仕事の関係で慶應高校(日吉)を見たかったので、久々に母校を訪れました。
OBに不定期で配られる冊子から建て替えがあったことを知り、その現場に興味があったのです。以前、ラグビー部の部室があったところが図書館になっていて、一階には生協と本屋さんがありました。
最近の塾高生がどんなものを読んでいるのか気になって入ってみたのですが、やはりそこには福澤の書籍が並んでいました。そして、まんがで読破シリーズの『脱亜論』を見つけたのです。
立ち読みをしてみたら、これが面白くてたまらないのです。明治維新前に感じていた福澤の封建主義に対する反感や、洋学に魅力といった活字では説明しにくいものがコミカルな絵によって分かりやすく描かれていました。
そして、福澤が「脱亜入欧」を唱えざるを得なかった背景をより良く知ることができました。
あまり知られていないことなのですが、福澤は中国の古典を愛読していたのです。当時の武士は論語などの四書五経を暗記していたのですが、福澤は標準的な文献に飽き足らず、普通の生徒が手を出さないような歴史書も読破していたそうです。
(『福翁自伝』より)
こういった背景があるので、福澤を単純に「アジアを蔑視してヨーロッパを礼賛した人」と理解するわけにはいかないのです。『学問のすすめ』も論語の文体を意識して書かれているように受け取ることができます。
では、そんな福澤がなぜ「脱亜入欧」と書かざるを得なかったのか。
それが『脱亜論』(まんがで読破)を読むと、よくわかります。
維新の時期は19世紀であり、いわゆる帝国主義の時代です。そこでは軍事力により植民地を奪い合ったり、また植民地にされたりするという国際環境でした。
日本はうまく近代化できたのですが、中国や朝鮮には、そのような奇跡は訪れませんでした。結果として、朝鮮は日清戦争前夜に政治的不統一を経験します。
福澤の門下生に金玉均という人がいて、彼は明治維新のような近代化を朝鮮で成し遂げたったのですが、結局、政権を維持することができなかったばかりか、政治犯として惨殺されます。
そういった中国と朝鮮の状況、特に近代化に対する適応能力の低さに直面して、「アジアとは距離を置かなければならない」と判断したことが本書からは分かります。
悪友を親しむものは共に悪友を免る可からず。
我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
(悪友と親しむ者は、悪友を免れることはできない。
私はアジア東方の悪友を謝絶する)
この箇所が『脱亜論』の要約だとすることができますが、ここに東洋を愛しながらも東洋と決別せざるをえない福澤の悲しさが滲み出ています。
歴史というのは、本当に味わい深いものですね。