チャーリーとチョコレート工場 | 空想俳人日記

チャーリーとチョコレート工場

人の世は 意味ばっかりじゃ おもろない   



 「ビッグ・フィッシュ」でえらく感動的な作品を創りなすって、と、ティムに対しては、えらく多くの人から評価を頂ける事態になって、あれまあ、と思ったのかな、このバカヤローめが、と喜んでいたら、いやはや、やってくれましたねえ。ある意味、期待を裏切りながらも、痛快まるかじりの娯楽的風刺映画。おお、A級を超えたB級作品、万歳。

 この映画んなかで、選ばれた子供の中で、誰かが言ってた「キモイ」と同じ感覚を覚えた人は、それ、大正解の大ピンポンよね。そのキモイ、本当にキモイだけか、それとも、キモくってとっても快感なのかで、評価は二分されます。

 例えば予告で延々とディズニーのファンタジー期待していると、いきなり、あのウンパルンパのキャラ、そして歌と踊り、ディズニー気分を破壊して、いい加減にしろよな、それは正常な感覚ですよ、喜んでください。それが、こりゃまた、めちゃくちゃ面白いんだな、という人々の方が異常ですよ。でも、そういう人も入るんだな、私も、そんな異人の一人なんだね。


 俗物図鑑に並んでもいいチャーリー以外の子どもたち。でも、彼らに対し、「ちょっとひどくない」なんて声も。でも、ジョニー・デップ扮するウィリー・ウォンカの振る舞いは、明らかに原作ロアルド・ダール的なブラックもあり、アンデルセンやグリムなどに通じる残酷性もあります。
 でも、ウィリー自身の発案らしいチョコレート工場、大人の意味ありげな世界をちゃんとひっぺ換えし、大人の世界だけでは終わらない。

 さて、家族の愛にまで及んだらしい、彷徨える子羊でもあったわけで、家族愛を大切にするという陳腐極まりない訴えかどうかは、よく知らぬが。でも、そうそう、ジョニー・デップは、その大切な家族愛を壊すことなく彼自身の立場の中へ貧乏臭い家を残してしまう。けっして、新しい家を提供するんじゃない。貧乏とか金持ちとかの尺度じゃなかろう。昔ながらの家を工場内に生かすこと。ああ、もう、ここまで言わせるのかや。
 でも、その映像は、なんのことはない、少年チャーリーとウィリー・ウォンカのきわめて近しくなった姿、それで、諸人理解できるのよねえ。


 彼は、あの世界最低の映画監督であるエド・ウッドを生き写しだと豪語する。これも被るわね。
 私は彼ほど映画つうじゃないから、2001年パロ以外は明確に見つからないけど、そんなんよりも、始めてみて「キモイけど面白い」なあんて思う人がいると思うし、いたら、半ば中途半端に映画を見て叙述するよりも素直に感動できて、いいわねえ。

 ところで、誰が決めたかA級とB級。ふんじゃ、Bだな。B級には、Aから「いらん」と言っておきながら、ひょっとかしてもしかして、大事なものまで知らぬ間に現実においてきてしまう。それを知っているから、こう言う作品が創れるんだよねえ。


 ああ、でもね、音楽は最上の最高のエンターテイメントだった。観ながら、このサントラ映画館で売ってないかなって。なかったけど、私には、充実したミュージカル作品でもありましたよ。ウンパルンパの。あはははは。


 蛇足・・・後から気がついた。チャーリー演じたフレディ・ハイモアくんって、「トゥー・ブラザーズ」に出ていたし、あのジョニー・デップの「ネバーランド」のピーターじゃありませんか。