香山リカ | 空想俳人日記

香山リカ

誰だって 私は違う キンタロアメ



 りかちゃん人形ではありません。精神科医の香山リカさん。ここ一年ほど集中講義のように、たいへんよくできました。じゃない。たいへんよく読みました。
 いわゆる心理学のジャンルに入るとは思いますが、かつて大学の頃、我が専攻仏文の入学動機が大江先生の著作のあちらこちらから読み取りしお勧めによるサルトル等の実存主義であったのに、そうした風情が仏文専攻には殆どなく、挫折しかけた時に救ってくれた、あるいは関心が一時期他所に逸れたおかげでフランス文学を改めて大きな視野で見直す視点に立たせてくれた、それが心理学でござりました(ちと大袈裟)。たまたま、社会学部心理学科の同輩との交流と、そのなんやら占いまがいの性格診断とか相性診断みたいな面白さにも惹かれて、余分な集中講義に心理学関係を受講したこともありました。当時何を読んだか今ではさっぱり憶えてはいませんが宮城音弥という方の名だけは記憶にあります。また、その頃の本で書棚には今でも関計夫著「新しい音楽心理学」という本があります。
 心理学は宗教のように魂に救いの手を差し伸べてくれるわけではありません(この宗教の見解は極めて非論理的で排自的ですが)が、そのように、視野を広げてくれたり、別なる視点を作ってくれたりするのは確かだと思います。
 この一年においても、香山リカさんの著作に飛びついたのは、そうした意味合いがあります。他者から自己を評価されたり定義されたりする時に、自己への他者の目に苛まれた場合、自分自身の自己へ、あるいは、その他者に対して、どうなんだろう、そういう別なる視点を求めたほうが、実は、自己への他者の目をただただ鵜呑みにして世界の意見のように思い込み卑屈になるのってどうなんだろう、あるいは、他者の目をすべて節穴として壁紙背景的非人間化するのも頂けなかろう、そういうふうに思うわけです。そういう場合の救済を、彼女の著作物の多くが誰にも機会均等に与えてくれる、いくつかを読み終えてそう思ったのですが、さらに、様々な著作物を知り、それだけには留まらない視野を手に入れることができたことに、この方の本は大切にしなければならない、そう思えたのです。
 救済のための視野の広がりや視点の置き換えを促す彼女の著作物は数あれど、その中で驚き桃の木の文明批評的な秀逸本として三つあげよと言えば、「多重化するリアル」「テクノスタルジア」「インターネットマザー」。あたかも自分にとって三種の神器のようなこの三作は、俵はゴロゴロお蔵にどっさりこの文明評論棚をあれこれ閲覧する気も吹っ飛ぶ勢いの著作であると思いました。それと「ぷちナショナリズム症候群」「若者の法則」など、たいへん面白く読めました。
 しかも、精神分析の現場(臨床?)を知ってらっしゃるので、私たち生身の人間の実感を踏まえてらっしゃるから、単にデータ並べて数値分析するだけの地に足つかずの浮遊した思想膿漏では済んでません。
 そうだ、狭い世間と広い世界を行ったり来たりとか、理念と現場の狭間を右往左往したりとか、大きな視野と小さな想いを往復したりとか、そういう頭も使うけれども手も汚す(失礼)人が、説得力ある真実を私たちに感じさせてくれるのではないでしょうか。
 そして今、さらに驚き桃の木山椒は小粒でぴりりと辛そうな書物を読み始めております。「いつかまた会える」。新刊ではありませんが、まだ読み始めたばかり。病院での「先生」や編集者からの「香山さん」という時間からはみ出た私時間の虚無感の吐露から始まっています。また、新たなる一面にここで出会える、そんなゾクゾクする気持ちで今はいっぱいであります。

香山 リカ
多重化するリアル―心と社会の解離論
香山 リカ
テクノスタルジア―死とメディアの精神医学
香山 リカ
インターネット・マザー