手塚治虫「時計仕掛けのりんご」 | 空想俳人日記

手塚治虫「時計仕掛けのりんご」

りんごのね 中に虫食や うまいんよ 
狂気とは 人のもともと 社会の陰
 



「時計仕掛けのりんご」
 物語の件の中にもアンソニー・パージェスの「時計仕掛けのオレンジ」の引用がありますが、私なんぞ、原作よりも、あの「2001年宇宙の旅」で有名な監督スタンリー・キューブリックの監督作品「時計仕掛けのオレンジ」の方が印象深いし、大好きです。
 まあ、それを想起させる作品であることは題名からも察せられますが、史実的には、日本の戦前というか戦中の二二六事件あたりが思い起こされるのは私だけでしょうか。
 自衛隊の一部勢力が謀反を働いて国をのっとろうとする、そういうパワーというか、思想が日本の今の自衛隊にあるかどうかは置いておきまして、日本の首都のテストケースの予行演習を私たちは見せられます。稲武(いなたけ)市という架空の町ですが、実際に愛知県にある稲武(いなぶ)という地名は私には極めて親しみ深いところ。地形の説明からしても、おお、手塚先生は、実際の地図を見てらっしゃったのでは、そう思えます。
 そして、さらに物語の中身、プロットは極めて単純ですが、その町が完全に陸海空の接点で断絶される(海はないけど川はある)中、住民もまるで金魚蜂の中の金魚のような状況に陥る、これがポイントですね。言い方変えれば、世界の中で例えば日本という金魚蜂の中で飼われている日本人という名の金魚、ということができるんですね。
 最後は確かにあっけない結末ですけど、ここで演じられる市民対自衛隊はけっして空想ではないでしょう、ということ。かつて、三島由紀夫氏が、作家以上の動きとして日本国を憂いて行動したことに、人は動くのです。そして、その後、そうした狂信的な動きもあります。可能性だけで話すのは良くありませんが、教育の仕方で人間もあっという間に様変わりすることを私たちは見ているだけに、身近に時計仕掛けが潜んでいることを認めるべきではないでしょうか。


「ペーター・キュルテンの記録」
 これ、「時計仕掛けのりんご」の短編集の冒頭を飾っていますが、手塚先生の作品の中では異色です。と思いたいでしょ。そうじゃないんですよね。この作品は、彼がマンガで子どもに夢を与えようとしながら、その後さまざまなマンガの歴史で、そうじゃない劇画とか生まれた経緯とかあって、一発、じゃあ、書きたいこと描いてやろう、みたいな縄ほどかれ自由かつ自暴自棄に描けた本音的作品でもあります。私は例えば「ばるぼら」とか「奇子」とかいう大人のためのd作品がすきなのですが、アトム以前に手塚に惚れた人ならば、いつまでも子どもじみた作品だけに満足できないのは当り前、手塚も読者もいつまでも同じ年齢じゃないんですよね。
 この作品は、主人公の狂気を生まれつきと思うのか、彼が自白する部分で言う、社会が狂っているからオレも狂うのか、それは読み手が勝手に思えばいいことでしょう。じゃあ、こんな作品、描く必要ないとなるんでしょうが、そうじゃない、人間にはだれにも、こういう一面があるのではないか、そう作者は言いたげであることに気がつきませんか。奥さんに対して、極めて平凡に、ごくごく平凡に、自分の狂言じみた行動も伏せながら生きる名もない普通の人間である主人公。手塚氏は、あなたも、ペータターに共感する一面はありませんか、そうは公然と言っていませんが、でなければ描かないとも思えませんか。


「カノン」
 手塚先生が地球規模で紐解く生命の尊厳の雛型がここにあります。極論を言えば、ただ戦争反対だけじゃなく、人間やさらには生き物の生命の尊さを語るとき、グローバルかつエターナルな論理を誰も欲しますし、そうした基盤をもって語ることが大きな原動力になります。でも、手塚は、なんのことはない、この「カノン」なんです。掌編では最も秀逸な「雨降り小僧」と並ぶ作品だと、私は思います。
 ともに、同じ学校で生きた子どもたち、そして先生。彼らとの再会。ありえない、出会えるはずのない彼ら、そうした思い出との出会いが、主人公の今一番の生き甲斐。たまたま主人公の苗字が加納でカノン? 輪唱曲だわね。意味深いタイトルです。
 友だちのマタグラ蹴りができない下半身の吹っ飛び。憧れの担任の先生の自分を救うための西瓜割れる惨状。これほど心を振るわせる作品を、私はいまだかつて見たことがありません。


「白い幻影」
 たまたま網膜に刻まれた彼。海で遭難しかけたとき、それからの思い。死んだ彼だと思っていたら・・・。ここで、ひとみというカメラに刻まれた幻影である彼は、記憶と同じように老いない。つまり、その瞬間の生き様である。それに、恋焦がれることは誰でもある。例えば、私たちの初恋だって、おなじようなものだ。
 さて、もし、あらたに初恋の相手とであったら・・・、とか。そういう観点ではないが、相手ももし私と同じように、私を求めていたとしても、どうなんだろう・・・。
 でも、どうなんだろうという前に、私たちの過去よりももっと新しい新鮮な出会いが相手を築いているとすれば、例え郷愁があろうとも、それを現実に蒸し返す手練手管ができるものなのか。


「最上殿始末」
 有名にならんでもいいものを、しょんべは、うんこがこのままでいいと言いながらも、自分は出世せねばと思うんですね。
 たまたま、奇遇なるかな、影武者役を仰せつかるのですが。そこから始まる普通ではない生活。いや、何を普通と言うのでありましょうか。殿様の生活が普通なら、うんこの死も普通のなのかな。しょんべはその成り上がる過程でいい気になります。心は何処へ。最後の結末は、やっぱ最上の始末なんでしょうなあ。


時計仕掛けのりんご