まんがでわかる! ニーチェの哲学 | 空想俳人日記

まんがでわかる! ニーチェの哲学

 前に読んだ本『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』で、
☆やっぱし「やりすぎ」ニーチェをもうちょっと勉強せんとあかんかねえ。
☆ニーチェは、もっと勉強するよ。
 なんて書いたけど、偶然にも、この『まんがでわかる! ニーチェの哲学』を見つけたのだよ。しかも、本体価格648円が390円! 手に入れた。



 この本には、『人間的な、あまりに人間的な』と『アンチクリスト』の2つのお話が収められている。

『人間的な、あまりに人間的な』

 1878年に出版されたニーチェ思想の起点と言われる『人間的な、あまりに人間的な』、1885年の『善悪の彼岸』、1887年の『道徳の系譜』をベースに物語化されている。
 この中で、主人公がワーグナーを舞台にがっかりするところがあるけど、実際に、ニーチェはワーグナーと訣別するんだねえ。物語のなかでは
「演出ばかりが目立って、物語の構成が軽くなっている」と言う。言い換えれば、芸術作品というよりも、観客に受ける出し物になっている、そういうことかな。
 ま、それはともかく、主人公の父親は、牧師であるのに愛人を作って心中する。残された主人公と母親を、神学校の牧師と娘が面倒みるんだけど、彼は
「家族や周りの人々を犠牲にする覚悟があるかい?」と。
 彼は、牧師などでなく、音楽(鍵盤演奏もすれば、作曲も手掛ける)をやりたいわけだが、母親のために、牧師を目指す振りを続けていく。これは、キルケゴールVSニーチェのお話だよ。
 あるとき、彼が自らの曲をオルガンで弾くところを、あるプロデューサーが目をつける。そして、彼を説得するために、あるバーへ。バーでは、一人の女性がピアノ伴奏で歌を歌う。それに震える彼。そして、日々、バーへ通う。
 あるとき、ピアノ伴奏者がケガで演奏できなくなり、急遽彼がピンチヒッターにステージへ。この時、彼は、ニーチェの「永劫回帰」を経験するのだ。
 ボクは、『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』の感想で、次のように書いた。

《今この瞬間が「永劫回帰」してほしいと思うほど、今この時を強く生き、欲することで、人は超人になる(「力への意志」は現状を肯定する個人の意志の力という意味合いが大きい)。》
 いいよねえ。その瞬間が永劫回帰、「永遠に繰り返されてもいいくらい」その瞬間を愛すること。瞬間の永遠、これは高校時代から経験してることだ。

 彼は、その「永劫回帰」を経験しながらも、良心の呵責で「本当のことが言えないのだが」、さて、その「良心」はなんだろう。牧師の言葉を逆さにするなら
「家族や周りの人々のために自分を犠牲にすることが良心なのか?」だ。つまり、ここに出てくる神学校や牧師たちは、キルケゴールの最後の「決断」で神を信じ、自らの意志を神に捧げて生きてしまうという人たちだ、ということだ。
 こうした葛藤の中で、自分を見失わないためには、どう生きるか、そう、安寧な檻の中でぬくぬくと生きることが、本当の幸せなのだろうか。こう問いかけてくる。善いこと、悪いこと、それを越え、超人となって、自らを瞬時瞬時「永劫回帰」として生きること、そう伝えてくれている。

『アンチクリスト』

 こちらは、1888年に発表されたニーチェの宗教哲学書が元に構成されている。
 主人公の老人は、まさにニーチェ自身のように、キリスト教批判を街角でするのだが、神を批判する者は悪魔だとして、コテンパンになる。それを、二人のアジア人が救い、ともに生活するようになるのだが。
 確かに、キリスト教を信じている者にとって、キリスト教から足を洗えは、「人間やめなさい」と言っているようなものだが、その暴力的な行為は、「人々の平等」を説くキリストの教えとは思えない。だが待てよ、キリスト教の「平等」は「神の前にて」が付くか。つまり、神を信じる者限定ということか。一神教崇拝の悪しき姿であるね。
 この老人(間違いなくニーチェだが)、後半、メチャ鋭い分析をするのだ。仏教、ブッダの教えは素晴らしいとしながらも、西洋人は、キリスト教に騙され、支配層の恰好の権力の道具と化してきた、と述べる。
 その元が明かされる。老人は、イエスを否定しているのはない。キリスト教を否定しているのだ。キリスト教の経典は、新約聖書に基づく。では、その新約聖書はイエスが書いたのか。ノーだ。皆、弟子が書いたものだ。だから、○○伝どうしで矛盾もあるのだ。老人は言う、
「イエスが我々に戒めていたものは そうしたすべての決めつけであり しがらみであった」と。
 つまり、イエスは、無政府主義者(アナーキスト)、自由精神を説いていた。何故か、それ以前にユダヤ教(経典は旧約聖書だ)があったが、ここには神の失敗による人間創造、そして、人間の罪と罰が散りばめられている。そんなユダヤ教を批判し、「そうしたすべての決めつけであり しがらみ」から解放されなければならないと説いたがために、磔にされたのだ。
 簡単に言えば、神に対する反逆児、一人のアナーキストが反逆罪で死刑になっただけ。だが、うろたえた弟子たちは、なんとか、イエスを神の申し子という存在に高めんがため、罪の意識や良心の呵責にさいなまされるのが嫌なら信じなさいという、たやすく支配できる経典「新約聖書」をでっち上げたのだ。弟子たちは、真にイエスが求めたものを誰一人理解していなかったからそうなったのだ。そうして、たくさんの人間が飛びつき信者になり、羊という家畜(シモベ)になっていった。
 このお話には、最後に、革命を起こし全ての者が平等になる世界にしようとする若者が登場するが、老人は、もはや、もう後戻りできない、ヒエラルキーと役割が決まった社会に形成されいているので、その役割を演じなければ生きていけない、という。
 そのヒエラルキーとは、3つにタイプから成る。「精神の優れている者」「肉体・気性の優れている者」「どちらでもない凡人」。
 そういえば、『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』の「フロイト」の感想で冗談半分でこう書いた。

いやいや、よ~く知ってるのはピンク・フロイドか。そういやあ、ピンク・フロイドの『アニマルズ』って、存外、哲学的じゃないかな。エリート・ビジネスマンが犬、資本家が豚、平凡な労働者が羊。そして、豚が空を飛ぶ~。

 支配する豚と、支配を手伝う犬と、凡人の羊。羊は豚や犬がいないと生きてゆけないし、豚は、自家用ジェットで空を飛ぶためには、多くの凡人がいないといけない。
 そう読み解くこともできる、この話は、すごい!

 ニーチェが底の奥深さが垣間見られたマンガだ。いやあ、驚いた。


まんがでわかる! ニーチェの哲学 posted by (C)shisyun


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