大泉洋『大泉エッセイ 僕が綴った16年』
大泉洋が1997年から綴った18年分のエッセイ集(文庫版で2年分を追記)。文庫版では大量書き下ろし(結婚&家族について語る!)。あだち充との対談も追加収録。
この本を見つけた時、ボクはちょうど迷っていたことがあった。それは、ノンフィクションの原作本『アトムの心臓』。そして、その映画化『ディア・ファミリー』。勿論、両方でもいいのだが、とりあえず、どちらかを優先するしかない。前知識出来る限りなしに、どちらから……。

そんな時に見つけたのが、この本なのだ。『ディア・ファミリー』の主演は大泉洋。俳優としての彼の作品をまともに観た記憶があるのは、映画『こんな夜更けにバナナかよ』くらい。筋ジスの主人公とボランティアたちのノンフィクション。ボランティア役の高畑充希とのやりとりが面白かった(彼女の乳を揉ませてもらうシーンが羨ましかった)。
しかし、彼の存在感は、何故か魅力的だ。他のいわゆる「俳優」というのとは、どこか違う味わいが漂っている。間違いなく、お笑いの要素も大きい。概ねの彼の出自は知っていたが、このエッセイ集で、自らの20年が語られていると思うと、無性に読みたくなった。

洋ちゃんのシャイなあんちきしょう
これは雑誌『アルバイトニュースan北海道版(現an北海道版)』(株式会社学生援護会/現株式会社インテリジェンス1997年4月7日発行号から2001年12月17日発行号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。洋ちゃん24歳から28歳だ。
笑いネタも交えたい著者にすれば、ちょっと文字制限数が身近いのが玉に瑕。でも、なかなか面白い。
お祖父ちゃんの恒三さんの話題がよく出てくる。洋ちゃんは、お祖父ちゃん子だったんだね。お祖父ちゃんネタ面白い中から一つ。「怖い話」から。
中学生の夏休み、シャワーから上がるとバスタオルに「Z」「O」の文字。数日後、洗濯物を取り込もうとしたら、白い長い布にも「Z」「O」。牛乳を飲もうとしたマグカップにも「Z」「O」が。我が家にはイニシャル「Z」「O」なる者はいない。
「おばあちゃんの見舞いに行ってきます……ZO」
「ヤメロー!! 見ず知らずの男がばあちゃんの見舞いにィ~!!」
ZとOのあいだにピリオドがないことに気が付き、「ゾウ」と読んでみる。「ツネゾウ」だ。そう、父親はツネヒコ。ともにイニシャルはT.O。区別つかないので祖父は、「ツネ」を捨て「ゾウ」だけ取って、「ZO」と。近くのじいさん二人、有三と庄三、そして恒三で「スリー・エレファントの会」作っていた。なんだ、そしたら、数日後、洋ちゃんのTシャツにまで「ZO」。
いや、笑える。他にも、引用したいが、これくらいにして、実はボクも祖父ちゃん子だった話を。小学校の頃、「キャッチボールするか」と。家の前の道はまだ砂利道で車も少なかった。ボクは、まだ皮が固い野球グローブ。祖父ちゃんも持っていたが、それがなんか皮なんだけど、相当使い込んで布や紙みたいに見えるグローブ。祖父ちゃんは、ボクが投げる球を、そのグローブで取ったかと思うと、ポロリと落としてばかり。グローブ交換してあげたかったけど、なんせボクはギッチョだから右手用のグローブだったもんなあ。あと、祖父母とよく夕食が同じテーブルというかちゃぶ台、で、じいちゃん、ボクが食べるインスタントラーメンを見ると必ず「汁くれ」と。祖父母の前には、ちゃんと煮魚や焼き魚の和食が用意されているのに、「汁くれ」と。たぶん、祖父ちゃんも、本当はラーメン食いたかったのじゃないかな。大学になって、フランス文学専攻だったから、授業でフランス語習う時によく「s'il vous plaît(シルブプレ)」(「お願いします」という意)を発音したのだが、そのたびに祖父ちゃんの「しるくれ」を思い出したものだ。
手前味噌な話になった。

大泉洋のワガママ絵日記
雑誌『じゃらん北海道発(元北海道じゃらん)』(株式会社リクルート北海道じゃらん)2000年6月20日発行号から2005年4月20日発行号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。大泉洋27歳から32歳。
anよりも字数が増えている。本領発揮と言わんばかりのエッセイが多く、しかも、絵日記なので、彼の一コマ漫画入りだ。
この頃のエッセイには、次第に全国にも受けていった北海道発のローカルテレビ番組「水曜どうでしょう」のことや、彼が大学の演劇部の時から立ち上げた劇団「TEAM NACS(チームナックス)」のことも書かれていて、彼のローカルなお笑い俳優から全国へのプロセスも伺うことができる。

ここで、どうしても引用したいエッセイは、「恋の街 綾町」、続「恋の街 綾町」、そして、「恋の街 綾町」完結編だ。
まずは「恋の街 綾町」。原付バイクで京都から鹿児島まで走った『水曜どうでしょう』企画。宮崎県の「綾町」という小さな街、そこの『綾陽亭』という宿の、フロントにいた清楚な女性に一目惚れ。彼女の「いってらっしゃいませ」で恋に落ちた。
《いつの日かもう一度「綾町」に行き、そして今度こそ恋の「あやまち」をおかしてくるのだ。……歌丸です。》
以上だが、その二年後に『水曜どうでしょう』のロケで、まら綾町へ。続「恋の街 綾町」だ。「小柄でショートヘアが好印象の女性が「いらっしゃいませ」と。ところが、迷ってしまったんだね。その子かどうか、分からない。でも、その子も、いい。結局、
《「今、制服を着たきれいな女性が来るまで通ったよ」その女性がそうだったのかどうか今の僕には分からない。「綾」という街は気まぐれである。私は"ミスター"に言われてふり返り、こう言った。「あや(おや)?」……木久蔵です。》
そうしたら、三度目の正直。「恋の街 綾町」完結編。三年にわたって思い続けた小さな恋の物語。
《「彼女か?」忘れかけていた恋の香りがよみがえろうとしていた。その女性が館内の説明をしてくれている間、私は失われた記憶を取り戻そうと彼女を見つめ続けていた。彼女は恥ずかしそうに目をそらしたように思えた。「彼女だ!」消えかけていた恋の炎が再び燃え上がるのを感じた。》
ところがだ、部屋に置いてあったスクラップブック。そこには、綾陽亭が紹介された雑誌の切り抜きが。ソムリエの田崎真也さんも載っている。そして、ページを捲れば、見開き二ページで大泉氏の「じゃらん」のエッセイ、「恋の綾町」前後編が紹介されている。
《つまり昨日の彼女は、私の気持ちをすでに知っていたことになる。そんなことも知らずに、私はめちゃめちゃじっくりなめるように彼女を見てしまった! 彼女は恥ずかしかったんじゃなく、気持ち悪くて目をそらしたのだ! そりゃ怖いはずだ! 見知らぬ土地で勝手に片思いされて、それを『じゃらん』なんかに書かれて、しかも"いつの日かもう一度「綾町」に行き、そして今度こそ恋の「あやまち」をおかしてくるのだ。……歌丸です"とか書かれてんだもん。何書いてんだ俺は! 私の恋愛小説は、物凄いラストを迎えてしまった。》
そして、「打ち切りだ打ち切り!」と言って恥ずかしくて顔も上げられずに宿を後にした、と。
でも、なんでやねん。一言、「ごめんなさい」って謝って、相手の心の気持ちを聞いてみても良かったんじゃないかなあ。ま、そこが、大泉氏らしいとこかもしれへんけど。いやあ、面白い。
ちなみに、この完結編もスクラップブックに貼られたんだろうか。
そんなわけで、この「大泉洋のワガママ絵日記」で、「映画を観よう」と決めたのよ。

俺の大地
雑誌『SWITCH』(株式会社スイッチ・パブリッシング)2004年11月20日発行号から2005年11月20日号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。大泉氏31歳から32歳。
《私は北海道のいちローカルタレントであります。加えて野心のない男であります。基本的には北海道で仕事ができればそれでよいと思ってたのです。でもある時思ったんですね。「現状維持でいいと思った男に現状維持ができるのか」と。漠然とした不安でした。前に進もうと必死に頑張ったやつだけが、やっと現状維持出来るのかなと思うようになりました。》
いいこと書いてある。三十歳を超えたあたりで思ったそうな。そう、現状維持でいい、そう思ったら維持も出来なくなる。
《「世の中は変化だけが不変だ」》
素晴らしい。そして、
《強い信念を持って信念を持たない勇気。》
うん、分かる分かる。
2013大泉洋、40歳、書き下ろし
この本が出版されるにあたって書き下ろされたエッセイだ。
まず、ここには「『水曜どうでしょう』について」、「TEAM NACSの奇跡が語られている。これは、大泉洋にとって、大切な歴史だ。とても参考になる。皆さんも読まれるべし。内容はここには書かない。買って読まれるべし。
ただ、大泉氏は二浪してまで志望大学受験にチャレンジするのだが、結局、志望大学へは入れず私立大学へ。相当ショックだったらしいが、その大学へ入ったからこそ、『水曜どうでしょう』や「TEAM NACS」があったとも言える。
手前味噌だが、ボクも一浪して大学受験に挑んだが、滑り止めに愛知大学に行くことになった。しかし、この愛大入学のお陰で様々な出会いがあり、今日の自分があるのは間違いない。人生とは、そういうものなのだ。その環境の中で絶えずポジティブに前に進む(もちろん悩んで泣いて悔やんで考えてネガティブの連続ではあるが)。ポジとネガは表裏一体なのだ。
あと、ここには肩書についても書かれてて、彼は自信をお笑い俳優がいちばん近いと言っているが、これまでの肩書からはみ出るような活動を彼はしているからなのだ。「俳優」でなく、「俳洋」はどうだ!と言っているが、正直面白くない。
2015文庫版書き下ろし
単行本が出版される際に編集者からうまいこと言われて書き下ろしエッセイを書いているが、同じように文庫本化される際に、これまた編集者に絆されて、文庫版書き下ろしを各破目に陥っている。
2015年、42歳の大泉洋だ。2009年の5月に彼は結婚しているのだが、その妻の両親に「娘さんを僕に下さい」という話が書かれている。いかに、彼がシャイ化窺われる楽しくもハラハラドキドキ物語。彼、うまいなあ、文章書くの。
特別収録あだち充×大泉洋
大泉氏は子どもの頃から『タッチ』の大ファン。そんな彼の切望が実って、あだち充が快諾。なんと、あだち充が自著以外に表紙イラストを描くのは初めてという快挙。それを記念しての奇跡の対談。
そうなんだよ、その大泉洋を描いた表紙イラストだけど、あだち漫画に出てきそうだから不思議だよ。いい対談だね。
以上。ということで、この本を読み終えた次の日、映画『デイア・ファミリー』を観たのであった。
おそらく、迷いがなかったら、この本、手に入れてはいなかったかもしれない。迷ったりなやんだりするっていうことは、人として考えることの契機になる。そして、行動のスタートになる。

大泉エッセイ 僕が綴った16年 posted by (C)shisyun

この本を見つけた時、ボクはちょうど迷っていたことがあった。それは、ノンフィクションの原作本『アトムの心臓』。そして、その映画化『ディア・ファミリー』。勿論、両方でもいいのだが、とりあえず、どちらかを優先するしかない。前知識出来る限りなしに、どちらから……。



そんな時に見つけたのが、この本なのだ。『ディア・ファミリー』の主演は大泉洋。俳優としての彼の作品をまともに観た記憶があるのは、映画『こんな夜更けにバナナかよ』くらい。筋ジスの主人公とボランティアたちのノンフィクション。ボランティア役の高畑充希とのやりとりが面白かった(彼女の乳を揉ませてもらうシーンが羨ましかった)。
しかし、彼の存在感は、何故か魅力的だ。他のいわゆる「俳優」というのとは、どこか違う味わいが漂っている。間違いなく、お笑いの要素も大きい。概ねの彼の出自は知っていたが、このエッセイ集で、自らの20年が語られていると思うと、無性に読みたくなった。


洋ちゃんのシャイなあんちきしょう
これは雑誌『アルバイトニュースan北海道版(現an北海道版)』(株式会社学生援護会/現株式会社インテリジェンス1997年4月7日発行号から2001年12月17日発行号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。洋ちゃん24歳から28歳だ。
笑いネタも交えたい著者にすれば、ちょっと文字制限数が身近いのが玉に瑕。でも、なかなか面白い。
お祖父ちゃんの恒三さんの話題がよく出てくる。洋ちゃんは、お祖父ちゃん子だったんだね。お祖父ちゃんネタ面白い中から一つ。「怖い話」から。
中学生の夏休み、シャワーから上がるとバスタオルに「Z」「O」の文字。数日後、洗濯物を取り込もうとしたら、白い長い布にも「Z」「O」。牛乳を飲もうとしたマグカップにも「Z」「O」が。我が家にはイニシャル「Z」「O」なる者はいない。
「おばあちゃんの見舞いに行ってきます……ZO」
「ヤメロー!! 見ず知らずの男がばあちゃんの見舞いにィ~!!」
ZとOのあいだにピリオドがないことに気が付き、「ゾウ」と読んでみる。「ツネゾウ」だ。そう、父親はツネヒコ。ともにイニシャルはT.O。区別つかないので祖父は、「ツネ」を捨て「ゾウ」だけ取って、「ZO」と。近くのじいさん二人、有三と庄三、そして恒三で「スリー・エレファントの会」作っていた。なんだ、そしたら、数日後、洋ちゃんのTシャツにまで「ZO」。
いや、笑える。他にも、引用したいが、これくらいにして、実はボクも祖父ちゃん子だった話を。小学校の頃、「キャッチボールするか」と。家の前の道はまだ砂利道で車も少なかった。ボクは、まだ皮が固い野球グローブ。祖父ちゃんも持っていたが、それがなんか皮なんだけど、相当使い込んで布や紙みたいに見えるグローブ。祖父ちゃんは、ボクが投げる球を、そのグローブで取ったかと思うと、ポロリと落としてばかり。グローブ交換してあげたかったけど、なんせボクはギッチョだから右手用のグローブだったもんなあ。あと、祖父母とよく夕食が同じテーブルというかちゃぶ台、で、じいちゃん、ボクが食べるインスタントラーメンを見ると必ず「汁くれ」と。祖父母の前には、ちゃんと煮魚や焼き魚の和食が用意されているのに、「汁くれ」と。たぶん、祖父ちゃんも、本当はラーメン食いたかったのじゃないかな。大学になって、フランス文学専攻だったから、授業でフランス語習う時によく「s'il vous plaît(シルブプレ)」(「お願いします」という意)を発音したのだが、そのたびに祖父ちゃんの「しるくれ」を思い出したものだ。
手前味噌な話になった。


大泉洋のワガママ絵日記
雑誌『じゃらん北海道発(元北海道じゃらん)』(株式会社リクルート北海道じゃらん)2000年6月20日発行号から2005年4月20日発行号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。大泉洋27歳から32歳。
anよりも字数が増えている。本領発揮と言わんばかりのエッセイが多く、しかも、絵日記なので、彼の一コマ漫画入りだ。
この頃のエッセイには、次第に全国にも受けていった北海道発のローカルテレビ番組「水曜どうでしょう」のことや、彼が大学の演劇部の時から立ち上げた劇団「TEAM NACS(チームナックス)」のことも書かれていて、彼のローカルなお笑い俳優から全国へのプロセスも伺うことができる。

ここで、どうしても引用したいエッセイは、「恋の街 綾町」、続「恋の街 綾町」、そして、「恋の街 綾町」完結編だ。
まずは「恋の街 綾町」。原付バイクで京都から鹿児島まで走った『水曜どうでしょう』企画。宮崎県の「綾町」という小さな街、そこの『綾陽亭』という宿の、フロントにいた清楚な女性に一目惚れ。彼女の「いってらっしゃいませ」で恋に落ちた。
《いつの日かもう一度「綾町」に行き、そして今度こそ恋の「あやまち」をおかしてくるのだ。……歌丸です。》
以上だが、その二年後に『水曜どうでしょう』のロケで、まら綾町へ。続「恋の街 綾町」だ。「小柄でショートヘアが好印象の女性が「いらっしゃいませ」と。ところが、迷ってしまったんだね。その子かどうか、分からない。でも、その子も、いい。結局、
《「今、制服を着たきれいな女性が来るまで通ったよ」その女性がそうだったのかどうか今の僕には分からない。「綾」という街は気まぐれである。私は"ミスター"に言われてふり返り、こう言った。「あや(おや)?」……木久蔵です。》
そうしたら、三度目の正直。「恋の街 綾町」完結編。三年にわたって思い続けた小さな恋の物語。
《「彼女か?」忘れかけていた恋の香りがよみがえろうとしていた。その女性が館内の説明をしてくれている間、私は失われた記憶を取り戻そうと彼女を見つめ続けていた。彼女は恥ずかしそうに目をそらしたように思えた。「彼女だ!」消えかけていた恋の炎が再び燃え上がるのを感じた。》
ところがだ、部屋に置いてあったスクラップブック。そこには、綾陽亭が紹介された雑誌の切り抜きが。ソムリエの田崎真也さんも載っている。そして、ページを捲れば、見開き二ページで大泉氏の「じゃらん」のエッセイ、「恋の綾町」前後編が紹介されている。
《つまり昨日の彼女は、私の気持ちをすでに知っていたことになる。そんなことも知らずに、私はめちゃめちゃじっくりなめるように彼女を見てしまった! 彼女は恥ずかしかったんじゃなく、気持ち悪くて目をそらしたのだ! そりゃ怖いはずだ! 見知らぬ土地で勝手に片思いされて、それを『じゃらん』なんかに書かれて、しかも"いつの日かもう一度「綾町」に行き、そして今度こそ恋の「あやまち」をおかしてくるのだ。……歌丸です"とか書かれてんだもん。何書いてんだ俺は! 私の恋愛小説は、物凄いラストを迎えてしまった。》
そして、「打ち切りだ打ち切り!」と言って恥ずかしくて顔も上げられずに宿を後にした、と。
でも、なんでやねん。一言、「ごめんなさい」って謝って、相手の心の気持ちを聞いてみても良かったんじゃないかなあ。ま、そこが、大泉氏らしいとこかもしれへんけど。いやあ、面白い。
ちなみに、この完結編もスクラップブックに貼られたんだろうか。
そんなわけで、この「大泉洋のワガママ絵日記」で、「映画を観よう」と決めたのよ。

俺の大地
雑誌『SWITCH』(株式会社スイッチ・パブリッシング)2004年11月20日発行号から2005年11月20日号までに掲載されたエッセイを一部加筆・修正・削除してまとめたもの。大泉氏31歳から32歳。
《私は北海道のいちローカルタレントであります。加えて野心のない男であります。基本的には北海道で仕事ができればそれでよいと思ってたのです。でもある時思ったんですね。「現状維持でいいと思った男に現状維持ができるのか」と。漠然とした不安でした。前に進もうと必死に頑張ったやつだけが、やっと現状維持出来るのかなと思うようになりました。》
いいこと書いてある。三十歳を超えたあたりで思ったそうな。そう、現状維持でいい、そう思ったら維持も出来なくなる。
《「世の中は変化だけが不変だ」》
素晴らしい。そして、
《強い信念を持って信念を持たない勇気。》
うん、分かる分かる。
2013大泉洋、40歳、書き下ろし
この本が出版されるにあたって書き下ろされたエッセイだ。
まず、ここには「『水曜どうでしょう』について」、「TEAM NACSの奇跡が語られている。これは、大泉洋にとって、大切な歴史だ。とても参考になる。皆さんも読まれるべし。内容はここには書かない。買って読まれるべし。
ただ、大泉氏は二浪してまで志望大学受験にチャレンジするのだが、結局、志望大学へは入れず私立大学へ。相当ショックだったらしいが、その大学へ入ったからこそ、『水曜どうでしょう』や「TEAM NACS」があったとも言える。
手前味噌だが、ボクも一浪して大学受験に挑んだが、滑り止めに愛知大学に行くことになった。しかし、この愛大入学のお陰で様々な出会いがあり、今日の自分があるのは間違いない。人生とは、そういうものなのだ。その環境の中で絶えずポジティブに前に進む(もちろん悩んで泣いて悔やんで考えてネガティブの連続ではあるが)。ポジとネガは表裏一体なのだ。
あと、ここには肩書についても書かれてて、彼は自信をお笑い俳優がいちばん近いと言っているが、これまでの肩書からはみ出るような活動を彼はしているからなのだ。「俳優」でなく、「俳洋」はどうだ!と言っているが、正直面白くない。
2015文庫版書き下ろし
単行本が出版される際に編集者からうまいこと言われて書き下ろしエッセイを書いているが、同じように文庫本化される際に、これまた編集者に絆されて、文庫版書き下ろしを各破目に陥っている。
2015年、42歳の大泉洋だ。2009年の5月に彼は結婚しているのだが、その妻の両親に「娘さんを僕に下さい」という話が書かれている。いかに、彼がシャイ化窺われる楽しくもハラハラドキドキ物語。彼、うまいなあ、文章書くの。
特別収録あだち充×大泉洋
大泉氏は子どもの頃から『タッチ』の大ファン。そんな彼の切望が実って、あだち充が快諾。なんと、あだち充が自著以外に表紙イラストを描くのは初めてという快挙。それを記念しての奇跡の対談。
そうなんだよ、その大泉洋を描いた表紙イラストだけど、あだち漫画に出てきそうだから不思議だよ。いい対談だね。
以上。ということで、この本を読み終えた次の日、映画『デイア・ファミリー』を観たのであった。
おそらく、迷いがなかったら、この本、手に入れてはいなかったかもしれない。迷ったりなやんだりするっていうことは、人として考えることの契機になる。そして、行動のスタートになる。

大泉エッセイ 僕が綴った16年 posted by (C)shisyun

