ラヴェル「クープランの墓」 | 空想俳人日記

ラヴェル「クープランの墓」

墓に入り 再構成の 記憶かな



 久しぶりに「クープランの墓」が聴きたくなってCDを図書館で借りた。
この「クープランの墓(Le Tombeau de Couperin)」とは作曲家モーリス・ラヴェルが1914年から1917年にかけて作曲したピアノ組曲であり、ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。全部で6曲からなり、プレリュード(前奏曲)、フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット、トッカータの順からなる。
 クープランとは、フランソワ・クープラン(Francois Couperin, 1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)のこと。彼はフランス盛期バロック音楽の作曲家。楽才を発揮した他の一族と区別して、オルガンやクラヴサンの卓越した演奏能力から「大クープラン 'Couperin le Grand' 」として知られてきた。日本では、特に断ることなくクープランという場合、ふつうはフランソワ・クープランのことを指している。
 このクラヴサン音楽の大家フランソワ・クープランを尊敬していたラヴェルは、フランソワ・クープランのみならず、18世紀の音楽全般に対する音楽としての捧げ物、所謂オマージュを書こうと思い立ち、1914年にこの曲の構想を練り始めたが、その直後第一次世界大戦が勃発。ラヴェル自身も野戦病院の病院車の運転手として従軍。ようやく1916年健康を害しながらもパリに戻り、1917年除隊したのだが、その1917年1月にラヴェルの母が亡くなり、多くの友人も亡くなった。彼はノルマンディーに引きこもりながらも、中断したままになっていた曲をまた作曲し始めたのである。フランスへの愛国心、大戦で散った友人達への追悼、そして母の伝えたバスクの血。ラヴェルはこれらすべてを織り交ぜて、友人達へのパセティックなレクイエムとしてこの曲を完成させ、それを通じて18世紀のフランスの音楽や伝統に敬意の念を表すことにしたのである。以上、Wikipediaを参照。
 この音楽を聴きたくなったのは、と言っても、音楽なんて聴きたくなるのに理由はそんなにないのだけれど、ただ、かつてこれを聴いたとき、単に追悼とかレクイエムという感覚だけに始終しなかった記憶があるからだ。「クープランの墓」は私にとって、墓に向かって手を合わせるだけではなく、自らの再生のためにもなると思ったのだ。過ぎた日々の自分自身をただ単に顧みるのでなく、フォルラーヌやリゴードンを聴きながら自らのユニークなる存在を葬るように再認識し、それをメヌエットのメロディとともに優しく弔うようにしながら再度救いの手で掬いあげ、トッカータで再生の息吹を立ち上げる。そういうイメージがあったからなのだ。
 今回聴いた「クープランの墓」は、サンソン・フランソワのピアノ独奏によるラベル名演集「逝ける王女のためのパヴァーヌ」というアルバム。「クープランの墓」のしょっぱなのプレリュードは少々テンポが速すぎるかな、そうは思ったが、上記のような再生の道のりのイメージどおり。深く拝聴したい。ちなみに、何故に再生の道のりが必要なのかは、ここでは伏せておきたい。
 収録曲は以下の通り。このアルバム、今は廃盤になっているかもしれない。


逝ける王女のためのパヴァーヌ
ソナチネ
・モデレ
・メヌエット
・アニメ
クープランの墓
・プレリュード
・フーガ
・フォルラーヌ
・リゴードン
・メヌエット
・トッカータ
水の戯れ
夜のガスパール
・水の精
・絞首台
・スカルボ
ハイドンの名によるメヌエット


 今、サンソン・フランソワのピアノで上の曲らを聴くなら、これらのアルバム集かな。

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