「論破」は寂しい景色 哲学者・永井玲衣さんと町田樹さんの〝対話〟
「答え」が何なのかということ自体がまた問いになってきてしまいますけれども、いわゆるカギ括弧付きの「正解」といったものや一問一答的なものはおそらく存在しえない、ということなんですよね。
ただ、だからといって空を搔(か)くような試みなんだと言われたとすれば、そうではない、とも言いたいわけです。というのも、問いに関わるということは応答するということですよね。それ自体がある種、答えへの態度である、と私は考えています。
ですから、問いは育っていく。最初はモヤッとして非常に個人的な悩みのように思えたものが、他者と共にザワザワと触られることによってだんだんとまた増えていく。これは悩みが増えてしまって立ち尽くすことではなく、むしろ進んでいることだと思いますし、応答のあり方のバリエーションだと私は思っている。なので、答えなんかないとか、答えがない問いを考えるんだって言い方は実はしないようには注意を払っています。
ですから、問いは育っていく。最初はモヤッとして非常に個人的な悩みのように思えたものが、他者と共にザワザワと触られることによってだんだんとまた増えていく。これは悩みが増えてしまって立ち尽くすことではなく、むしろ進んでいることだと思いますし、応答のあり方のバリエーションだと私は思っている。なので、答えなんかないとか、答えがない問いを考えるんだって言い方は実はしないようには注意を払っています。
どうしてなんだろうって、、思うこともなく過ぎていった時期が多かったです。
学者さんのレベルではないけど、、、
生活の中で、、あれ?これってどういうこと?
って思うのは人間関係でしたね。
これって、どうして私、こういう感情になるんだろうって。
職場でねぇ。
答えに正解があったかは分からないけど
嫌な思いを回避していく、なんとかうまくやる、、という落としどころ
それを見つける、ってことをしていたかも。
いま、記事をさっとしか読んでいなくて
ふと思い出したことを書いたんですが
しっかり記事を読んで
また追記します。
まっちー33才なのか~
座る姿、立ち姿も姿勢よく(^▽^)/
学者さんとして立派になられて。
フィギュアスケート選手時も氷上の哲学者だったですよ。
ほんとに語彙が豊富で、キャッチーな単語も混ぜつつ
毎回、コメントが楽しみだったです。