夜のピクニック | 空想俳人日記

夜のピクニック

果歩さんの 潔さが 成果なり 



 いやはや、映画のプロモーションどおりです。久し振りに、宣伝文句と中身が合致した映画を観ました。「みんなで夜歩く。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」、まさに、そういう映画です。24時間、夜を徹して80キロを歩き続ける学校の伝統行事“歩行祭”。言ってみれば、それだけなのです。もちろん、その中でのメインドラマとして、一度も会話したことがない異母兄妹(異母姉弟?)のファーストコンタクトが織り込まれていますが。
 しかし、それは、ある意味でメインではないのかもしれません。一つの挿話というか、軸でしかない。その挿話の解決に私たちは物語の進行を期待はするのですが、いつのまにか、二人の関係よりも、この24時間歩行が終わって欲しくない、いつまでも続いて欲しい、そういう気持ちに移っています。それは、この映画が終わって欲しくない、しいては、自分も、かつて、そういう時期にそこにいて、その時代をいつまでも続けていたい、そんな潜在意識が持ち上がっているからにほかならないからではないでしょうか。
 原作者の恩田さんの「誰でも映画を観ている間は18歳に戻れます」というコメントは、言い得て妙じゃないでしょうか。まさに、そのとおりです。ま、今18歳の方は、今をエンジョイするための参考に観ればよいでしょう。18歳を過ぎた人は、下らんと思ったとしても、自分の18歳を思い出すだけでも意義ありでしょう。
 さて、ちょっと、どんな他でのご意見が、と思いきや、あいかわらず、あちこちのレビューでは、例えば、表現が稚拙だとか、起伏がないとか、掘り下げがなっていない、感情が希薄など、点数制度や偏差値的な教育に侵されたコメントもありますけど、こうした、いわゆる青春群像とも言える作品に対し、「じゃあ、あんたの高校三年生のときはどうだったんだよ」と言いたくなります。「もっとワルだった」とか、「あんな連帯感なんか、より勉強せんと」とか、あるいは、「馬鹿には付き合ってられない」とか「優等生は排他的だとか」なあんて言う人もいるかも。なんか、素直じゃないんですけど、きっと、心の中では、何かがじわじえわと染み出しているのではありませんか。
 私は、映画とは、とっても自由で可能性のある表現の世界だと思っています。もちろん、おもしろい、つまらん、それも自由な尺度です。でも、自分の狭い視野の中で映画はこうありなん、そういうお堅い人に今更ああだこうだ言われたくない、そういう評価制度の線上には置かれたくない、そんな目に見えないパワーがこの映画にはあるように思います。それは何かと言えば、ひとつは大きな声で叫び散らす人間ばかりじゃない、ここに描かれている誰にも知られずにおきたい関係である主人公二人の心の中の頑なさなんですね。それと、さらには、まだまだ大人にはなりきれないけれども大人になって喪ってしまった未完成でありながら大いなる可能性を秘めた部分を、映画の完成度なんかよりも重視したくて仕方がないんだ、そういうのが物凄く伝わってきて。いいぞいいぞ、拍手!ではないでしょうか。
 もひとつ言及させてもらいますれば、異母の二人、最後まで自分から声を掛けることがありませんでしたが、しかし、賭けが実ったのは、自分では出来なかったことが、こうした、ただ「みんなで夜歩く。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」という思いの中で、周りからたくさんのヘルプを得られた、ということなのですよねえ。もちろん、母親役の南果歩による娘の親友へお願いが引き金なんでしょうけど。いい母親ですねえ。
 ところで手前味噌ですが、私は高校時代というと、たくさんのフラッシュバックの中から、一番印象に深い学校祭を思い出しました。そのときの、日常とは違うコミュニケーション、部室で一夜を明かした友だちとの会話、差し入れを持ってきてくれた女の子たち。それと、夜間の学生たちの学校祭へのギター担いでの飛び入り参加、その場で沸いた交流。今思えば、あの頃に帰って、その延長をずっと続けていたい。何を女々しい、そう言われるかもしれませんが、どうぞ言って下さいませ。勝手でしょ。
 終わりたくない。でも、終わりはくる。しかし、終わりがあれば、そこは逆にスタート。全員でゴールに入ったときのカメラアングル、そこには「START」の文字。そこから、また始まるんですね。この映画は始めるための映画かもしれません。さらには、私たちの心に終わらないあのころに気づくとともに、今からでも始められるかもしれない、そんな気持ちが沸いてきます。
 実在モデルは、水戸一高の歩く会だそうですが、続けてください、この行事。誰だっけ、くだらん行事と言いながら、参加し終えた人たち、恐らく一番心に残る行事になるんでしょうね。
 途中のアニメや、滑ってて笑えないギャグ、誰も助けられないナンセンスの源、そして、懐かしきハードロックのヘタクソなノリ、すべてのイマイチやテンポはずれが青春群像を織りなしています。こんな映画、単にエンタの完成度に気を使っていたら誰も創れないでしょうね。よくやってくれました。とても有り難い作品です。ありがたい、と書かずに、あえて有り難いと書かさせていただきます。
 エンディングの歌とともに映し出された映像、どんなエキストラ的な映像でもいいから、いつまでも観つづけたかった、いつまでも。そんな映画でした。