1.クラウス・リーゼンフーバー博士(哲学者 20世紀)について

 

碩学リーゼンフーバー博士が亡くなった。2022年3月31日のことだった。

 

博士のご専門は、キリスト教の歴史である。上智大学の母体であるイエズス会で司祭を務めつつ、教授もされていた。

 

(イエズス会については、フランシスコ・ザビエルの団体と書いたほうが分かりやすいかもしれない)

 

トマス・アクィナス(哲学者 13世紀)のことを連想するが、教会の内部にいながら客観的に哲学をするというのは、大変である。

 

安易な「信仰」に流されず、人生の根底にある「人智を超えたもの」を概念化したところに博士の偉業はある。

 

 

 

2.最も信頼できる西洋思想史の本

 

筆者は塾で社会を担当しているが、とにかく歴史の教科書というのは魅力に乏しい。あれは、本というよりも辞書やデータベースである。

 

なので意欲と能力の高い学生さんには、本を読むことをおすすめしている。

 

リーゼンフーバー博士の書いた放送大学の教科書『西洋古代中世哲学史』は、簡単な本ではない。しかし、博士の遺作の中では、最も読みやすいと思う。

プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、トマス・アクィナスといった単語を暗記すれば試験は突破できる。ただ、彼らも人間であり、その人生に興味を持つならば、本書はとても面白い。

 

 

 

 

 

 

3.リーゼンフーバー博士との思い出

筆者は博士の講義を聞いたことがある。

 

上智大学で「土曜アカデミー」を開催しており、朝の10時頃から参加した。

 

哲学者の歴史を解説してくださるのだが、資料が正確でデカルトの理解が深まったことを覚えている。

 

当時は「営業活動における悪」の問題に心を痛めており、鬱状態に陥っていたが、博士は自分の質問に正面から答えてくれた。

 

「なぜ完全な善である神から、(ノルマのためのパワハラのような)悪が生まれるのでしょうか?」と筆者は聞いた。

 

すると博士はアウグスティヌス(だと思う)に触れながら「それは、遠ざかるということなのです」と返答してくださった。

 

もちろん、その時に自分の心情的問題が全て解決されたわけではない。

 

しかし、人生の根底にあるもの(それは物体とは限らない)に対する信頼は、少しづつ回復していった。

 

 

 

4.リーゼンフーバー博士と禅

 

博士は週1回、座禅の会を主催されていたと思う。

 

仏教では「人生の根底にあるもの」を「空」と規定することが多い。

 

これは無の概念に近く、キリスト教で通俗的に考えられる神の概念は、その反対の有である。

 

高次の哲学であれば、無と有は渾然一体となり西田幾多郎の書いた「絶対矛盾的自己同一」といった表現になるのだろう。

 

トマス・アクィナスも神の存在証明のところで、「動き」を第一原理としている(と『神学大全』の第1巻に書いてあったと思う)

博士がどのように仏教とキリスト教を融合したのか、とても気になるところだった。