同調圧力のトリセツ | 空想俳人日記

同調圧力のトリセツ

 脳科学界の中野信子氏と演劇界の鴻上尚史氏の対談である。

同調圧力のトリセツ01 同調圧力のトリセツ02 同調圧力のトリセツ03

 以下、小学館からのサイトから。

「不安がちで群れたがり、
 集団からはみ出す人を攻撃しがちなのは、
 日本人の特性だからしかたない…
 と諦めてはいませんか?

 たしかに、我々は、中途半端に壊れた「世間」に残る強い同調圧力や、
 枠組みを疑わせない教育、親から受け取る価値観の呪いに縛られ、
 コミュニケーションに悩み、息苦しさからなかなか逃れられずにいます。

 しかし、同調圧力の正体や扱い方を知り、コミュニケーションのトレーニングをすれば、
 孤立するでもなく、群れるでもなく
 自分が一番心地良い距離で、社会と関わることもできるのです。

 脳科学界の中野信子氏と演劇界の鴻上尚史氏が、心地良く生きるためのコミュニケーションについて語りつくす痛快対談です。」


 というように、まさに痛快対談であるが、結構、鋭い。


同調圧力のトリセツ04

【第1章・日本の「同調圧力」とコミュニケーション】

鴻上 コロナの影響で国から自粛を求められた時に、「演劇界を含め、自粛要請でダメージを受けた業界には、休業補償をお願いしたい」とインタビューで話したら、そのインタビューをネットで読んだ人から「好きなことをやっているんだから、貧乏でいいんだろう」という反応があったんです。
 中野 同じ時期に、日本俳優連合の理事長を務める西田敏行さんが、俳優の窮状を訴える要望書を国に提出したら、同じようにバッシングされてしまったことをよく覚えています。「好きなことをやっていると責められてしまう国って何なのかな…」とすごくモヤモヤとした気持ちになりました。》
 いわゆる嫉妬というか、妬みだねえ。いやいや金のためにやらさせられている人が多数なのかなあ。そういう人が、大企業で部品となり自民党を支持する。寄らば大樹の陰じゃないかな。
“When you take shelter, make sure you go under a big tree.”
(非難するならば大きな木の下に行きなさい)
“Better be the tail of lions than the head of foxes. ”
(キツネの頭になるよりはライオンの尻尾になった方がいい=弱い立場で前にいるよりも強い者の後ろに隠れていた方がいい)


【第2章・ジェンダーの呪い】

中野 危機的な状態になると、集団性の価値がより上がって守り合う必要が出てきて、新しいことをする人は悪になってしまうんです。今は、若い子の方が空気を読んでいます。し、専業主婦になりたいという子も多いと聞きます。
 鴻上 若い子にインタビューすると、同性婚や選択的夫婦別姓は認めていいという声が高いのに、実は自民党の支持率が高いんです。不思議なことに、選択的夫婦別姓も同性婚も推進していない与党を支持しているんです。》
 穏やかな川の流れの時、その川の流れに身を任せていて、激流になった時、怖いので大きな船に乗って安心して川を下る。そうでない意志と行動力のある自立した人は、自力で川の流れに逆らって泳ぎまくる。船からは「アブねえじゃないか、船に乗れ!」と同調圧力。あの船は、全体主義丸、三途の川を流れていくかもしれない。
鴻上 さっき中野さんが仰っていたように、握手して接触したり、みんなと同じ空間にいると、脳内にオキシトシンが分泌されるということは、動物としての人間は、常にグループを形成することを快感だと思うように設計されているんでしょうか?
 中野 そういうことになりますよね。哺乳類はだいたい群れた方が安全ですから、その仕組みを持っているんです。けれど、社会的複雑性が高い人間の場合、この仕組みを使うと、時には、あまりにも行きすぎてしまうことがあるんです。オキシトシンにより集団の関係が強化され、その集団を守るための規範意識が高まっていく。ここまでは、望ましいことでしょう。
 しかしその結果、集団内に目立った人がいると、「私たちの集団を壊す人がいる」と不安に駆られたり、その人をバッシングしたくなる衝動が湧きます。これが実行に移され、過激化すると、制裁を加えたり排除したりしてしまうんですよ。》
 これ、メチャ分かる。以前、所属してた団体が、まさに中野さんが言うとおりだった。脱退したけどね。


同調圧力のトリセツ05

【第3章・学校が作り出すぎこちないコミュニケーション】

鴻上 枠組みを疑う、前提を問い直すという教育がなかったということに、絶望しちゃいけないんですが、暗澹たる気持ちになります。
 中野 「疑わないこと」が「いい子」として評価されるための一要素であったりもしますからね。
 鴻上 教育そのものが枠組みを疑わせない構図になってますよね。》
 ボクは、小学校の時、九九が出来なくて九九特訓組だった。体育では、逆上がり特訓組。「枠組みを疑う、前提を問い直す」は、学校外で学んだ。人類は進歩してるんだろうか、正義って何だろう、人間らしさってなんだろう、などなど。小学校では手塚漫画・アニメ、中学ではダリを知りシュルレアリスムを好きになり、高校では安部公房文学に嵌った。みんな、「枠組みを疑う、前提を問い直す」ことを教えてくれた。


【第4章・コミュニケーション力の上げ方】

鴻上 今までの「世間」ではない「社会」と繋がることで息苦しさから逃れるという方法があります。
 中野 それは強く賛同します。一つの世間に固執しようとすると、違う意見を持っていても、全てをその世間にあわせないといけないと錯覚してしまいます。そうでない自分がいてもいい、と思えることは、同調圧力や正義中毒に対する防波堤になりますよね。》
 うん、このことは、いろいろなとこでボランティア演奏したりイベントステージで演奏したりしてると、強く感じるなあ。
中野 ロールプレイイングという方法はかなりいいと思います。
 鴻上 僕は『演劇入門』(集英社新書)という本で、子どもの前にいるお母さんは、職場に行けば上司や同僚や部下になり、夫の前では妻だし、友人の前では友人同士になる。同じ人なんだけど、実は全部別人で、一個の固定した人格なんてなくて、その場その場で、必要な自分、求められている自分、生き延びやすい自分、効果的な自分を選ぶ、みんな日常から演じているんだと書きました。生きることは演じることなんですよね。》
 ワークライフバランスですねえ。時には、相方から周りに起きた何か事件を聞くと、その事件を自分なりに想像(妄想)して、「本当はこうじゃないの」と、その事件の登場人物になりきって勝手に会話も交えて物語(ドラマ)作っちゃったりして話してるよ。エンパシー能力、高まるかなあ。


同調圧力のトリセツ06

【第5章・コミュニケーションを支える言葉と身体性】

 この章は面白いことがいっぱい書かれてる。
中野 噓である可能性を排除せずに相手と向き合う、というのが成熟した大人のコミュニケーションですよね。
 鴻上 「まず嘘を言うことを受け入れる」というのは、コミュニケーションを悩んでいる人達には、勇気が出ることじゃないかな。
 中野 でも時には相手をいい気持ちにさせて、関係を円滑にするための嘘だから。》
 嘘も方便、だよねえ。話半分ってのも、コミュニケーションを楽しくするものだしね。
 あと、「メタ認知」。
鴻上 自分がどう嘘をつくかということを、客観的に見るということじゃないですか? 中野さんの言うところのメタ認知をしないと、自分が嘘をついているかどうかがわからない。メタ認知をするということは知性ですが、メタ認知をするためのトレーニングをするということですよね。
 中野 メタ認知とは自分自身を客観視する能力のことですね。自分をいわば「斜め上から目線」で観察し、自分の行動を考えたり制御したりすることですけど、もともとできている人と、最初はできなくて、成長していくにつれてできるようになった人がいます。》
 これ、シナリオ(台本)みたいなものだね。
 あと、音楽と科学について。
鴻上 西洋音楽はものすごくロジカルですもんね。感情をデータ化して数値化するなんて、ある種の嘘をつかなければできない。今、思わず体から出てきた祈りを数値化しろなんて、本当はできるわけがないんですが、それを音楽にしてるんですもんね。祈りを数値化したことで共通言語としてメジャーになって、西洋音楽は世界言語になっていったわけですね。
 中野 これは音楽だけの話ではなく、現代人の私達は科学をとても信頼していますよね。もちろん私も素敵な思考体系だと思っています。けれど、科学でモノを見ると逆に嘘になってしまうこともあるんです。
 例えば、今、科学が定義する健常者の枠組みに入らない人のデータは、全部アウトライヤーとして排除される。けれどもかつての社会では、アウトライヤーは「そういう人もいる」と思われていました。「病」というよりも、むしろ「性質」に近いものだった。昔は、総合失調症の人が、「あの人は神様の声を聞いている」と思われていたという形跡もあります。今の科学の目で見ると「あの人達は幻聴を聴く紡機の人である」と受け取り方が違ってきます。科学の目で見ると、歪んだ社会になる可能性もある。それを考慮せず私達は科学の色眼鏡で見ていることを忘れがちだというのは留意すべきでしょう。》
 西洋音楽とワールドミュージック。特殊なのは西洋音楽の方なのに、世界言語になっているので、もっとも一般的な音楽として捉えられている。言葉はいろいろな言葉があるけど、この音楽言語は世界共通だもんなあ。一方、科学は論理的であるけど、下賜しすぎると、見落としてしまうものがある。例えば、人間の多様性をある平均を正常と捉え、それ以外を「症」や「病」として排除しかねない。
 あと「タトリングとテリング」も面白い。告げ口か伝えるべき情報か。
 そして、「強いリーダーに従う方が楽」ってのも分かるなあ。
中野 口ではみんな、平等が大切だと言いますが、一方で、何度も繰り返しそう言わなきゃいけないくらい、現実には平等ではないことをみんな知っている。平等じゃないほうが心地よいことも、明文化されてはいなくても、なんとなく感じてはいるんです。
 例えば、リーダーとして選ばれる人は、それが国や大きなレベルではない組織のリーダーであっても、強く印象的にできるだけ短い言葉で、はっきりと物を言う人が支持を集めやすい。言っていることが間違っているかもしれなくても、「ついてこい!」という人のほうが、じっくりと話を聞く人よりもずっとリーダーとしてふさわしいと見なされてしまう。
 この傾向は我々の「不完全な社会性」の特徴とも言えて、集団を作る上で一番効率のいいやり方だからそっちを選ぶように仕組まれている。つまり我々は、認知負荷がかからないほうに引っぱられてしまう。自分で思っているよりずっと人間は頭が悪いんです。残念ながら、物を深く考えるようにはできていないんです。
 鴻上 結局、自由とか権利とか言ってはいても、強いリーダーに従うほうが楽だし、実は気持ちがいいと思っているということですね。》
 認知負荷が高いこと、つまり深く考えること、みんなしなくなってるもんねえ。


【第6章・コミュニケーションとエンタメとアート】

鴻上 現実は簡単には微笑まないことを知るためのレッスンとして、アートや物語が昨日できたら、現実を見られるようになってくるかもしれないですね。でも、そういう作品を選ぶことは、とても認知負荷が高いんですよね。
 中野 こういうことが自分にも降りかかるんだと準備しておくことで、大きなダメージをより柔軟に受け止め、回復を早めることができますよね。》
 芸術や物語が、認知負荷が高いことを、深く考えることを可能にするとボクも思うんだよなあ。
中野 自分と違う世界を見てる人がいる、ということに気づかされることです。作家ごと、作品ごとに違う世界がいっぱいあるんです。その出来栄えは確かによしあしもあるし、もうほんとにダメなゴミみたいなものもいっぱいあるんですけど。でも、そういうふうにその人が世界を見て何かを作ったっていうことが大事じゃないですか。
 鴻上 優れた作品を見ることで、世界の多様な見方を知るということですね。そのことによって、自分自身の世界の見方をすごく広げてくれるし、楽にしてくれるわけですね。まさに昔の言葉で言うと「脱構築」してくれるわけだ。》
 そうなのだ! だから、芸術文化は決して不要不急なんかじゃないのだ。


 最後に【はじめに】から引用したい。

《技術的な課題が次々にクリアされ、私たちはコミュニケーションにおいて史上かつてないほど利便性を享受している。しかしながら、この利便性そのものが、私たちの脳が生み出す機能それ自体に内包された、排除と分断の構造を露出させることに寄与してしまっている、というのが現代の病理である。》
《私に毎時流れ込んでくる、あふれるほどの言葉の中に含まれる、物語のフラグメントをそのまま抱え込んで、私の世界は複雑に構成されたモザイクのようになり、無尽蔵に広がっていく。このモザイクのひとつひとつが、誰かのモザイクのどれかひとつと重なるとき、衝突が回避され、分断はより豊かな多様性へと昇華されていくのではないだろうか。》
《私たちが芸術を再構築しなくてはならないのは、そのためであり、喫緊の課題でもある。》


同調圧力のトリセツ posted by (C)shisyun


人気ブログランキング