ピカソの言葉 | 空想俳人日記

ピカソの言葉

 岡本太郎のお言葉にはたくさん接したけど、ピカソは一度もないなあ。副題の「勝つためでなく、負けないために闘う」という言葉に、「そうだ!その通り!!」と思ったので、入手した。

ピカソの言葉01 ピカソの言葉02 ピカソの言葉03

CHAPTERⅠ流儀
ピカソの言葉04

《手に入れたものを、どうして捨てなければいけないのか?》
 ピカソの部屋はいつだってものであふれ、雑然としてたそうな。「何ひとつ捨てようとしなかった、埃でさえも」と。他人からは無価値なゴミみたいなものだって、愛着があれば価値あるものだよねえ。

《賢者に評価されないのも困るが、愚かな者に称賛されるのは最悪だ》
 大きな名言じゃなく、解説の中に書かれている言葉だが、こっちのが名言だ。誰に評価されるかが問題なんだね。

《わたしはすべてをもっていない。五センチほど背が足りないのだ。》
 これ、「金も要らなきゃ女も要らぬ。わたしゃも少し背が欲しい」と言ってたお笑い芸人を思い出した。

《いい絵には、無数のカミソリの刃が突き刺さっているはずだ。》
 そう、危険なものに近寄らせない今の世の中は、居心地が逆に悪い。感動を覚えない。

《わたしがふれるものすべてが黄金になってしまう。》
 早くから有名になってしまったピカソだから言える言葉。「ぺっと唾を吐いて額装したらいくらになるか」と言うくらい、芸術的評価と程遠い奴もいるってことだね。

CHAPTERⅡ創作
ピカソの言葉05

《わたしは子どもらしい絵を描いたことがなかった。子どものころからラファエロのような絵を描いていたからね。子どものような絵が描けるようになるまで一生かかったよ。》
 いやあ、いい言葉だね。こうも言ってる、「子どもたちの手が創り出すものには、びっくりさせられるよ。子どもたちはわたしにいろんなことを教えてくれるんだ」と。

《盗むものがあれば、わたしが盗む。》
 そう、全ての創造は模倣から始まる。だから、「ピカソの作品のなかには美術の歴史すべてがある」って言われるのよね。

《人々の概念を変えなければならない。》
 ニーチェの影響が強くある言葉だね。芸術家を至上とするニーチェの思想は、ピカソの中で強く反響している。

CHAPTERⅢ恋愛
ピカソの言葉06

《わたしは恋愛の情にかられて仕事をする。》
 ピカソほど、違うタイプの女性を愛し、それを芸術に繁栄した画家はいない、らしいよ。恋愛における刺激が創作の原動力なんだねえ。

《わたしにとって女には二種類しかいない。ミューズとドアマットだ。》
 違うタイプの女性を愛した彼にとっては女性は二種類。まあ、なんと失礼な。ピカソだから、言える言葉ですよねえ。ボクが言ったら全女性から袋叩きにされるわ。

《わたしは矛盾だらけの人間だ。愛すると同時に、破壊してしまおうとする激しい感情をいだく。》
 ここには「おもちゃの中身がどうなっているのか知りたくてバラバラに解体してしまう子どものように、知りつくそうと」あるけど、複数の女性たちとの関係を持っていたピカソは、関係性も破壊しやすい状況であったと言える。

《いま二人の間にある美しさを壊さないように最大の注意を払う必要がある。……蝶の羽の輝きをたいせつにしたいなら、羽にふれてはいけないように。……だからわたしたちは頻繁にあってはいけない。会わなくてはいけないが、会いすぎてもいけない》
 これは大見出しのお言葉でなく、解説内に書かれてる言葉だが、これが「恋愛」
の章の中で最も素直じゃないかな。「ピカソを捨てた唯一の女性」フランソワーズ・ジロー(21歳。ピカソは61歳)に対して。
 この「恋愛」の章は、矛盾だらけの名言(迷言)とともに、多くの女性のお話が書かれており、ここに全ての女性に対する名言を書いていたらキリがない。というか、どれも、情欲に駆られて行動することへのソクラテスの弁明的言葉ばかりなのだが、このフランソワーズに対しての解説内のお言葉には、共感できたのだ。人間は、自らの中で情欲と理性とが葛藤し闘うこと、これも「負けないために闘う」ことの一つじゃなかろうか。

CHAPTERⅣ交友
ピカソの言葉07

《わたしから離れる勇気のある者などいない。》
 このお言葉を素晴らしいと思って書いたんじゃないよ。解説に、ヨーロッパ人には珍しいピカソの黒い瞳の魅力について、岡本太郎がこう述べているので。
「親しげな、大きな眼に、私は吸い込まれてしまいそうだ」と。

《なにより率直であることだ。》
 ピカソは妥協しなければつきあえない相手からは、つねに遠ざかっていた、ということだ。意見が異なれば異なったままでいい。けれど、人間関係に妥協を求める人が多く、そういう人からは遠ざかっていた。

《仕事と直接関係ない人々であっても、彼らとの交友で自分のなかのバッテリーが充電される。》
 この「交友」の章には、多くの交友があった人々のことが書かれてて、「へええ」の連続だ。サルトル、ボーヴォワール、シャネル、プレヴェール、コクトー、アポリネール、エリュアール、などなど。
 彼にとって、これらの交友は和やかであろうが諍いになろうが、刺戟であって、一人孤独にキャンバスに向かうエネルギーになっていたのだねえ。

《なんといってもマティスしかいないんだ。》
 前ページとともに、マティスとの友情が書かれてる。観る人に平安を与えるマティスの絵と不安を募るピカソの絵は北極と南極。だが、その引きあう磁力は強かった。
「ピカソがマティスから贈られたものに白い鳩があります。ピカソはその鳩の絵を描き、それがたまたまパリ平和会議のポスターに使われました。もともと鳩は旧約聖書のなかで平和の使いとして登場しているのですが、現在のように鳩が平和のシンボルになったのは、この一枚の絵からです。」
 へええ、知らなかった。ピカソとマティスの友情なんだ、平和のシンボルは。

CHAPTERⅤ闘い
ピカソの言葉08

《そのときわたしは自分がなぜ画家であるかが理解できた。》
 これだけでは分からない。パリに出て5年、ピカソ25歳、トロカデロ博物館でアフリカの仮面や彫刻を見た時の衝撃の言葉だ。岡本太郎が縄文式土器に出会った時のようだ。翌年ピカソは、あの非難轟々だった「アヴィニョンの娘たち」を描いた。「わたしがはじめて描いた魔除けの絵」だと。

《わたしはタバコの煙で産声をあげた。》
 これを名言とは思わないが、彼は生まれた瞬間、誰もが死産だと思って、医学博士の叔父が揺さぶり葉巻の煙を吹きかけたら産声を上げたそうだが、ボクと似ているのだ。ボクも、生まれた時、へその緒で首を吊ってて死んでるかのようだった。産婆さんが逆さにして尻を叩き続けたら産声をあげたそうな。そんな共感。

《もし妹が救われるなら、自分の才能を捧げます。》
 妹の死に対し、神は妹の命よりも自分の才能を選んだと、罪悪感をエネルギーに自らの才能を発揮する宿命を思ったのだね。

《それが人生だ。人生とはそんなものだ。》
 パリに出て4か月後、ともにパリに出た親友のカサヘマスが恋愛に敗れて自殺。「おれは絶対に女に溺れない、負けない」とし、「青の時代」が始まった。青の時代の「ラ・ヴィ(人生)」や「自画像」も20歳には思えない、絶望と苦悩の作品群たち。

《きみに人生について学ばせたいんだ。》
 唯一ピカソを振ったフランソワーズ・ジロー病んだ小柄の老女のところへ連れて行った帰り道での言葉。なんと、その老いた女性は、40年前の親友カサヘマスが恋に破れた相手。すごい、40年も、その女性を訪ねてたのだね。フランソワーズの言葉がいいよ。
「彼の行為は頭蓋骨を見せて、人間存在の虚栄について考えさせるのに似ていた」
と。フランソワーズは、最もピカソのことを理解できる女性だったんじゃないのかな。

《ーこれを創ったのはあなたですか?
 ーいいえ、あなたたちですよ。》
 これは、第二位大戦中パリを占領していたドイツ軍の調査官がピカソのアトリエを訪れ、「ゲルニカ」の写真を見た時の会話だ。ピカソの答え方は、痛烈な皮肉であり真実である。

《フランコが生きている限りは故国スペインの地を踏まない》
《「ゲルニカ」は、フランコが死んだらスペインに戻す》
 これも大きな名言じゃなく、解説内に書かれている言葉。フランコ将軍率いる反乱軍の勝利で、35年間独裁政治が続くスペインに対しての、彼の反抗だ。
 「ゲルニカ」=「反戦」、という存在意義は、世界中に響き渡っている。

《老齢と死を一緒にしてはいけない。この二つには何の関係もないのだから。》
 老いを受け入れる生き方もあるが、ピカソはそれを拒否した。甥に苛立ちながら恐れながら拒否し続けた。素晴らしい。

《わたしの人生は罪人の人生だ。》
 死の9か月前に描いた自画像。この絵を描いたころ、友人の作家に「きみの人生は詩人のそれだが、わたしの人生は罪人の人生だ」と。業の深さ、罪深さを誰よりも知っていた。最後の自画像は、この言葉どおりの、自分という人間そのもを情け容赦なく、ありのままに描き切ったのである。

 以上、気になった名言(迷言)や、それ以上に感銘を受けた解説内の言葉をピックアップして、どう感銘したかを綴ってみた。
 最後に著者さんが言うように、
《ピカソは「ピカソ」を創造した》
 ボクもそう思う。


ピカソの言葉 posted by (C)shisyun


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