大江健三郎先生 | 空想俳人日記

大江健三郎先生

魂は 洪水の如く 流れ移る 



 大江健三郎先生、先生は他の作家の方と違って先生と呼ばざるを得ない理由が私にはございます。と申しますのも、芥川賞作家だとか、さらにはノーベル文学賞作家だからなんて、毛頭関係ございません。言うなれば、先生は私の高校時代の大学進路指導の先生みたいなものだったのですから。高校時代、授業中に授業とは関係のない本ばかり読んでました。その中でもっとも感銘を受けたのが安部公房氏と、大江健三郎先生なのです。あの頃読んだ本は、ええっと、ズルズルと記憶をたどりますれば、「死者の奢り・飼育」「見るまえに跳べ」「性的人間」「空の怪物アグイー」 「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「芽むしり仔撃ち」「われらの時代」「遅れてきた青年」「叫び声」「日常生活の冒険」などなどの小説。ストーリーは殆ど忘却の彼方ではありますが主人公たちに痛く共感したりしたような記憶がございます。また、「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」「厳粛な綱渡り」「持続する志」などのエッセイが自意識を掻き立ててくれたようにも覚えております。
 進路指導の先生たちは、どの大学へ行けるかばかりで生きるとは何なのか、誰も教えてくれません。せいぜい、当時は歌の世界の詩に、そのあたりを見出せていたくらい。そんな中で、大江先生の著作を通すいてのアドバイスが生きる糧でした。なんせ、そうした著作物への共感とともに、もう生きる術としては、その底辺に流れる存在への不安とアンガージュマンを知らねばならない、などと意気込み、サルトルなどの実存主義を勉強せねばならない、ということはフランス文学だ、先生も仏文だし、という無手勝流論理的試行錯誤の末、大学への進路は文学部フランス文学専攻などという先行き不安な道を選んでしまったわけです。親父は、「おまえ、あとを継ぐ気はないのか」などと驚き桃の木。当時、親父は自営業をしてて、あとを継ぐのが当り前だと思っていたみたい、いやはや、すんません。でも、親父が自分を救ってくれるとは思えなかった。むしろ、自分が信じた文学をより一層学ぶことこそ、自分を救うべき方舟への乗船ガイダンスだと思えた。
 そうして、大学へ行ったのはいいけど、ありゃりゃ遊んでばかり。さらには社会人になってもそんな存在の不安を抱えながらも、いつの間にか大江先生の教えをすっかり忘れ、それでも今日まで何とか生きてきた次第でしたが、このたび、仕事の関係でひょんなことからお姿を拝見する機会が出来たのでしたね。それが「大江健三郎氏の講演と大江光の音楽コンサート」でした。
 こういうきっかけがなければ再び大江先生の書物は手にしなかったでしょう。久しぶりに先生の書物を読まさせていただきました。小説は「静かな生活」「宙返り」「取り替え子」、エッセイは「自分の木の下で」「新しい人の方へ」「私という小説家の作り方」「恢復する家族」「言い難き嘆きもて」、そして小澤征爾氏との対談「同じ年に生まれて」。
 それらの先生の作品には、ご子息の光さんやご家族が見え隠れしており、光さんとの共生という私生活を中心にさまざまな人たちとエラボレートする、それをアンガージュマンの実践として行われながら、時には作品のモチーフにテーマに落とし込まれて来られたのですね。
 特に私は、結構、読み応えのあった「宙返り」には、相当労力を用いての、まるで亀の歩みの如くのろりのろり、油断なき物語りの読解にじわりじわり、そんな感じで、相変わらず読書というものへのッ授業無視と同じくらいに労力を使いながら、読破させていただきました。読んでいる最中は、なんなんかなあ、そう思いながらも読後にいきなり充実感に襲われたのは事実です。
 そう、初めは、巷の新興宗教の話かと思ってました。でも、その読後。いくつもの宙返りが、かつて小屋で見たサーカスの空中ブランコ舞うアクロバット芸人たちの宙返りを思い起こすように、ふつふつとイメージが湧いてきました。大江先生が故郷で経験された終戦という時代の宙返り、そして、先生の最も身近な光さん誕生における宙返り、そして先生自ら、この小説を書かれることは、宙返りと、その後のやり直し。そして、「取替え子」に受け継ぐべき、大きな喪失を新生の希望へひっくり返すこと。いやはや、またまた、進路指導の無手勝流論理の勝手な解釈をあれもこれもグツグツと煮え滾らせちゃったんです。
何のために大学行くのか。その先には社会人。社会人として何のために生きるのか。そんなこと今だに分かりません。というか、考える余裕もなく、生きるためにしなければいけないルールという線路から食み出さないようにしているばかりです。
 でも、こんな私が今日まで、それなりにまともに生きて来られたのは、今で思えば方舟のノアに当たる人、それが大江先生だったからではなかろうか、そう思います。いかに、この時代を生きていくか、そのお手本というか、その考え方を学んでいけば、どんな状況でも生きる上で自分を見失わずにすむ、そう思って生きてきた。そんな自負があります。
大江先生が絶えず、自らの作品と自分の生き方を鏡のように照らし合わせながら、私たちに示唆されてこられた、それが、私にとっては、単に娯楽じゃない、生きることに等しいものとしての文学を教えていただいた、今ようやく、その真意が理解でき、その感謝の気持で、とてもいっぱいです。

大江 健三郎
宙返り 上 講談社文庫 お 2-9
大江 健三郎
宙返り 下 講談社文庫 お 2-10