昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲 | 空想俳人日記

昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲

 副題の「リズム音曲」って何だろう。読んでいるうちに、「はあ、あそうかあ。大阪の飴ちゃんなんやあ」ってね。

昭和ブギウギ  笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲01 昭和ブギウギ  笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲02 昭和ブギウギ  笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲03

 とにかく、ボクが生まれる前だけど、流行ったブギウギを歌う笠木シズ子、作った服部良一、ずっと気になってはいた。でも、生まれる前のことだから、ずっと敬遠してた。
 そんなところに、この本。2023年後期のNHK朝ドラ「ブギウギ」を前にして出版された本だ。読まねば。と言っても、うちにはテレビがないから、朝ドラは観ないけどね。
 けんど、この本を読んで、もう、朝ドラ観る必要がない、そう確信した。二人の戦前戦後に繋がるリズム音曲の正体が、この本で十分分かったよ。
 そして、感想を述べるよりも、実際に二人の音楽を聴いた方がよく分かる。二人とも戦前は大阪でレビューしてた。このレビューとは、レコードに頼らない、実演。劇場のステージが世界。それは、浪速の芸人たちと同じスタンス。服部氏も音楽学校なんか出ていない優等生ではない。シズ子さんも、宝塚を受けたが、カラダで失格。松竹へ。いやあ、ハイソサエティの宝塚に行かなくて良かったよ。
 お互い大阪時代では出会っていない。でも、大阪で培った芸能パワーを持って、東京へ。それは、本書に、松竹や吉本や阪急(いわゆる東宝。東宝って、東京宝塚劇場の名から略したのかな)のことが書かれてるから読んでね。
 あとは、とにかく本を読んで。笠木シズ子と服部良一のブギはずっと気になっていたのよ。というか、自分がブギウギ好きなんよ。みっちゃんが作詩し自分が作曲した『ころがるはじける』なんか、ブギなんよ。
 この本では、あちこちのページを写メするより、笠木シズ子のリズム音曲を、百聞は一見に如かず! なので、そうしたのをYouTubeから貼り付け。

ラッパと娘


東京ブギウギ


 やっぱ『東京ブギウギ』は最高だねえ。著者さんは語っていませんが、美空ひばりの『東京ブギウギ』挟みますう。



ジャングル・ブギー


 黒澤明監督の映画『酔いどれ天使』の劇中歌として使われ、黒澤監督自らがこの歌の作詞を担当した。笠置シヅ子も「ブギを歌う女」として出演し、三船敏郎や木暮実千代らが登場する酒場でのダンスシーンで自ら歌い踊っている。 歌詞の「骨も溶けるような恋」は元々「腰も抜けるような恋」だった。笠置が「(卑猥すぎて)歌えない」と拒絶したために黒澤が書き換えたものである。

セコハン娘


 これ、ブギじゃないけど、けっこうええよ。
 あとは、極めつけ。
 最高傑作と本書にも書かれた『買い物ブギー』。

買い物ブギー


 これ、著者さん曰く、ブギじゃなくバップにしたかった服部良一さんの意気込みがあるそうだけど、大事なのはブキとかバップとか音楽形態でなく、著者さんが服部氏の誤解を指摘するよりも、そんなこと関係なしに、自分なりに服部氏が曲作りに挑んでることだね、著者さんが音楽に相当精通していることを自慢ありげに語るところなど、いやいや読んではいるが、まあ、そうかもね、思うので、何とはなしに、納得してる。
 ただ、ブギウギとは何かを語る意味などなかろうか。アメリカがどうであろうと、服部氏がどうであろうと、ブギウギは、1小節の中に付点8分と16分が4つあり、例えばキーがCならば、C⤴E⤴G⤴A⤴Bb⤵A⤵G⤵Eのベース音が大事。

 かのように、著者さんの毒舌と独断に「そうじゃなかろうて」と思いながらも、痛快丸かじりの論点で、この本を読み終えられると思ってたら、なんと、服部良一と笠木シズ子が下火になったことに、こう語ってる。
《服部のような大規模なオーケストレーションを音楽語法の基盤とする作曲家に代わって、作編曲技法は初歩的ながら、民謡や浪曲や流しの艶歌師の独特の声の質感を活かせる新たなメロディメーカー(船村徹や遠藤実や市川昭介)が台頭する。》
 これに僕は失望の涙した。いわゆる演歌だ。著者氏も書かれてる通り、「作編曲技法は初歩的」な人たちが演歌という他の歌謡曲よりも地位の高い(何故だろう、演歌で売れたら他の歌謡曲よりも稼げるらしい)世界を築いていく。これが、日本の音楽の大いなる間違いだ。服部良一氏の素晴らしい作曲技法を、陳腐な演歌作曲家が凌駕していく。演歌は、確かに、歌いやすい。なんせ、コードもAmとDmとE7だけで構成されている楽曲も多い。法堂李良一氏の作曲家も稚拙だ。多くの演歌作曲者も、服部氏の音楽性からは相当劣っている。なのに、演歌は神様だ、みたいな時代が築かれていく。全ての演歌が嫌いだとは言わないが、日本での演歌シーンは他の歌謡曲よりも持ち上げ過ぎだ。歌謡曲を歌うよりも演歌を歌った方がいい、だから、キヨシは「ズンドコ節」を歌った、そしてヒットした。彼自身は歌いたくなかったのに。演歌は稚拙な作曲者と唸る演歌歌手で築かれた魔法の世界。それが、日本の音楽のメインとなっていく。
 ボクは、演歌を嫌いとは言わない。それなりに素晴らしいメロディメーカーもおられる。だが、ボクが目の当たりにしたのは、新たなメロディメーカー(船村徹や遠藤実や市川昭介)たちが演歌を作っているということで、大きな顔をして上から目線で音楽シーンを語っていることだ。その中には、ロカビリーも、グループサウンズも、下卑た音楽だ、そういう輩もいた。「あんたらあより、よっぽどロカビリーやグループサウンズの方が音楽性高い、そう、小学生ながら思った。
 船村徹や遠藤実や市川昭介が、服部良一よりも優れているかと言えば、全然、足元にも及ばない、ワンパターン作曲家だと思う。それが幼少の頃、テレビ番組で、大柄なことを言う。つまんない曲しか作れない癖して、そう思って観てた。ボクは、演歌しか作らない作曲家は認めてないが、演歌で唯一、素晴らしい作曲家は、あれ、誰だっけ、石川さゆりの『天城越え』。そうそう、弦哲也だ。意外な作品、モーニング娘の『見返り美人』も彼の作品だが、素晴らしい。



 けれど、ボクは思う。当時の服部良一と笠木シズ子のリズム音曲は、戦後の演歌よりも、ロカビリーよりも、グループサウンズよりも、歌謡曲よりも、フォークソングよりも、ニューミュージックよりも、今、最も新しい。
 服部良一の功績は大きい。ブキのリズムを残し、今、ボクたちが演奏する。ブギは永遠である。

 あああ、笠木シズ子のリズム音曲、AMIで演奏したくなったよ。


昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲 posted by (C)shisyun


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