメンだが、このチキンラーメンの大ヒットに追随して、当時、日本各地でいろいろなインスタントラーメンが作られ、発売された。その中でトノサマラーメンは名古屋地域においての殿様だった。名古屋で生まれ育ったボクは、このトノサマラーメンから始まっている。これ、松永食品という会社で、現在、愛知県の春日井市に「しるこサンド」という、あんこペーストを挟んだビスケットを作っている松永製菓というお菓子メーカーの同族会社だったらしい。
 そんなわけで、トノサマラーメンを先に食べてたボクは、チキンラーメンを食べた時、「あ、トノサマラーメンだ」、そう思ったのである。あはは。
 さて、チキンラーメンも画期的だが、なんといっても、カップヌードル。世界に羽ばたくには、ドンブリや箸ではない、そう考えた彼のヒントは、海外へチキンラーメンを売り込んだ際、相手はドンブリがないので、チキンラーメンを二つに割って紙コップに入れお湯を注ぎ、フォークで食べた、のを見た。「これだ」と思ったそうだ。いやあ、恐れ入り屋の鬼子母神。麺の固まりが壊れるのを防ぐため、固まりの直径はカップの底部より大きくし、容器の中で宙づりの状態にして固定された。固まりを容器と水平にして固定することに苦労したが、容器の中に麺を入れるのではなく麺の固まりの上から容器をかぶせる方法を考案した。このカップヌードルの麺と容器における逆転の発想にはさらに驚愕したよ。
 その後の歴史も書かれているが、ここまでにしておく。とにかく、彼の遅咲きと、その後の躍進に、感動したよ。

安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』05 安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』06

第2部 麺ロードを行く―安藤百福フィールドノート
 この第2部は、麺の原点を求めて中国を旅するお話。いやあ、いろいろな面が登場するが、面白いな、そう思ったのが、「麺」という漢字だ。「麦」偏に「面」、中国では、麺は、細い糸状とは限らない、小麦粉で面となったものをすべて「麺」とする、なので、餃子なんかも、麺類だとな。へええ。
 さらには、地域によっては、小麦粉を原料とせず、米粉を原料とするものもあり、そのためメニューには、「麦」偏を取った「面」と書かれていたりする。こうなると、原料がなんであろうが、面状態のものは、すべて「麺類」となる。
 だから、彼は言う、「人類は麺類だ」と。いやあ、なんか、落語のオチみたいで、面白いではないか。

安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』07 安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』08

 この本の感想とはかけ離れるが、彼の人生を知るのに、面白い動画をYouTubeに見つけたので、ここに貼り付けておくね。






安藤百福『魔法のラーメン発明物語―私の履歴書』 posted by (C)shisyun


人気ブログランキング