手塚治虫「はるかなる星」 | 空想俳人日記

手塚治虫「はるかなる星」

はるかなる 彼方向こうに いる自分 



「はるかなる星」
 自分が二人います。一人は脳髄をサイボーグに移植された自分。もう一人は電子頭脳を入れられた自分の肉体。もちろん自分という意識は前者にあり、後者はあくまでも自らの身体を所有した他者です。
 しかし、人々は、初め親までも、後者を是とします。前者は嘘つきロボットです。人々の視線と自己主張とのギャップに戸惑うこと、私たちにもありませんか。
 こう考えてみましょう。二つの身体をどちらも自分だと。そして、自認と他認のギャップ、それを自分そのものへの自己と他者を融合させるプロセス。
 この物語は、ある見方をすれば、心の乖離現象を起こしているギャッパーの社会的アイデンティティの克服にも思えてきませんか。自分さえよければどう見られても構わないとする、閉塞的な現代人の心の治癒のドラマにも見えてきませんか。


「0次元の丘」
 キーとなる素材、シベリウス作曲の「トゥオネラの白鳥」の選択に、私は手塚先生のセンスと洞察の奥深さを感じ取りました(とか言って、実はこの曲、私も好きなんです)。
 この音楽、しかも演奏者限定の作品への感慨と、ベトナムでの殺戮、そしてその家族の絆、悲しみへのリンク。私たちは、音楽の底に蠢く作者や演奏家の思い、感動の源泉に対し、芸術が人間の本質に根付いているはずであることを思い知らされます。それにしても、単に一商品として生産され弄ばれる音楽の多いことよ。
 私たちが創造し表現する行為には、単に生産という言葉では片付けられないものがあります。さまざまな人間関係や、そこから生まれてくる絆、そうした中で、喜びや悲しみを共にした者たちだからこそ共感がふつふつと沸いてくる、そんな創造や表現に、もう少し心を傾ける生き方を忘れたくないですね。


「ガラスの脳」
 たった5日間だけの人生、その人生を共にするために生涯を費やした主人公は、けっして後悔していません。5日間だけ目覚めていた彼女、それ以外は昏睡状態だった彼女。5日間を必死に純粋に生きた、だからでしょう、彼女の脳は透き通ったガラスの脳。
 主人公にとって、そのガラスはダイヤモンドの輝きにも匹敵するのではないでしょうか。自分のステイタスとかブランド感覚で手にする装飾品のダイヤではありません。その輝きは俗物図鑑に名を連ねる人間たちとは正反対の、生きるとは何かを知った者だけが得られる輝きなのではないでしょうか。


「あかずの教室」
 弟は超能力者。ポルターガイストは弟の仕業。彼は、兄の愛する彼女を理科実験室に閉じ込め、兄のいる前で彼女の衣服を念力で剥いでいきます。さらには、彼女の皮膚はどんどん腫れ物で膨れ上がっていきます。そこは外からはあかない教室。
 しかし、彼の超能力は、ちょっとした些細な認識で消えてしまいます。彼にとって、兄の存在はストレスの根源。そんな眼の上のたんこぶならぬ目の前の先を行く邪魔者だったんですね。
 され、能力とはなんでしょう。いつのまにか仮想ライバルが作られ、その敵を木っ端微塵に打ち砕かんとするほどの願望、それが、能力を超人的にする? これって、けっして精神的な病の持ち主のお話じゃありませんよね。世の中には、そうした人々は五万といる、そんなお話ではないでしょうか。


「低俗天使」
 南北に分裂する国。そこから、戦いから避難するために、せめて子どもだけはと、両親は女の子を異国への船に乗船させます。
 その南北に分裂している国って、何処? 朝鮮? ベトナム? いいえいいえ、それは日本。日本の未来。日本の未来からやってきた女の子。未来、日本は北と南で争いを起こすようです。でも本当に未来でしょうか。
 歴史観のある人なら思い出してください。あの1945年の終戦。結果はともかく、あの当時、朝鮮やベトナムのように、南北に引き裂かれてもおかしくなかったとは思いませんか。アメリカとロシア(ソビエト
、その両者の間で、敗戦国に本は、1945年以降、南北に分断していたかもしれないのです。


「グロテスクへの招待」
 トカゲを好きになる彼女。そして次はネコを好きになる彼女。そうして彼女は、好きになったものをどんどん吸収します。文字通り身体の中に吸い取るのです。そして、挙句の果てには、愛する彼も?
 この行為、一見して独占欲、独り占め。自分の所有願望に見えます。でも、彼に対する愛に対し、彼を選ばず、その次に大好きな海と同化をします。海を自らの中に引き込むのではなく、海に自らが同化していきます。
 私たちは愛することの意味、そして、愛という名のもとに愛する者との一体化を理想としながら、自己中と自己投の紙一重を見せ付けられます。
 海と同化した彼女。母の愛が海のように広いという比喩が、なんとなく分かってきました。


「ふたりでリンゲルロックを」
 この作品、なかなか軽妙で、タイトルもしゃれていますね。
 世の中、なんでもコンピュータ診断で決めちゃうという風刺的背景。そして、世界を手に入れるという彼女の未来予測の恐ろしい結果の回避のために引き裂かれる二人。主人公の男の名前は、世田ノ介、ヘンな名前ですね。でも、この名前が、なんのことはない、コンピュータ予測の大いなる誤謬。
 世田ノ介、世界の界の字の読み取り間違い、世界の界の上下分裂、田と介。あっはっはっは。大笑い。でも、そうして生きている者たちの、信じるものこそ救われる、救いのない人々よ。


「奇動館」
 世の中って、いつの時代、どこでも、出る杭は打たれるようです。
 打つ奴は誰だ。いやいや、それが意外と自分がかつて出る杭だったりします。自分が上に立つと、後から来る者の出る杭は怖い。アウフヘーベンを直感的に知っているんでしょうね。ならば、次の時代に受け渡そうとすればいいものを、いつまでも次なる出る杭を認められない。
 自分が改革派からメインストリームになり新たな改革派を迎え撃つ保守派になる、世の中の政治を見ていると明確ですね。
 ここに登場する幕府から任を受けて、とある謀反者を取り押さえるために奇動館という私設塾にやってくる主人公。隠密剣士と言うか、警察の犬みたいな存在。
 その謀反者、奇動館で子どもに自由な風土で教える教師。ところが幕府よりもでっかい脳みそと、でっかい世界観と、でっかいヴィジョンに、主人公の幕府の犬も感動、師の後を継ぎます。
 奇怪な動きを単に怪しいとしか見られない人間になってしまったら、どんなに大きな野望があろうとも、いつの間にか視野も狭くなり、さらには、もともとあったはずの足元の地面までが見えなくなっているのではないでしょうか。


手塚 治虫
手塚治虫名作集 (5)