大江健三郎『水死』 | 空想俳人日記

大江健三郎『水死』

 最後の小説『晩年様式集』を読んで大江文学を締めくくったつもりでいた。ところが、それではあかんことが分かったので、この『水死』も読むことにした。何故かは、後の方で書くね。



 世界は、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」で出来ている。この小説を読んで、まずそう思った。これは決して否定的なことではない。むしろ肯定的にとらえた。
 作中で、外国の詩を読む場合の話が出てくる。訳詩と原詩を読む。訳詩と原詩のズレの奇妙な味のおかしみが共鳴して生まれる深みが、詩を理解することに近づけてくれる、と言っている。この小説には、例によって大江氏らしき主人公と、その家族らしい人々、そして、ここでは、大江作品を演劇化する「穴居人 (ザ・ケイヴ・マン)」という演劇集団の人々が出てくる。みんな、どこかに、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」が潜んでいる。



 この物語は、「父よ、あなたはどこへ行くのか?」「みずから我が涙をぬぐいたまう日」において取り組まれて、ある意味失敗した父の水死を物語化する「水死小説」を企てる話。父の大切なものが入っているであろう「赤革のトランク」の中にあるであろう重要な資料で、老作家・長江古義人は「水死小説」に挑もうとするのだが、トランクの中身に落胆し、母親の声の録音テープで、決定的に小説化を断念する。って言いながら、
「おいおい、こうして書いてるやないけ」と、読みながら何度も思った。これは、でんぐり返しだろう、この逆説は。ずるいぞ。というか、大江氏は、元来ユーモアに長けている。自らを主人公らしく描きそこでは、悪戦苦闘をして生きてきた小説家として、家族から批判の目を向けられる男として登場するが、それを俯瞰して小説を書くもう一人の大江氏は、あちこちにユーモアを交えながら、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」を繰り返しながら、物語をらせん状に登る(あるいは時に降る)ようにして描く。そんな小説が、彼の後期の作品であり、名前は多少は変われど、大江氏自身の私の部分ではないかと思うような、私小説まがいの作品が多いが、これは明らかに反私小説だとも思っている。
 先に述べたことに戻るが、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」の最もコアとなるのが、「森々(しんしん)」と「淼々(びょうびょう)」の読み違いではないか。ここに、父である長江先生の言動がある。彼は、フレイザーの『金枝篇』で、生神はいつか衰え滅ぶので、衰える前に次に継承する者によって殺害するのが理想、そんな概念を天皇陛下に置き換える。読み違いとすり替えが、ここにもある。そして、何よりも、そんな父を英雄として描きたかった大江氏は、逃亡者でしかないと周囲の者からの情報などで落胆するが、ここでも大江氏、いや古義人か、彼は、父と天皇のすり替えをしている。
 大江氏自身、幼少期は、昭和天皇が主権であり、国家の子どもという意識で生きてきたことにより、戦後、民主主義を唱えるが、その幼少期のトラウマが、彼をずつと二重人格のように苦しめてきたのだろう。それは、夢に出てくる父の水死の模様で、父のもとには行かないコギー(自分)が、父と共に船に乗り込む、もう一人のコギーを見ている。この二人のコギーは、彼自身の戦前と戦後であり、そして、ある意味、息子のアカリでもある。
 さらには、バッハのカンタータの救い主のドイツ語が「天皇陛下」と意訳され歌う古義人、心酔していた将校らの冗談を読み違えて川に漕ぎ出し古義人の父、強姦体験を元にした一揆芝居を原作の個人的な読みかえ、すりかえる劇団のウナイコ。
 こうしたことは、これまで世界の表層しか見えていなかったその奥を底を暴き出してくれているとも言える。
 この『水死』は、大江氏の後期作品でずっと貫いてきたものがやっと結実した作品ではなかろうか。実際にある作品『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の汚名挽回をウナイコたちも演劇化したがっている「水死小説」。しかし、断念した後、ウナイコたちは、別の作品、故郷に伝わる一揆の伝承を素材に一揆指導者で性的に陵辱された「メイスケ母」(これは、この小説内だけの空想の産物である)の芝居にすりかえ、さらに、自らの強姦体験へとすり替え、でんぐり返しさせんとする。すべてが、表層の奥を暴くための過程なのだ。つまり、国家=強姦=堕胎。それは、国家=戦争=殺人でもある。
 夏目漱石の『こころ』の作中の「先生」の自殺の引き鉄をひいた「明治の精神」は、長江先生の「昭和天皇」の精神と被る。その先生は、極めて明治を我慢してきた人なので、何故に明治の精神なのか分からない。が、それは、長江先生への分からない部分でもあるという。そして、真正面から分かろうとすれば、どんどん、ズレていく。そのズレの中から、新たなものが見えてくる。それが、この『水死』ではなかろうか。
 面白いのは、一人称も決して統一していない。ときに「わたし」であり「ぼく」であり「おれ」にもなる。これは、一人称なのか、本当はそうじゃないかもしれない。何故なら、これは私小説ではなく、反私小説である。ということは、長江古義人が主人公でなく、みんな登場人物がある意味、その役を演じている喜劇役者たち、なのかもしれない。そういう点では、晩年の作品であるが、この作品には、若々しいエネルギーさえ感ずる。そういう意味でも、大江氏の作品の中で、一番の傑作だ、そう言っちゃおうかねえ。言わされざるを得ない、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」が読み手のボクの内部にも起きているみたいだ。
 ここには、古義人と水死した父とともに、息子アカリと彼を2度もバカ呼ばわりした古義人、そしてウナイコを強姦した小川(文部省のお役人)という対比が絡み、らせん状に上下していく。途中で登場する大黄(古義人の父の崇拝者)が、その螺旋に絡むことで、この物語はさらに高みを目指す。ラストには、小川は「メイスケ母」劇に強姦事件の暴露をすり込もうとするウナイコに対し監禁のみならず2度目の強姦と配下の者に輪姦をさせるが、その大黄が小川を射殺する。そうして、大黄は杜の高みへと逃亡するが、最後の締めくくりは事実として書かれるのではなく、古義人のモノローグ-大黄が父親を追って同じ死に方をする-ということを語って終わる。ここで、父親と大黄の二人の水死で持って幕を閉じる。これは、「うまい! やられた!」そう思わざるを得ない。事実として描かれない大黄の水死ではないのだ。長江先生の水死の後の、一番の弟子の水死を事実でなく、モノローグとして語って父の水死の殉教者として終わる。
 これは、大江氏の「水死小説」の可能な限りの大接近であり、これまでの曖昧模糊としていた自分の人生を結論付ける最大の、しかも、大江文学の頂点として位置付けたい彼の欲望もあって、書きあげられたのだ。
、大江は、見事に水死小説を書きあげたのだ。そして、彼が、もはや現代社会が引きずる昭和の精神(戦前も戦後も)が、帝国主義も民主主義も、もはや何も民にはもたらされない、そう思い結論付けたのではなかろうか。
 こうして、大江作品は、のほほんと平和ボケで生きるボクたちの心を蹂躙(失礼、かき乱すことね)しかねない、そんな怪物による書なのかもしれない。
 ちなみに、前に読んだ『晩年様式集』のほうのが最晩年の作品だ。これで、大江を締めくくろうとした。締めくくったつもりでいた。そしたら、大江健三郎という人の作家論を鋭く、しかも広汎に批評した類まれに凄い『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』に出会ってしまい、この『水死』を読まざるを得なくなったわけだ。確かに、この『水死』は、大江の後期の私的人物が登場する中で、現実と空想が入り混じり、それぞれの人物がお互いに交流する中で、大江は、「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」、これは、これまでの大江氏の作品の描き方でもある、これを用いて、さらには、「水死小説」は断念したと諦めたふりをすることで、思い切りバイタリティー溢れる作品に仕上げられたのではないか。
 ようは、「水死小説」を書いてしまった、という。ボクは、大江作品が好きかと言えば、いや、嫌いだった(うそだよ)。なのに、高校時代にしきりに読んだのは、そこに描かれた性的人間と政治的人間の裏返しが、なんか分かるような気がしたからだ。
 そして、彼の活動は、実存主義のサルトルがいうアンガージュマンを最も激しく行ってきた行動する作家である。だが、彼の著作の主に後半は、サルトルを批判して構造主義を民俗学から打ち立てたレヴィストロースをナゾッテいるとも思う。
 だが、構造主義を民俗学の観点で打ち出した彼の真意は、実は、大江氏が実践している創造と破壊、そして、これが一番大事だが、行動するということは、思案する途中でも思考を止めてでも、行動しなければならない、ということだ。彼が幼少時に引きずっているものは、なにも天皇主権だけではなく、「沖縄集団自決裁判」でも再認識したであろう、国→地域社会→家、つまり、権力者→地域のリーダー→家長、これは、実は潜在的に今も人々に引き継がれている問題だ。大江個人の問題は、大江だけじゃなく、日本の問題、いや恐らく、世界の問題でもあると思う。そう、大江氏は、自分の問題は世界の問題だ、そう認識していた。
 大江氏は、小説家であるとともに、民主主義、平和主義を牽引してきた人だ。折しも、この『水死』を書いている最中に、先にも触れたが「集団自決裁判」があった。これは、遡れば、1070年代に大江が書いた『沖縄ノート』。詳しくは語らないが、おそらく、この裁判の経過、原告と証人の「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」を大江は経験している。そのことも大いに繁栄されたのが、この『水死』ではないかな。
 今思えば、初期の作品にすでに出ている、彼の性的な部分と政治的な部分は、でんぐり返しであり、性的なことに拘ることを政治的なことにすり替える物語は、ずっと続いている。
 それはなぜか。大江という人は、自分が昭和の前半と後半での大きな分断の中で、見てはいけないものを見てしまったからではないか。ボクたち戦後間もない生まれの人間には見たことがないもの、それを彼は見てきた。だから、それをあえて、マイナスではなく、肯定的に描く。それが、天皇崇拝であり、父親崇拝であり、ある意味、三島(由紀夫)崇拝である。だが、自分は死ぬが、そうじゃない人たちは生き残る。その人たちへのメッセージとして、この『水死』は、戦前に生まれ、戦後に行動する自分という個人を世界的なメッセージに変えたい、これが大江の文学ではないだろうか。「読み違い」と「すり替え」と「でんぐり返し」を使って、世界を暴くことで。
 ちなみに、この後、『晩年様式集』を書くが、それは、おそらく、水死小説を断念すると言って家族たちを安心させておきながら、この『水死』を書いてしまったお詫びのつもりで、家族、特に女たちとの対立を描いて「ごねんね」がしたかったのかもしれないね。勿論、その引き金は、東日本大震災なんだろうけどね。
 ああ、これで、『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』の、この『水死』が語られる手前で急ブレーキをかけ停止をし、慌てて、この『水死』を手に入れ読むことができたよ。よかったよ。これで、『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』の最終章を読めるぞ。
 その『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』については、また書きます。


大江健三郎『水死』 posted by (C)shisyun


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