筒井康隆『モナドの領域』 | 空想俳人日記

筒井康隆『モナドの領域』

 お待たせしたのじゃ。読もうと思って、ずずっと前に手に入れてはいたのだが、他の本に横入りされて、後回しされておったのじゃ。

筒井康隆『モナドの領域』01 筒井康隆『モナドの領域』02 筒井康隆『モナドの領域』03

 噂によれば、聖書でもないのに、神様が主人公だと聞いておった。しかも、著者さん曰く、「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」だというから、読まねばならぬと思っておった。毎日芸術賞受賞だそうだが、それは関係ない。

筒井康隆『モナドの領域』04

 ベーカリー
 神はまだ登場しない。
 河川敷で二十歳前後で身長一メートル五十くらいの女性の片腕が発見される。鑑識が
《「肩口から切断されたこの女の手、すっぱりと切断されたものでもなくごりごりと乱暴に切り取られたのでもなく、なんかこう自然に肩からはずされたように見えるこの腕が何とも実に好ましいんだよな。たしかに切断面には血がこびりついている。そしてどちらかといえば不細工な腕だ。女の腕としてはな。しかしな、おそらはアダムと一緒に神様が作ったイブの腕もこんなじゃなかったかと思うほど普通の女の腕に感じられる普遍的なエロティシズムがこれにはあってね。いやあたまらんねえ。」》と言う。
 そして、近くの公園で、今度は片足が見つかる。そんなバラなら事件で始まる。
 話は変わって、ベーカリー。向かい合う二軒のパン屋の一つ、アート・ベーカリー。そこでアルバイトとして働く美大生の男女。パン生地で動物を作る仕事。この二人、同棲してて、ある日、金が溜まったので、10日ほど海外旅行へ行くために10日ほど休みを貰う。10日の休みを代わりにアルバイトする同じ美大生の男を紹介して。この代わりのアルバイト、栗本健人というが、こいつが優れ者で、元々の二人よりも腕がいい。そして、ある日冗談で、女性の片腕のバゲットを作る。
 店主は気味悪がりもしながら、ガラスケースに飾るのだが、それを常連客である美大の教授、結野楯夫が気に入り、購入する。しかも、その片腕のバゲットのことを雑誌のコラムに掲載すると、あれよあれよと有名になり、飛ぶように売れるのだ。眼が宙を彷徨っている栗本健人。主はその後も働いてほしかったが、約束通り10日で辞めるのだが、なんと、女性の片足を作って残して。
 この時すでに、主人と妻、そして、元々のバイト二人が、各々、当初ハガキとメールを警察に送っている。バラバラ事件との関連を匂わせて。
 常連客の美大教授、結野楯夫が店にやってくる。ところが、いつものような笑顔は全くない。彼の眼は、宙を向けられ、泳いでいた。

 公園
 神に憑依された結野教授は、講義のある美大に向かわず公園へ行く。そこで神様振りの「わしは何でも知っている」と人々を会話するのだ。神と言っても、旧約聖書や新約聖書やイスラム教の神でもなければ、ブッダでもない。それらは、皆、人間が創り出したものだ。
 教授に憑依したのは、言ってみれば、創造主。人間が被造物だとすれば、その作り手だ。信じるかい? 信じる者こそ救われるよ。彼がドタキャンし、講義をすっぽかされた学生、高須美禰子にも出会い、彼女に身の回りの世話をしてもらうことになる。と言っても、期待しちゃア、あかんよ。肉体関係はないよ。なんせ、教授は創造主だから。
 さて、この公園で、彼が説法する言葉で、結構お気に入りのお言葉があるので、それを列挙したい。
 盗撮して逮捕された男へ、
《「盗撮されるのがいやなら今このわしの横にいる女性のようにパンツを穿けばいいわけでな、盗撮する者をなくそうとすればすべての女性にスカートを穿いてはならんという法律を作って強制すればいいんだが、これには女が反対するだろう。わしは今男の恰好をしておるが、勿論女の恰好だってできる。まあそれはどうでもいいか。つまり女の心理を代行して述べるとだね、女は男の気を引くためにスカートを穿いておるのだが、盗撮に女が怒るのはそうした自分たちの本音が男にわかってしまうからだよ。まあそう言うと身も蓋もないのだが、身も蓋もないことは他にもいっぱいある。殊更に言わないがね。」》
 高須美禰子の、神のような存在を想像した人って、という問いに
《「たとえば君はハイデガー君の本を読んどるから、彼から説明しようかね。あの子もまたそういう存在に迫ろうとした。彼はそれまでの哲学の学問性だけを追求した体系だった哲学に疑問があったんだ。デカルト君とかカント君とかあの辺だな。彼らは哲学の方法を学問的にしようとして、科学の方法論みたいにしちまった。ハイデガー君はそういう一義的なものに批判的だった。だから彼のお師匠さんのフッサール君の現象学による還元法を使って体系そのものを壊していこうとした。フッサール君の方はそれをどこまでも意識の問題にしておったが、ハイデガー君は存在の問題にしたんだ。それ以前に彼はアリストテレス君も勉強しとった。このアリストテレス君は気の毒な時代に生きておってな、いやわしにとっては今、と言ってもいいんだが、とにかく哲学によって神を否定したりしたらえらいことになる。異端として罪となるから、彼は懸命に神の存在を証明しようとする。むろん彼は『神』と言わないで『永遠的で不動の存在で、われわれから離れて存在しているもの』と言ったのだが、これはまあ、神のことだ。(後略)」》
《「ドゥ・ミュンニンク君が正しいことを言っている。究極的には、神にとってあらゆる存在は美しいなどと言っておるが、わしにとっても、犬がわしに吠えつくのも美しいし、吠えなくなってへたり込んだ犬も美しい。そもそも犬そのものが美しいんだ。この世のものすべては美しい」》
 そう言う教授に、美禰子は「災害も戦争も?」と聞きたかったが聞かない。ただ、これは、最後に再び出てくる。創造主にとって自分が造ったものは美しく愛おしいのだ。
《「佐藤香代さん。わしはあんたの言うキリストではない。そして、お前さんは特に信心深くもないが、わしはお前さんが考えているような神様でもない」教授は顔を宙空に向けたままで言った。「その子は、佐藤弾君は、三十七ヶ月と四日前に、お前さんの不注意から自動車事故に遭って足が不自由になった。だからそれは自然なことだったんだ。その子の足が治ればそれは不自然なことになってしまう。この子にとっては不幸だが、不幸な子どもというのはだいたい、よくない両親のかわりに社会から罰せられているんだが、その罰を与えているのはわしではなくお前さんたち人間なんだ。この子がその不幸を乗り越えるかどうかもお前さんたち次第だ。(後略)」》
《「ひと昔前のロシアで」と、泣いている二人の女を指して教授は喋りはじめた。「神が女をいとおしんで贈り届けたのがこうしたヒステリーだなんて言っておったが、わしはそんな善いことはしていない。こういうのは勝手にこうなっておるだけだ。勿論わしはこういうものを認めるよ。現実の存在であり真だ。真はすべて認める」》
 信者第一号にして下さいという薄いサングラスの若者にデコピンを食らわす。若者は三メートル吹っ飛び頭を下にして墜落。脳挫傷に。留置場に拘留された結野教授は言う。
《「あの男はわしがたとえそれを断ったとしても、自分勝手にそれをやるつもりだった。つまりわしを神だと信じている人間たちを集め、教団を作って自分はその理事長になり、大勢でわしをつけまわし取り巻いて信仰の対象にする気だったんだ。つまりわしを単に祀りあげるだけで、信者からは金を取り、金儲けをするつもりだった。」》
 ここで、ボクの私見だが、新約聖書も、弟子たちがあることないことでっち上げたもので、イエス自身が書いたものではない。イエスは素晴らしい宗教家もしくは素晴らしいアナーキストだったと思うが、信者集めのために弟子たちが祀り上げたのだと思う。
 さて、こうして、教授は、傷害罪で送検される。
 舞台は、次の法廷となる。

 大法廷
 ここから教授はGODと書かれる。
 GODは言う。ユークリッド幾何学や三次元の空間しか理解できない者には「無限」という観念は理解できない。そして、
《「フリードマン宇宙論またはビッグバン仮説は、ある意味正しい。ライプニッツ君にいわせればモナド、お前さんたちの言い方で言うならプログラムの中に入っておったことだからね。無論わしはそれを見ている。今だって見ておるんだよ。》
 ここで、小説のタイトル「モナド」がライプニッツによるものであること、それをボクたちが理解するには、「プログラム」だと思えばいいことが示される。
《「顕微鏡で人体の細胞などを観察した者には何となくわかるだろうが、人体は無限小だ。一方で宇宙は無限大だ。そしてわしは無限だ。人間はその体内に無限を持っているのだから、わしはお前さんたちの中にいるとも言える」》
 これは、手塚治虫『火の鳥』の未来編で学んだことだ。
 既存の宗教を否定するんですね、という問いに答える。
《「否定なんかしないよ、宗教があるからこそこれだけ人類文明が発達したんじゃないか。それにイエス君は宗教家として釈迦君、ムハンマド君と並ぶずば抜けた優れ者だ。それは言っておこう。」》
 そう、GODはなにものも否定しない。全て自らが創り出したものだから。そして、それは、フィクションかもしれない。あはは。
《「あのバベルの塔はわしが突っ壊したのではない。あれは技術的未熟さfrああなった。象徴としてのバベルの塔は何も建築物に限らない。宇宙開発、インターネット、核兵器だってそうだし原発もそうだ」》
 GODは文明批評家でもある。
 女子供までが大量に殺され、大勢が原爆で悲惨な死にかたをした戦争も美しいのか、という問いに、
《「(前略)わしが戦争は美しいというのは、お前さんたちが例えばパブロ・ピカソ君の『ゲルニカ』や丸木位里君、俊君夫妻の『原爆の図』を見て美を感じるのと似たようなものなんだよ。その悲惨さが悲劇的であるが故に、お前さんたちが悲劇を見て自分の心の痛みの中に美を見出すのと同じだ」》
 滅びは明るい、そんな言葉を思い出した。人類が滅ぶか否かは、次の「神の数学」を待たれい。
 被告人GODの最終陳述の冒頭、「あのなあ」という言葉に陪席裁判官の女性がずっこけるのが面白い。
 そんなわけで、GODは、傷害を認めながらも罪はないとしながらも、判決に従うということになる。懲役三年、執行猶予二年。もちろん、これは自由放免だ。この後、GODには、二年も必要としていない。
 マスコミの取材インタビュー依頼が殺到する中、次の舞台、生放送のテレビ番組が待ってゐる。

 神の数学
 いよいよテレビ出演。「GODと話そう」という公開生番組。視聴者代表や各方面の有識者たちが出演。
 まずは、主婦代表の、マルコによる福音書から、明かりを燭台の上に置くのでなく明かりの上に桝を伏せるという一節を引用して、桝が光を覆い隠してもそこに光があることは確かだ、ということに、GODは、
《「密閉すれば酸素がなくなって明かりは消えてしまう。悪いがそれは誤りだ」》
 確かに。いやあ笑える。
 小出版社の社長の「日本」についての発言で、こう言う。
《「お前さんたちの国の、現在はやや廃れかけている習慣で、食事前と食後の『戴きます』と『ご馳走さま』、あれはいいねえ。他の国の『お祈り』もいいが、この国の場合はあきらかに自然の恵みへの感謝がある。以前は『お百姓さんご苦労さん』だったがね。神への感謝よりも自然への感謝の方がずっと、まあそれがわしの苦心の成果でもあるだけにわしは嬉しいね。無宗教のものまでが食卓に向って手を合わせている。あれは実に好ましい」》
 いやあ、いいこと言うよ。社長は、その無宗教が問題だということに、
《「通常、世界のほとんどの国の人間はみな祈るべきものを求め続ける。できるだけ多くの者と一緒に祈ることができるものを求める。だから世界中の人間が自分と同じものに祈ることを願って戦争をする。自分たちと同じ神を信じるのでなければ、お前たちもお前たちの神も死んでしまえと言って殺しあいをする。ところがお前さんたちのこの国は、今ではほとんど無宗教の国だからそんなことはない。もともと八百万の神のいる多神教の国だし、仏教もあればキリスト教もありオウム真理教まであったという国はほぼ無宗教に等しい。そんな国であるということをお前さんたちはむしろ喜ぶべきじゃないのかね」》
 ええこと言うよ、GODは。
 この小出版社、どうやら本が売れなくて破産しかかってるらしい。GODはアドバイスする。束見本のような白い本はあるが、「黒い本」を作ればいい、と。白い本は買った者が自分の好きなことを勝手に書くのだが、「黒い本」は何かを読みとる本、好きなように勝手に読む本。これが売れるんだなあ。
 大企業のコンサルタントが、モナドの変更はないのか、でないと、人間は現状を変えようとする自由もない、ということに、答える。
《「ライプニッツ君が人間の精神の自由について言っておる中で、事物についてのどのような完全性、実体性もすべて神によって連続的に生み出されているのに対して、制限や不完全性は被造物つまりは人間によって生み出されていると言っている。だがこれはわし、つまりGODに関しては間違っている。まず、わしはお前さんたちの神ではない。そして制限も不完全性も実はわしによって生み出されているんだ。そういうものも含めたモナドがわしには可能なんだよ。お前さんたちの、現状を変えようとする努力がいかに、いつ、どうやってなされるかも知っておる。その努力こそがわしのモナドに必要なんだ」》
 だろうね。現状を変えようとする自由も、努力も、モナドの領域なのだな。
 女性政治評論家の、国連事務総長までが歴史認識について日本を名指しで批判していることに対し、GODは
《「歴史認識なんてお前さんたちにできるもんか。できるのはわしだけだ」》と。
 SF評論家が、神のことを宇宙の意志と書いたSF作家の話から、「あなたは宇宙の意志」か尋ねれば
《「わしは宇宙の意志だし、その意志はわしの知性だ」》
 なら、知性の究極の理由とは、に対し、
《「これは存在しない」》と。何故なら、
《「1+1=2というのは事象の本質やイデアに基づくもので、事象の本質は数みたいなものだからね。これに理由は与えることはできないんだよ」》
 なるほど、だから「神の数学」なんだ。
 最後の一人、科学評論家から、世界の環境汚染に歯止めをかけてくれないのか、に
《「あたり前だ。そんなことしたら発展途上国はいつまでも発展途上国のままだ。進歩がなくなる。自然の進歩に任せるという方法が、この世界を創造する最初にわしが決めた方法だからね。戦争だって進歩のひとつの表情だよ。ついでに言うと退歩とか退化とかも進化の一つの表情だ」》
 いいねえ、特に、ついでの「退歩とか退化とかも進化の一つ」というの。
 では、人類は滅亡するんですね、の問いに
《「お前さんたちはまさか、このまま人類の繁栄が永遠に続くと思っているんじゃあるまい。いずれは絶滅する。それは確かなことだ。モナドによって定められたことなんだから。それがいつかということは教えてやれないがね。そしてお前さんたちの絶滅後も宇宙は存続する。どんな形で存続するかも、お前さんたちがモナドに反抗してぶっ壊そうとするだろうから教えてやれないのだが、ただこれだけは言っておこう。お前さんたちの絶滅は実に美しい。お前さんたちには不本意だろうが、わしにとってまことに美しいのだ。お前さんたちにはそれを慰めにしてもらう他ない」》
 やはり滅びは明るい、かな。最初の映画『猿の惑星』を思い出した。
 さて、最後の質問として、若いSF評論家が多元宇宙、タイムパラドックス、平行世界を話す。
 あああああ~、と思う。パラレルワールドだね。まさか、これで事件を解決?
 GODは「可能世界」や「不可能世界」も肯定する。
 そのテレビを見ていた鑑識の堤も上代警部も、GODがこの世界に来た理由はこれだ、そう確信する。
 そして、GODはこんなことまで言ってしまう。
《「(前略)わしやお前さんたちがここでこうして存在しているのもひとつの可能世界に過ぎないという証明だ。つまり、これが単に小説の中の世界だとしたらどうだい。読者にしてみればわしやお前さんたちのいるこの世界は可能世界に過ぎないだろう。お前さんたちだってわかっているじゃないか。これが小説の中の世界だってことが」》
 あああ、筒井氏が出てきた。加藤淳也までが「それ言うたら、おしまいとちゃうんけ」と言う。
 さらにGODは言う。
《「逆に言えばだよ、われわれの世界から見れば、これを読んでいる読者の世界こそが可能世界のひとつだということにもなる」》
 あああ。終わりじゃん。
 その後、約束通り、18日後、GODは警部と会う。そこで、この世界とは違う、もうひとつの、その世界の話をする。
 その世界には、この世界と同様、アート・ベーカリーもあり、紺野雅彦と佳奈の夫婦もいた。だが関早智子は、その世界にいて、この世界にはいない。美大生で動物バゲットを彼女が作り始めた。オーナーを誘惑して肉体関係も持ち、売り上げを伸ばしたのは自分だと店の権利の一部を奪おうとし、妻の佳奈に情交をばらすぞと脅迫。ゆえに、オーナーは彼女を殺害し、バラバラにした。
 それらを捨てた場所のうち、河川敷と公園で、その世界とこの世界に綻びが生じた。その綻びから片腕と片足と落ちてきたのだ。綻びはほかっておくと拡大する。なので、その綻びを繕いにGODはやってきた、と言うわけだ。
 ということで、やっぱりパラレルワールドでバラバラ事件は解決してしまう。あああ、なあんだ、である。
 さらに、もう用がなくなったGODは、全ての者たちから、GODに関する記憶を消して立ち去ると言う。それに対し、彼に惚れてしまった高須美禰子は懇願する。
《「お願いです。わたしひとりくらいの記憶くらいは残しておいてくださってもいいじゃありませんか。GOD」》
 おいおい、何処かで聞いた話だぞ。あっ、『時をかける少女』のケン・ソゴルと芳山和子じゃん。そしたら、ネタ晴らし。
《「おやおや。何だかこの小説家がだいぶ以前に書いた『時をかける少女』のラストみたいじゃないか。でも、そういうわけにもいかんのだよ」》
 げげ~~~。
 そうして、エンディングへ。ちなみに、この感想文は、殆どが「ネタバレ注意」
だらけなので、読んでない方は読んでから読んでね。こういうことは冒頭に書くべきもんだよ。

 ただ、「なあんだ」で終わりはするが、ここに登場するGODは、この世界で崇められている神や仏たちよりも、うんと信頼でき、信じ得る存在であると思う。そういう意味で、神をも凌駕するこの小説は、筒井康隆の最高傑作にして、おそらくは最後の長篇ではなかろうか、そう確信する。
 ちなみに、神のような有名人になりたい場合は、ベーカリーに日参して顔見知りを増やし、公園で集会を開いて奇跡を起こし、傷害罪の罪で法廷に立ち、話題騒然となってマスコミからも引手あまたになりテレビの生番組の公開討論で神の数学を述べればよい、ということである。


筒井康隆『モナドの領域』 posted by (C)shisyun


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