芭蕉「奥の細道」私論~その真の狙い~ | 空想俳人日記

芭蕉「奥の細道」私論~その真の狙い~

天高く句もひとつなき秋の空


 俳句の世界が詠み人ばかりで読み人不在であることは、うすうす分かってはいた。なので、句会やら結社にでも属さなければ、なかなか読んではもらえない。属せば、読んであげるから他の人が詠んだ句を読みなされ。そうして自ら詠む時に肥やしにしなされ。というような、創ることが前提の文学なんだね。
 俳句ファンというのは創りたがりばかりで、読むとしても、それを歌枕なんぞにして詠んでやろう、そういう創作集団とでも言えよう。
 一般的な文学の世界で言えば、創作者の人口に対して読者は五万といる。だから趣味が読書というものが成り立っている。けれど、俳句ファンというのは、殆どが自称俳人なのであり(私もその一人か)、「趣味は俳句を詠むこと」という人はいても、「趣味は俳句を読むこと」だけの読者ファンはいないのだ。
 まあ、そう言いながら、かの蕉風を確立なされた芭蕉先生の句も、そんなふうな、作り手の立場から私も捉えちゃったりしていたのだが、特に「おくのほそ道」の様々な関連本を読んだり、芭蕉訪問地を物見遊山で訪れているうちに、なんとはなく一方的な解釈ではあるが、彼の「おくのほそ道」なる旅の契機と目的みたいなものが見えてきたのだ。
 俳人として尊敬に値する芭蕉先生ではあるが、ひょっとかすると「きっと、そうじゃないの~~~?」という芭蕉くんの像が浮かんできちゃったのだ。
 まず、芭蕉くんの心の中には、「おくのほそ道」を計画する前から、深川を離れ、大垣へ帰りたかったのである。もちろん、帰るべき故郷と言えば、生まれた地、伊賀上野ではある。が、そこは余り思い出の地ではなかった、そう思う。それよりも、席を同じゅうした仲間や「せんぱ~い」なんて呼んでくれる後輩など、大垣や大津あたりには懐かしい友が仰山いるのだ。そんな旧友に会いたくなるのだが・・・。
 じゃあ、そのまま、まっすぐ一直線に大垣へ向かうとなれば、東海道を行くことになる。すでに「野ざらし」してもおるし、なんせ、そこは陽の当たる道だぞ。彼は今一歩、侘び寂びの蕉風なる世界を進んで極めねばならぬ使命もある。それを、東海道などで帰ってしまったら、単なる帰省、あるいは、曾良と二人からなるヤジキタ俳人道中記になってしまう。
 それに、東海道なら、曾良が同行しないかもしれない。なんせ彼は幕府の隠密だったらしく、東北方面なら、幕府へ垂れ流す地域情報もあろうに、東海道などでは幕府から金も下りぬ。となると、裏的にはスポンサーでもあった曾良の懐に旅の資金が入って来ぬ。
 それにそれに、もひとつ、旅の始まりの季節からすれば、東海道を歩いているうちに夏真っ盛りになる。夏は暑い。特に東海道は。そうなのだ、だから大回りであるが、周遊するのが東北であれば、避暑を兼ねながら、となる。
 そうして、明るい東海道でなく、平泉や出羽三山などという、なんとなく世間からはマイナーなところへ態々訪れることで、人生を見つめに行く体裁もでき、さらには、ミーハー芭蕉くんの憬れのタレント西行の一番ファントしての面目もつく。当時にファンクラブがあれば、絶対に西行ファンクラブ一番乗りであったと思うよ、芭蕉くんは。
 そういうことなんだったわけである。「おくのほそ道」は。
「うん、先生。この計画、上出来ですよ。一石二鳥どころか、三鳥にも四鳥」にもなりますね、と芭蕉の発案に曾良も大賛成したとかしないとか。
「じゃろ。で、金の面は多少大丈夫じゃろな」と芭蕉。いや、芭蕉自身は、曾良が幕府の隠密であったことは知らなかったかもしれない。が、
「ええ、それなら、もちろん。それに、西行ファン一番手のお墨付きが、この奥羽の細道で得られれば、もう蕉風ブランドも高まるもの。イメージ、アップアップですよ」と言ったか言わないか、曾良の言葉に、
「奥羽の細道か。いや、もっと奥義を窮めるような名、そうじゃ、奥の細道にしよう」と、ここで「おくのほそ道」というタイトルも決定したとかしないとか。
 ということで、以上が「おくのほそ道」への契機なのである。
 そうして、この契機に対し、彼は用意周到にも旅の構造というか、旅物語の構成に入るのだが、やはり彼はクリエイターとしては優れたアーティスト。通常、感動を呼ぶためには作者は起承転結を考える。クライマックスをドラマ水戸黄門の8時35分に置き印籠を出す、などというように後半に置くとか。
 しかしだ、それはあくまでもストーリーテラーの創り方。彼が戯作者ならば、それでよかったろう。しかし俳人なのである。つまり、どちらかと言えば、小説家というよりも詩人なのである。逸れるが、詩人谷川俊太郎はソネットという形式を得意とし拘った。では、芭蕉は、どうした。そう、この旅の行程も考えれば、シンメトリーを採用する以外に法はなかったのだ。底辺の一角を起点とし、同じ底辺のもう片方の一角を結びの地としながら、頂点に東北を置く二等辺三角形である。つまり往路と復路は縦を鏡にシンメトリーになる。
 こんな図が良く描かれる。

空想俳人日記-「おくのほそ道」をよむ
出典:「おくのほそ道」をよむ 岩波ブックレット クラシックスと現代 堀切実/著 岩波書店

空想俳人日記-芭蕉自筆「奥の細道」の謎
出典:芭蕉自筆「奥の細道」の謎 上野洋三/著 二見書房

 まあ、どちらかより正しいかなんて、よろしい。芭蕉は、深川から松島まで、そして象潟から大垣までは、今の時代、我々が旅する場合に置き換えれば、目的地までの往きの電車であり、帰りの電車であり、その途中下車の旅と思えばよい。しかも、出発した場所へ戻ってくる旅ではなく、もともと旧友に会いに行きたいとした目的地が帰る場所でもある。だから、往きはよいよい、帰りは怖い、にはならない。ずっと、お楽しみはこれからだ、みたいなものなのだ、
 そして、松島から象潟の東北横断が表向きの蕉風確立であり、ブランド力アップの目的地なのだ。そのポイントが平泉にあったり出羽三山にあったりするわけだ。
 こう考えると、芭蕉先生としての顔も、芭蕉くんの心も、同一人物に宿る二面性も含めて像が浮かんでくるではないか。道を極めんとしながらも芸のためなら女も泣かす、というような人間性なんだな、などと。
「ちょいと、どうしたら、そんな偏見、できるのよ?」と思いなさりませ。俳句とは、短き文字の並びから、がんがん想像力で世界を膨らませるものなり。ほら、空がとっても低いと、天使が降りてきそう、なあんて例えも、天使舞い降りれり、なあんて言い切ったりするじゃない(じゃあ、天が高ければ? はい、冒頭の句をご覧下され)。あな、かしこ。あな、かしこ。
 ちなみに、一応そうした想像力に加担していただいた、お手伝い参考文献を以下に挙げておくので、是非読まれたし。

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新・おくのほそ道/俵 万智

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奥の細道をゆく―21人の旅人がたどる芭蕉の足跡/著者不明

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図説 おくのほそ道 (ふくろうの本)/松尾 芭蕉

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奥の細道を旅する JTBキャンブックス/著者不明

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