町田樹がいま伝えたいこと~アスリートが「感動を与えたい」という違和感─・ | 獅子吼のブログ

獅子吼のブログ

獅子吼のブログです。
フィギュアスケート
世界情勢
美味しい食事
など

 

 

    

プロスケーターも6年前に引退した。もうリンクに立つことはないが、

4月27、28日には上野の東京文化会館でバレエ公演に出演する。

引退して6年になりますか~

早いものです。

バレエはずっと続けておられるのですね。

 

 

「競技者・町田樹は、いわば泥船でした。このまま競技「競技者・町田樹は、いわば泥船でした。このまま競技者を続けていったとしても、体力の衰えなどによって沈んでいくだけ。
 
新しい船に乗り換えなければ、私の人生はじきに立ちゆかなくなることが目に見えていたわけです」
フィギュアの選手寿命は20代半ばから後半で、30歳を過ぎて競技を続けられる選手はほとんどいない。
 
仮にプロに転向したとしても、40歳が限界だ。その後は指導者に転身する道もあるが、そのイスは決して多くない。
 
当時、関西大学の“7年生”だった町田さんの周りは、既に社会人として新たな人生を踏み出していた。

セカンドキャリアをどうするか。

切実ではありますよね。

 

ソチ五輪出場後

世界選手権代表発表の場で、突如、引退を発表。

(代表は無良選手に)

バックヤードで泣いている女性コーチ達、、

泣いてる無良選手と話す彼の姿、覚えてる。

後の記者会見で、小林部長も泣いてましたっけ。

(彼は海外の試合にたくさんの本を持って来ていて読んでいたと言ってましたね)

 

私も泣きました。

マッチー、もったいなすぎるよ。

素晴らしいプログラム。

氷上のアーティスト、哲学者であった。

本音はもっともっと見たかったです。

 

でも、次のキャリアを考えた時に、ここで現役を終える、時期の見極めは本人が考えた末に決め、それは絶対的に間違いないタイミングだったんだろうと思う。

TV中継が入っている場で言った方が直ぐに大勢の方に伝わるしね。

 

 

 

 

メディアの前で語った多くの言葉が「町田語録」としてひとくくりにされたことも、本意ではなかったのかもしれない。しかし、町田さんの口から出る一言一言がファンやメディアを楽しませたのは間違いない。

 

あの言葉の数々はどのようにして生まれたのだろうか。 「インタビューでの応答に工夫を凝らしていたことは確かです。というのも正直に申し上げて、

昔から今に至るまで、私という人間はひねくれ者なのです」 現役時代、記者会見やインタビューの場において、「頑張ります」というありふれた返答をすることが嫌いだった。 

 

「頑張るのは当たり前でしょう。私ももちろん『頑張ります』と言うこともあるけど、なるべく自分の心境を具体的に語るとか、例えを使いながら目標を分かりやすく伝えるとか、できるだけ実のある言葉を繰り出そうと心がけていました」

 

五倫枠争い。

順位的には下だった彼は

見事な自己プロデュースで階段を駆け上がった。

ありがちな(インタビュー時の)回答ではなく

豊富な語彙で、丁寧に語った。

マスコミは注目するようになった。

やっぱり取り上げられることって競っている中で重要じゃないかな。

審査員がそれで点数を上げるってわけではないとしても。

 

日本男子の中では勝ち抜くには。

競技以外の部分でも戦略は必要だったのでしょうね。

ましてや五輪に出るシーズンですから。

(今も同じように実力派が犇めいていますね)

スケーティングを見直しして4回転を確実にしていく行程のすさまじさ,執念を感じた。

転倒はなくなりジャンプで得点を重ね高速のスピンも。

表現面もテーマをきちんと言葉で語っていて、その通りに演じていた。

SP エデンの東♬ を初めて見た時の衝撃は忘れられない。

あまりの感動にぼーっとなってしまった。

 

頑張ります。

そうですよね。

アスリートは常に頑張っていますしね。

それ以外の言葉

聴いる側に残る言葉を多く残してくれた彼。

インタビューが楽しみだった。

 

アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

 

学者さんになり

新しい機軸を打ち出していく彼。

研究の成果が楽しみです。

既に、賞も獲っていますよね。