写真でみる戦後名古屋サブカルチャー史 | 空想俳人日記

写真でみる戦後名古屋サブカルチャー史

 そもそもサブカルチャーとは何ぞや。ネットには「ある文化の、支配的・中心的文化ではなく、一部の人々を担い手にする文化。都市文化・地方文化・若者文化などの類。」とある。
 支配的・中心的文化ってのも、よく分からない。「文化」というと、「文化鍋」を思い起こすのはボクだけか。あと、文化教室。いわゆるカルチャー教室。上から目線で教えてやるぞの文化の学びか。
 カルチャーショックって言葉を聞いた。文化的衝撃か。では、サブカルチャーは衝撃が多いのだろうか少ないのだろうか。

 たぶん、歴史的に文明や文化の流れのなかでは把握できない、ようは政治や経済の王道ではないところで生まれた、しかも、文化の歴史の流れをも破壊しかねない、そういうのがサブカルかと思うが、いまだに、サブカルって何? そう思う。

 でも、この本は、まあ、「それは適当に置いといて」昭和20年代から昭和の最後までの名古屋のサブカルを網羅した本だ。

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 いやあ、楽しんだ。「そうそう」もあれば、「いやあ、そうだったの」もあれば、「知らんかった」もある。
 あんまし紹介しすぎると、出版社から著作権問題で訴えられたくないので、むしろ逆にPRするくらいの紹介で、本著を述べる。

 昭和20年代は、ボクまだ生まれていない。でも、興味深い記事がいっぱい。特に「芸術は爆発だ」の岡本太郎さんのお父さん(漫画家)が東山動物園で登場してるなんて(その後、岡本太郎氏自身も名古屋で活躍。後で紹介)。

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 NHK朝ドラで主人公の笠置シヅ子さん。AMIも、ブギウギを演奏してるけど、「名古屋ブギー」があったんだ。

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 ツイストは、確か小学校の頃、何かとはしゃぐとツイスターになってた、と思う。
 名古屋ってパチンコ屋さんが多いらしい。小学校の頃、近所の映画館がパチンコ屋(確か、赤玉会館。赤い玉なんかなかったけど。銀玉会館なら分かる。金色があったら金玉会館だ)に変わって、親に連れられて、落ちている玉でパチンコしたなあ。まだ手打ちだったと思う。

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 9歳の頃かあ、岡本太郎が北区の久国寺の梵鐘「歓喜」を作ったのは。この「歓喜」、割と最近、観に行ったなあ。ブログ記事【久国寺 岡本太郎作「歓喜の鐘」】にも書いたよ。

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 名古屋駅前のロータリーにあった「青年の像」。これにフンドシ履かせたのは、多分に、フンドシを取るであろうことを予測して、その行為がエロいアートパフォーマンスになるであろう、ということじゃないかな。

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 岡本太郎の名古屋三部作は、もったいないことしたねえ。特に、オリエンタル中村の正面の壁画。名古屋三越に変わっても、あのままにしておくべきだったよ。なんか、芸術よりも経済を優先する世の中に変わってって、人間性喪失と都市での疎外の象徴のような気がするね。

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 手塚治虫作品は、ボクにとって学校の教科書以上のテキスト、いわゆるバイブルだもんね。これは、ボクが20歳ころの来名だけど、実は、たぶん小学か中学の頃、手塚氏が漫画キャラクターをメチャくちゃスピーディに描くのを生でまのあたりにした記憶があるのだ。いや、いつどこでのことか、それは全然、覚えてないのだが、その頃、名古屋に来ていないかねえ、手塚先生。

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 中学の頃、深夜放送を良く聴いた。特にミッドナイト東海。アマチン・リコタン・レオ。それと、日曜日のサンデー電話リクエスト。ミッドナイト東海のイベントが、あれは確か愛知県体育館じゃなかったかな、あったんだけど、そこにも行ったよ。アマチン、今年の11月5日に他界しちゃったよね。ご冥福をお祈りします。

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 ノーパン喫茶は何回か上司に連れられて行ったけど・・・。

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 泥レス喫茶は、知らなんだなあ。知ってたら、行ってたかも。

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 以上、全ページ感想したいけど、これくらいにしておくね。


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