手塚治虫「くろい宇宙線」 | 空想俳人日記

手塚治虫「くろい宇宙線」

人間の ほんとの質 誰も知らぬ 



「くろい宇宙線」
 M87星雲から降ってくる放射線、黒い宇宙線は生命のもとのようです。地球自体にも人間にも含まれて、みんな生きているという。
 それを火星で浴びたドリアン博士は、同じ年頃のはずの宇奈月博士と比べるとうんと若い、そう歳をとっていないといっても過言ではありません。
 しかし、ドリアンは地球へ戻ると、生の宇宙線が浴びられないがゆえに、次々に人の生命を吸い取るんですね。さて、その結果は・・・。
 神の領域をおかす人間の結末。医学博士でもあられる手塚先生の思想は、時を経て、名作「ブラックジャック」を誕生させますが、その哲学の原点がここに垣間見られる作品ですね。


「複眼魔人」
 第二次大戦末期、東京大空襲で角膜をやられてしまったアー坊。ある医者から、人造角膜を植えつけてもらうのですが、なんと、その医者は言うんです。それは、人々をだまし呪わしい戦争を起こした悪い人間どもへの復讐だ、と。
 かくして、アー坊は、みんなから複眼魔人と呼ばれるようになります。それは正しい悪いが見分けられる眼の持ち主ということです。このアー坊と、あの鉄腕アトムが被りますね。
 しかし、そのことが人間であるアー坊の悲劇の始まりとなるんです。名前のごとく、魔人と呼ばれ、みんなから悪魔の眼だとされ、嫌がられるんですね。結末としては(ちょっと言ってしまいますが)、人の心が覘ける能力は消え、みんなの顔を普通の人間のように、まともに見えるようになるのですが、それを神の思し召しだとしています。「こういう終わり方、予測したかい」と登場人物にも言わせてますね。
 手塚氏は、何でも正義で解決がつくか否かに対し、すでにアトム以前から懐疑心を持ってられたんでしょね。それが、この複眼魔人に端的に現れているとも言えましょう。
 

「恐怖山脈」
「狂った国境」
 どちらも地質学を学んだ龍太が主人公のお話です。「恐怖山脈」は龍太の父が地震で亡くなったお話、そして、その故郷へ戻って、にくき父の敵ではないですが、その地震を解明するお話です。「狂った国境」は、南極大陸に栄えた二つの国とその国境のお話です。
 地震的中率抜群の占いで稼ぐ老婆やウラニウム鉱脈探しで一儲けしようとする余所者など自己中心的な連中(「恐怖山脈」)、国境などという人間のご都合主義で勝手に決めた縄張り意識などのこれも人間中心的な考え(「狂った国境」)に対し、人の命を自然から守る大きな使命感を龍太に与えています。
 私たちは、人間同士がいがみ合い争いあい苦しみあう前に、みんなが全知全英を傾け協力し合って挑むべきものがあるはずであることを、ここでは示唆していると思います。


「荒野の弾痕」
 南北戦争で負けた南軍の一人が主人公。戦争の最中は南軍の中尉という立場でしたが、敗戦後はまるで落ち武者ののごとく、盗賊の親玉に成り下がってしまいました。銀行強盗や列車強盗をする賞金もついたお尋ね者です。
 そんな彼が故郷の町に戻ります。もちろん、夜盗のような生活を隠して。はじめは何も知らない家族たち。でも、いつかし正体は明かされていきます。
 しかし、彼はアパッチの襲撃の前に、殺された保安官に代わるほどの意気込みで立ち向かいます。ここでは、インディアンの襲撃を悪に位置づけ、主人公を最後には町を守った勇敢な英雄とされていますが、私たちは決してそれを素直に受け取るだけではありません。
 はたして正義とは何か。戦いをする両者に、もし各々の言い分があり、それぞれに正義があれば、はたして正義とは何なんでしょうか。本当の正義はどちらで、真のヒーローとは誰なのか、そういうことを考えさせられる作品ではないでしょうか。


 さて、これら56年~57年に発表された「ライオンブックス」シリーズの作品群の根底には、その後の手塚治虫のヒーローを中心に据えたエンターテイメント漫画や、それらのアニメ化へと発展する技量というかパワーの片鱗が見られると共に、むしろ、そうした後のさまざまな作品展開のど真ん中にありながら、エンターテイメントの陰に隠れがちにもなった人間の本質とは、という問いかけが分かりやすく鮮やかに綴られているのではないでしょうか。
 ライオンブックスが、後々装いを新たに再開されたのも、このおもしろブック版での作品たちが、手塚氏にとっても忘れてはならない重要なポジションにあるからではないでしょうか。


手塚 治虫
手塚治虫名作集 (20)