100分de名著ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』 | 空想俳人日記

100分de名著ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』

 ナオミ・クラインという名も、ショック・ドクトリンという言葉も、惨事便乗型資本主義という言葉も、耳にしてはいたけど、中身をあんましよく知らないので、読んでみることにしたよ。

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 しかも、解説してくださるのが、あの目から鱗だった『デジタル・ファシズム』を書かれた堤未果さんだというから、なおさらだ。

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 いつもお世話になってる100分de名著シリーズだよ。よろしく。

第1回 「ショック・ドクトリン」の誕生

 この第1回で、いきなり驚いたのは、惨事便乗型資本主義というか自由主義経済って、まだ最近のことだと思ってたのだけど、随分前からなんだあ。

 市場原理主義を唱え、「真の変革は、危機的状況によってのみ可能となる」述べた経済学者ミルトン・フリードマンは、1976年に、ノーベル経済学賞を受賞しておるよ。まさか、先進諸国が途上国から富を収奪することを正当化する最も危険な思想の持ち主が、なんで。当時は分からんかったのかねえ。
 フリードマンをリーダーとするシカゴ学派は「大きな政府」や「福祉国家」を叩き、「警察と国防以外はすべて民営化して市場の決定に委ねるべきだ」などとほざいてるよ。
 有名なのは(というか、ボクは、これを読む前は知らんかったけど)、ピノチェト独裁下のチリにおいて、アメリカなどの先進国の民主主義ではやれなかった市場原理主義なる改革をやっちまった。一般人に対する処刑や拷問がはびこり社会全体がショック状態になったことにつけこんで、シカゴ学派出身者がブレインとなって暴れまくり市場開放を断行した。結果、チリの産業経済は外資の餌食となり収奪され尽くた。クラインによれば、チリは「ショック・ドクトリン」の最初の実験台になったのだと。1970年代後半のことだ。
 あの「鉄の女」と呼ばれるイギリスのサッチャーにチリと同様のショック療法を勧め「ケインズ主義から新自由主義」へ転換するようアドバイスをしている。そして、彼らにとって好都合のフォークランド紛争が1982年に始まり、怒りと不安で思考停止している国民に「愛国心」と「外からの敵」の存在をメディアを通じて刷り込むことに成功。自由主義政策を実行し、最低賃金が撤廃され、公営サービスが民営化してしまった。
 フリードマンの三大ドクトリン「規制緩和」「民営化」「社会保障制度削減」は、一見、政治は経済に介入するな、とは裏腹に、政府と多国籍企業との癒着を生む。それによって、格差がどんどん開いていく社会になる。よっぽど、岡本太郎氏が唱えた三権分立、政治・経済・芸術の三権分立のが正しい。
 そうだ、これは、何も外国の話だけではない。よその国のことだけだと思ったら、大変な間違いで、日本においても、1980年代、中曽根首相は、国鉄、電電公社、専売公社を民営化している。だからか、1986年に中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」がフリードマンに贈られている。中曽根が日米関係強化で盟友関係を築いたレーガン大統領からも、アメリカ国家科学賞と大統領自由勲章をフリードマンは授与されておる。
 あと、竹中平蔵元経済財政政策担当大臣もフリードマン信奉者だそうな。そういえば、小泉純一郎内閣時代、郵政民営化や労働規制緩和の旗振り役をやっておった。
 世界的な機関、関税や規制を削減撤廃し自由貿易推進のための国際機関WTO(世界貿易機関)や政府・国際機関・多国籍企業などのリーダーたちが集まる通称ダボス会議と呼ばれる世界経済フォーラムも、フリードマンの危険な思想を継承している機関だとして、クラインは、それ等に対抗する世界社会フォーラム(世界中のNPO・NGO・市民団体が集まって公正で持続可能な社会を目指す)で、中心的な役割を果たした。
 こうしたことから見ても、新自由主義経済が、いかに国民・市民置いてきぼりの、政治家と富裕層たちだけのための考え方か、それを多くの国の政府も支援し、国際機関までもでかしている、そんなことが、この第1回でもう伝わってきて、ボクは、世界が狂っているとしか思えない、そんな感覚になっちまったよお。
 多国籍企業が政府と手を組み自分たちの都合の良い政策を導入して利益を拡大する、反対者を弾圧する、このシステムをクラインは「コーポラティズム」と呼ぶ。覚えておきたい。

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第2回 国際機関というプレイヤー・中露での「ショック療法」

 世界経済を融資の面で救うべき国際機関だと思っていた世界銀行とIMF(国際通貨基金)。ところが、ここにも新自由主義の魔の手、シカゴ・ボーイズが潜り込んでいたとは。
 1997年に起きたアジア通貨危機に、IMFは融資の条件に「基幹サービスの民営化、中央銀行の独立化、労働市場の"柔軟化"、社会支出の削減、そして完全な自由貿易の実現」というシカゴ経済学派の制作を掲げたのだ。マレーシアのみ受け入れず、多くの国は緊急事態だったため受け入れてしまった。
 中でも、韓国は大統領選挙で主要候補4名のうち二人が新自由主義を反対。ところが、IMFは「当選したあかつきにはIMFの融資条件に無条件に従うという一筆を書くこと}と露骨にも。交渉成立した1997年12月3日、韓国は「国民的屈辱の日」と名付けている。
 中国やロシアなどの大国も、国家主導で同じような事態を引き起こしている。元々弱体化した国々を援助する目的で創設されたIMFだが、これら大国に新自由主義を何故に導入させようとするのか。
 中国は、共産というか鄧小平の独裁だ。ところが、独裁と新自由主義は、両立するのだ。そのことがまざまざと書かれている。ようは、銭儲けが独裁政治家にとって得になればいいのだ、私腹が肥やせればいいのだ。だからなのだ、天安門事件が起きたのは。抗議デモは学生だけではない、教員や零細企業経営者や工場労働者もいたのだ。政府の独裁的なやり方に反感を持ったのは、多国籍企業と国際金融資本と党がつるんだからなのだ。こうして、中国を、地球上のほとんどすべての多国籍企業の下請け工場地にしてしまったのだ。共産党と多国籍企業の共通項は、
《グローバリズムの中で利益を最大化したいという、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という欲望》なのである。
《インターネットで「天安門事件」と検索しても、何の情報も出てこないように操作できてしまうのです。
 西側のGAFAに、中国のファーウェイ、アリババ、テンセント。》
 さて、ロシアだが、ゴルバチョフはグラスノスチとペレストロイカで10年から15年かけて社会民主主義に移行しようとしてる中、初めてG7に参加すると、メンバー全員から「急進的な経済ショック療法をすぐにやらねば駄目だ」と。そしてIMFと世界銀行からも経済危機を乗り切るための債務免除を断られてしまった。そのタイミングで、ロシア共和国のエリツィン大統領はソ連を崩壊させ、ゴルバチョフを辞任に追いやった。ソ連崩壊で国民がショック状態の中、ロシア版シカゴ・ボーイズが閣僚に就任したエリツィン政権は、おなじみの価格統制廃止、貿易自由化、国有企業22万5千社の民営化を実施してしまった。1年もしないうちにロシア経済は壊滅的な打撃を受けた。
《言語道断なのは、ロシアの国家資産が本来の価値の何分の一という値段で競売にかけられことだけではない。それらはまさにコーポラティズム流に、公的資金で購入されたのだ。》
《国営企業を売る政治家とそれを買う大企業が、裏で手を組んでいるという図式でした。》
 このように、世界のあちこちでのショック・ドクトリンは、シカゴ・ボーイズによる新自由主義の旗印をもとに、G7やIMFなどの世界機関までも洗脳して、富裕層だけの世界、一般国民・市民を切り捨ててゆく経済活動を行っているのだ。驚きである。こんなことがあっていいのだろうか。

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第3回 戦争ショック・ドクトリン 株式会社化する国家と新植民地主義

 第3回は、9.11同時多発テロにより、ブッシュ(子)政権が取った行動も、またシカゴ・ボーイズの「しめた!今だ」によるものだ。ここでは、民間委託による空港のテロ警戒態勢体制のずさんさへの批判を受けるような形で、国内でのテロへの脅威に応えるべく、監視体制を強化していく。ここでの多国籍企業が潤うのは、セキュリティ産業だ。監視カメラの分野、そして録画された映像を分析するデジタル画像分析のソフトウェア産業。しかし、バブルを謳歌するセキュリティ産業の収益も、政府が手に入れた国民監視や人権侵害のフリーパスも、報道されてない。あの自由主義大国アメリカが、これを契機にデジタルファシズム化していく。
 また、「イラクは大量破壊兵器を保有している」として、イラクに空爆を仕掛けるが、これもメディアを使って空爆情報の予告や空爆映像は、ひとつのショー化された。この「衝撃と恐怖」作戦は、ラムズフェルドがイラク国民を「集団的拷問の実験台」にするというものだったのだ。通信省が爆撃されたことで聴覚を奪われ、電気系統が攻撃され、四角が奪われた。そして、博物館が破壊され貴重な文化財が持ち去られ、イラク国民の文化的アイデンティティを焼失させた。これは、国有財産がなくなれば、その後の民営化がスムーズにいくというものだ。何千年も続いた文化や伝統、歴史や宗教を全てなかったことにし、国家をゼロから作ろうとする行為だ。これは、新植民地主義でしかない。国営企業200社を民営化し外資が100%所有することを許可し、法人税を大幅に引き下げ、貿易を自由化し、イラクに投資して得られた利益は税金ゼロにしてしまった。実行に移される多国籍企業の希望項目リストを作成したのはホワイトハウスだ。
 イラクは実は、社会主義に近い政策を取っていた。若者が結婚すれば政府からお金が支給され、農業従事したければ土地・肥料・タネが与えられ、国が莫大な予算を出す教育と無料は無料、識字率も高く、女性の社会的地位も高い。これが真のイラクだった。こんなこともメディアは語らず、イラクの悪しきイメージを僕らに刷り込んできた。
 イラクが大量破壊兵器を持っていると報道したマスコミの8割がオーストリア出身のメディア王ルパート・マードックの所有のモノだそうな。かれは、レーガン、サッチャーと同じく、新自由主義者でブッシュ(子)の熱烈な支持者だ。
 民営化と規制緩和で政府介入が減ると、市場原理が働いて多くの企業が自由に競争するというのは建前で、現実は、グローバル化と民営化が進めば、多国籍企業の思う壺で、寡占化し、競争そのものを失くしてしまう。
 メディアもセキュリティ産業も情報も食や農業も、あらゆる産業が数社の大企業の傘下であった。ボクたちは、そういう俯瞰的な視点でイラク戦争のショック・ドクトリンを見直さなければならない。これが、第3回のポイントだと思う。

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第4回 日本、そして民衆の「ショック・ドクトリン」

 最後の回は、「では日本では」だ。「ショック・ドクトリン」は、米南部のハリケーン(カタリーナを覚えていると思う)やアジアの津波災害においても踏襲された。津波で根こそぎにされた沿岸集落の被害をチャンスととらえて、その土地をまるごと民間に売り飛ばして高級リゾート開発へつなげという論理にも応用された。
 そんな中、日本で、3.11が。東日本大震災だ。その後の対策に対し、「ショック・ドクトリン」に対して警戒するような文章がある。3.11の前にハリケーン・カトリーナを経験した方、根こそぎ、民営化され、生きる術を失った人たちだ。引用する。
《3.11後の日本は、カトリーナ後のルイジアナを思わせる。被災地の状況や放射能のことで国民がパニックになっている時は、本当に気をつけた方がいい。国民の眼が政治からそれているうちに、過度な市場化が一気に導入される危険があるからだ。市場化の"実験場"にされた、ニューオリンズの二の舞にだけはなってほしくない」と。
 このことで、日本の3.11が二の舞にならずに済んだのか。実は済んでない。同じことを日本政府は進めたのだ。
 何がなされたか。3,11で、ショック・ドクトリンに便乗した日本政府は、地域の協同組合の約束をないがしろにする、復興特区での海の民営化が行われたのだ。漁業の経済的復興支援の下、復興特区を自由解放したのだ。これまでの規制が厳しい中、マルハやニチロは既成の中で頑張って来たのに、それを政府は復興支援という名のもとに、大きな多国籍企業にも門戸開放したのだ。まさに復興支援でなく、復興支援を建前に、日本政府は、癒着している多国籍企業に入り込む隙を与えたのだ。
 海の民営化だけではない。「海の次は空だ」と宮城県知事は、仙台空港を民営化してしまった。同時期、関西国際空港や大阪国際(伊丹)空港も民営化された。
 震災被災地である会津若松市では、外資系コンサルによってあらゆるものをデジタル化しネットで繋ぐ「スマートシティ」計画が始動。これがモデルとなって、コロナ禍で「スーパーシティ」構想があっという間に立法化された。矢継ぎ早に「デジタル改革関連法案」「改正個人情報保護法」など、地方自治を弱め国民を監視体制下に置く法案があっという間に可決された。
 こういうパンデミックで国民が不安を抱いて何もできない状況下で政府は多国籍企業とコーポラティズムしていく。一部の富裕層の利益はますます拡大し、中小零細企業はどんどん衰退し、貧富の差はますます拡大する。
 3.11に戻るが、何故に漁業協同組合が厳しいルールでやってきたか。日本の漁業協同組合は、世界からも注目をされているほどクオリティが高く、自然の生態系と人間の経済活動のバランスを考えた持続可能な産業として維持する管理体制が敷かれている。中には、協同組合の言うとおりにやってては搾取ばかりされて自由に漁業ができない、儲けも少ない、そういう人もいて、その組合と、漁業従事者での争いも確かにはあったけれど。しかし、この東日本大震災で、「しめた!門戸開放だ」という日本政府と多国籍企業の前に、「ちょっと待った!」と立ちはだかる漁業組合もあったというのは、メチャ頼もしい。これまで、漁業というと、魚を捕るだけなのを、加工から商品開発までして、さらには、販売までする、そんな自力の協同組合が生まれたという。
 そう、これなのだ。新自由主義や多くの国家間で誕生した世界機関が先進7か国だけの、そして多国籍企業だけの利益追求の営みを目的にしているのであれば、今一番大切なのは、そうした貧富の格差をどんどん拡大させる新自由主義に対抗すべく、「コモンの復権」「コモンの再生」を図ることが重要なのだ。これは、なんのことはない、『人新生の資本論』や『ゼロからの資本論』を書いている斎藤幸平氏の考え方ではないか。
 堤未果氏も最後に書いている。斎藤幸平氏が望む動きが、日本にも出てきていることを。それは、NPOやNGOや市民団体が地方行政に働きかけ、グローバリズムという悪の根源を払しょくする地域特性を、国に提言するという動きが。
 今、地方行政は、改めて、国からのトップダウンに従うのでなく、地域のNPOやNGOや市民団体と手を取り合い、地域住民の多様性も含めて活動しやすいように、パンデミックのどさくさで国が定めちまった法律を撤回させる運動を起こすべきだ。
 IMFや国際銀行と同じ穴の狢の世界機関は他にもある。そうした、グローバリズムを目指す機関ではなく、もっとローカルで地方色豊かな、それこそ、NPO/NGO/市民団体が中心となった活動こそが、これからは重要で、民営化・市場化された公共サービスを再公営化していくべきなのだ。
「ネオリベラリズムのまやかしに打ち勝とう!」
 最後に、ナオミ・クラインの文で終わりたい。
《こうした住民による自力復興は、惨事便乗型資本主義複合体の精神の対極にあるものだ。後者はモデル国家を構築するために、常にまっさらな白紙状態を求める。だが自力で復興を目指す人々は、たとえばラテンアメリカの農業や工業の協同組合のように、常にその場にあるものを(中略)有効に使う。(中略)歴史、文化そして記憶まで、これまで消されてきたものはもう十分すぎるほどある。(終章「ショックからの覚醒」)》

100分de名著ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』06


 そう、「歴史、文化そして記憶」までも「白紙状態」にされることに「NO!」を突き付けなくてはいけない。


100分de名著ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』 posted by (C)shisyun


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