ウルトラマン、仮面ライダー、ミラーマン、月光仮面、レインボーマン、黄金バット、快獣ブースカ、怪奇大作戦、円谷プロ、東映、東宝、松竹、川内康範、森次晃嗣、篠田三郎、真夏竜、歌謡曲、主題歌。

 

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音路58.あなたの中のウルトラマン(The ウルトラ.3)



今回は、連載「The ウルトラ」の第三回になります。

第一回では、平成以降、現在までの「ウルトラソング」のお話しなどを書きました。
第二回では、俳優の団 時朗さんを偲んで、「帰ってきたウルトラマン」のことを書きました。
今回の第三回は、「帰ってきたウルトラマン」以降の昭和のウルトラヒーローのお話しなどを書きたいと思います。
「初代ウルトラマン」、「ウルトラセブン」ほかの初期の円谷プロ作品の話しは、次回以降に書きます。


◇昭和のウルトラシリーズ

ここで、かなりざっくりと、ウルトラマン関連の昭和時代の歴史を書きます。

1963年(昭和38)に、円谷英二さんにより創業された「円谷プロ」では、初期作品に、「ウルトラシリーズ」や「空想特撮シリーズ」という名称がついており、みな、「特撮」という特別な映像手法を使った映像で、空想の世界を作り出した作品群でした。

ですが、それぞれ、ウルトラヒーローがいたりいなかったり…、人間ドラマであったり…、大人向け怪奇ドラマであったり…、子供向けアクションドラマであったり…、面白キャラであったり…と、それぞれタイプの異なる空想作品でしたね。

「ウルトラマン」が登場した番組を放送したテレビ局「TBS(東京放送)」と、円谷プロでは、それぞれに「ウルトラシリーズ」の区分けが少し違っています。

円谷プロの昭和時代の主なヒット作品を下記に記します。
カッコ内に番号を記した作品が、円谷プロの指定した「ウルトラシリーズ」です。


〔ウルトラマン〕

(1)ウルトラQ(1966・昭和41年 1 ~ 7月)
(2)ウルトラマン(1966・昭和41年 7月 ~ 1967年4月)

同時期に、テレビ局「日本テレビ」で放送された円谷プロ制作番組…
◎快獣ブースカ(1966・昭和41年 11月9日 ~ 1967年9月27日)
昭和のベテラン世代は、ちょっと泣きそうになるプロモーション映像です。

 

同時期に、テレビ局「TBS(東京放送)」で放送された番組…
◎キャプテン・ウルトラ (1967・昭和42年 4 ~ 9月)
1967年(昭和42)放送の「キャプテン・ウルトラ」は、TBS(東京放送)の「ウルトラシリーズ」の中に含まれていた作品ですが、これは円谷プロではなく、東映が制作した作品です。

「キャプテン・ウルトラ」は、「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の放送の間にあった空白の期間を埋めるためのような番組でした。
視聴率はもうひとつだったようですが、とてもよくできた作品だったと思います。
音楽は冨田勲(とみた いさお)さんです。
まさに冨田ワールドの音楽性が、すでにあらわれています。
冨田さんが、作品「月の光」でグラミー賞にノミネートされ、作品「展覧会の絵」が全米1位になったのは、8年後の1975年(昭和50)のことです。

人間と宇宙人とロボットが協力しあって、敵の宇宙人軍団たちと戦うという、まさに「スター・ウォーズ」のような内容の番組でしたね。
映画監督のジョージ・ルーカスさんは黒澤映画の大ファンですが、おそらく日本の60年代の特撮番組を見ていたにちがいないと感じます。

キャプテン・ウルトラ

 

* * *

東宝、東映、松竹は、古くから、日本のエンターテイメント業界の三大巨人ですね。
実績はもちろん、莫大な資金力と技術力、人材を持っています。

「ウルトラマン」を生んだ円谷英二さんは、「東映」のライバル「東宝」の「ゴジラ」シリーズの特撮担当者でしたので、東映は後に、東宝という後ろ盾を持つ円谷プロの最大のライバルになります。
円谷英二さんの「ゴジラ」や「ウルトラマン」の大成功は、後に 新たな正義のヒーローたちを次々に生み出し、「特撮」の時代のきっかけになったのだと感じますね。
後で、各社入り乱れた ヒーローたちの戦いのことを少しだけ書きます。


〔ウルトラセブン〕

(3)ウルトラセブン (1967・昭和42年 10月 ~ 1968年9月)

同時期に、テレビ局「TBS(東京放送)」で放送された円谷プロ制作番組…
◎怪奇大作戦 (1968・昭和43年 9月 ~ 1969年3月)
この番組は、TBSのウルトラシリーズには含まれていました。

 

これと同じ時期に、テレビ局「フジテレビ」での円谷プロ制作番組…
◎マイティ・ジャック(1968・昭和43年 4月6日 ~ 6月29日)
◎戦えマイティ・ジャック(1968年7月6日 ~ 12月28日)

 

ここまで、多くのヒット作を生み、猛烈に仕事に取りくんできた円谷英二さんが、1970年に病気で亡くなりました。


とにかく「特撮」は製作費が相当にかかり、これだけのヒット作品を出しているにもかかわらず、会社は資金的な余裕がなかったようですね。
東宝の助力で、円谷プロはなんとか存続できたようです。


〔帰ってきたウルトラマン以降の昭和時代〕

(4)帰ってきたウルトラマン (1971・昭和46年 4月 ~ 1972年3月)

ここで、円谷プロが「帰ってきたウルトラマン」と同時期に放送した、特撮ヒーロー「ミラーマン」(1971~1972)を…。
このドラマの中で使われた用語「インベーダー」で、その言葉を知った人も多かったですね。
宣弘社の「シルバー仮面」と猛烈な視聴率競争をしたことで知られています。
「ミラーマン」という言葉…時折、妙なケースで使われますね。

たしかに、このヒーロー設定は、ウルトラマンでは描けません。
よくできた設定と、イカした映像でしたね。
♪ミラーマン

 

* * *

(5)ウルトラマンA(エース)(1972・昭和47年 4月 ~ 1973年3月)

1973年、二代目社長の円谷一さん(英二さんの長男)が亡くなります。

(6)ウルトラマンタロウ (1973・昭和48年 4月 ~ 1974年4月)

なんと、円谷プロは、「ウルトラマンタロウ」を放送した1973年(昭和48)に、「ジャンボーグA(エース)」と「ファイヤーマン」も放送しています。
「ジャンボーグA(エース)」は、飛行機を操縦しながら…、自動車(ホンダの軽自動車)を運転しながら…なんと降りずに、まさかそのまま変身!
「ファイヤーマン」は、海外では「マグママン」名…、まさかの「サザエさん」の裏番組で、あっさり炎上!

それにしても、円谷プロの社員に休日はあったのだろうか…、あるはずがない?
休んだら、他社に特撮ヒーローに倒される…。

* * *

(7)ウルトラマンレオ (1974・昭和49年 4月 ~ 1975年3月)

(8)ザ☆ウルトラマン〔アニメ〕(1979・昭和54年 4月 ~ 1980年3月)

(9)ウルトラマン80 (1980・昭和55年 4月 ~ 1981年3月)

「ウルトラマン80」をきっかけに、テレビ放送を続けてきたTBS(東京放送)との関係が複雑化。

(10)ウルトラマンキッズ・シリーズ〔アニメ〕(1984・昭和59年 ~ 1992年)
1986年の放送はTBS系列で、1991~92年の放送はNHK。

(11)ウルトラマンUSA〔アニメ〕(1988・昭和63年・米国 / 1989・昭和64・平成元年に日本で劇場公開)

平成元年は1989年です。

* * *

ちなみに、1992年になって、やっとウルトラマンの各種権利が円谷プロに戻って来ます。
この頃に、東宝との資本関係を解消。

1996年(平成8)になって、再び16年ぶりに、実写の着ぐるみ映像での新ウルトラヒーローによる国内制作「ウルトラマン ティガ」のテレビ放送が始まります。
放送は、MBS(毎日放送)系列で。
「ティガ」が復活ののろしとなり、今現在まで、続々と新ヒーローが誕生し続けていますね。

* * *

今、東京赤坂にありますTBS(東京放送)本社の敷地には、ウルトラマンの像がしっかり建っています。
2023年(令和5)からは、円谷プロとTBSが再び手を組み、共同企画(2023年秋に公表予定)を始めると発表されていますので、また昭和の黄金コンビの復活が見られるのかもしれませんね。

告知

先頃 亡くなれた 団 時朗さんにも見せてあげたかった…。
近年、昭和のウルトラシリーズに関わった方々が、毎年のように、次々に亡くなられています。
栄光の時代を知る、多くのウルトラマン関係者の方々も、M78星雲の「ひかりの国」で、黄金コンビ復活を、きっと喜んでいることでしょう。
東宝、松竹とは、どのように…?

やはり、世の中で正義のヒーローが活躍するには、人間同士の協力が必要なのかもしれませんね。


◇昭和の壮絶なヒーロー対決

「東映」は、円谷プロと並ぶ、特撮作品制作の雄で、さまざまな種類の特撮ドラマの大ヒット作品をたくさん生み続けていますね。

子供向けの実写ヒーロー作品では、「仮面ライダー」、「キカイダー」、「超人バロム1」、あの嵐寛寿郎さんをモデルとした「変身忍者 嵐」、「ゴレンジャー」、「ジャイアントロボ」、「仮面の忍者 赤影」、「イナズマン」、「ロボット刑事K」、「レインボーマン」などを制作した会社です。

東映、東宝、松竹は、日本のエンターテイメント業界の古くからの三大巨人です。
東宝は、特撮の正義のヒーローは少なめですが、なんといってもゴジラ、キングギドラ、モスラ…がいます。
松竹も、特撮の正義のヒーローは少なめですが、なんといっても、燦然と輝く、膨大な数の時代劇ヒーローや、寅さんがいます。
時代劇も立派な特撮ですね。

円谷プロのウルトラマン関連映画は、昭和の頃は、深い関係性のある東宝が上映していましたが、ある時から、松竹での上映に切り替わります。
松竹は、子度向け作品に少し弱い面がありましたが、ウルトラマンが味方になったことで、大反撃開始!
タツノコプロの「キャシャーン」の実写版も松竹。
同社の「ヤッターマン」の実写版は、松竹と日活。

東宝は、ゴジラとドラえもんで対抗!
タツノコプロの「ガッチャマン」の実写版は東宝。

永井豪さんの作品「マジンガーZ」や「デビルマン」のアニメと映画は東映。
同氏の「キューティ・ハニー」は、アニメは東映、実写版はワーナー。

近年の映画の、「シン・ゴジラ」は、もちろん東宝。
「シン・仮面ライダー(PG12指定映画・12歳未満の視聴は保護者の判断要)」は東映。

2022年の映画「シン・ウルトラマン」は、制作がTOHOスタジオ、配給が東宝です。
ウルトラファンとしては、「東宝」の名があるのは、少し ホッ…。

* * *

昭和時代の特撮分野の実写作品制作では、企業「ピープロ」も有名で、「マグマ大使」、「ライオン丸」、「タイガーセブン」、「スペクトルマン」など。
1966年(昭和41)~67年放送の「マグマ大使」の主題歌です。
原作は手塚治虫さん。
♪主題歌

 

笛を吹いていた マモル少年が、まさか後に、フォーリーブスの「トシ坊」になるとは…。
そして作曲者が、44年後に文化庁長官になるとは…。
人生、にっちも、さっちも、どうにも… 先はわからん!
フォーリーブス(1977・昭和52)
♪ブルドッグ


* * *

「月光仮面」、「快傑ハリマオ」、「シルバー仮面」、「アイアンキング」、「レッドバロン」などを制作したのは、宣弘社(せんこうしゃ / 現:電通アドギア)。

 

昭和の「特撮」の世界では、東宝、東映、松竹らの三大勢力に、円谷プロ、ビープロ、宣弘社などが挑むという壮絶な戦いが見えてきますね。
正義のヒーローという意味では、そこにアニメーション制作の各社が参戦してきます。

* * *

他にも、日本の昭和初期の1930年(昭和5)代には、ものすごいヒーローが生まれました。
なんと、「紙芝居」の世界から、あの「黄金バット」が生まれ、1947年(昭和22)にはマンガ化、1950年(昭和25)には今の東映により映画化、1967年(昭和42)にはアニメ化、おそらく、これからも生き続ける、まさに死なない、ドクロのヒーローですね。

顔が黄金のドクロなんてヒーローは、世界広しといえど、日本だけかもしれません。
世の中には、こういう高笑いをする「おじさん」が時折いますが、顔がドクロに見えてきます…。

1950年(昭和25)の東映映画の予告版

 

1967年(昭和42)のアニメ版

 


◇正義のヒーローは、人間の理想の姿…(川内康範さん)

宣弘社(せんこうしゃ / 現:電通アドギア)と、今のTBS(東京放送)の前身会社は、「鞍馬天狗のような…」という発想で、川内康範(かわうち こうはん)さんに原作を依頼し、「月光仮面」が、1958年(昭和33)に誕生しました。
鞍馬天狗の、刀は拳銃に…、馬はバイクに…、衣裳は黒色から白色に…。
「おじさん」…、この呼称が、なんとも哀愁!
この おじさん… だれ?

川内さんの実家はお寺で、「月光仮面」の発想は、薬師如来の脇に立つ「月光菩薩(がっこうぼさつ)」からのようです。
「正義の味方(助っ人)」という思想と言葉が、日本の社会に定着していく きっかけは、この「月光仮面」にあったともいわれていますね。
「月光仮面」は空前の大ヒットで、放送時間に銭湯から子供が消える現象が生まれました。

家に白い肌着や、白いマフラーやタオルがあれば、どの家の子供も変身できる、まさに昭和の大ヒーローの登場でした。
御商売の家で、店にホンダの「(バイクの)カブ」でもあろうものなら、まさに自慢のオートバイ!
父ちゃん…、サングラス買ってくれよ!

1958(昭和33)~59年
♪月光仮面はだれでしょう

 

1972年(昭和47)のアニメ版
♪月光仮面

 

* * *

川内康範さんは、NET(今の全国朝日放送系)で、「七つの顔を持つ男・多羅尾伴内」という探偵をモチーフに「七色仮面」(1959~60年)も生み出しました。

 

* * *


ここで、「歴音fun」ですので、ちょっと歴史を…。
この「七色」とは、「7種類の色」を意味するものではなく、江戸時代より、「七色」は変幻自在、多様を意味する言葉として使われていました。
「七変化」もそうした意味です。
「八幡様」「うそ八百」「八百屋」の「八」は、もっと多い最大値の意味で、「偉大」「最高」「多過ぎ」という意味です。
古代日本の数値の最大値が「8」でした。
「9」や「10以上」は、後に生まれます。

* * *

川内康範さんは、「七色仮面」の後、本当に7色の正義のヒーロー「レインボーマン」を、1972年(昭和47)に、東映から生み出しました。
日・月・火・水・木・金・土の7パターン(7色)に変身するという、度肝を抜く発想!
昔から、映画などにも7人のヒーローという設定はありましたが、色の異なる何人かの正義のヒーローグループが、これ以降、増えていきましたね。

「レインボーマン」には、子供向け番組とはいっても、大物俳優も多く出演していました。
そりゃあ、月光仮面の血をひくヒーローですから…。

♪レインボーマン

 

* * *

川内さんは、昭和ヒット歌謡曲多数の作詞家でもありましたね。
そして、その歌詞は、みな強烈なものばかり!
「月光仮面」「七色仮面」「レインボーマン」の歌詞もそうであったように、一度聞いたら忘れられないような印象的なフレーズが山盛り!

ヒット歌謡曲の歌詞も、みな強烈!
♪骨まで愛して
♪おふくろさん
♪誰よりも君を愛す ほか多数

青江三奈さん(1968・昭和43)
♪伊勢佐木町ブルース

 

* * *

川内康範さんを、強い印象で記憶されている方も多いと思います。
1984年(昭和59)の「グリコ森永事件」では、犯人に「(要求してきたのと同額の)私財1億2000万円をやるから、この事件から手をひけ」と言い、犯人がそれに回答したことがありました。
これは未解決事件で、犯人はつかまっていませんが、子供たちが好きなお菓子に毒物を混入させる犯人への、正義の鉄槌の言葉です。

2007年の「おふくろさん歌唱禁止通告」なども強烈な記憶ですね。
首相や大物政治家の顧問もされ、すごい言動や強烈なキャラクターで、川内さんを記憶されている方も多いでしょう。
まさに、昭和世代を一喝する、大正時代生まれの「明治男」と、私は感じていました。

私は、月光仮面、七色仮面、レインボーマンは、川内さん自身の姿を描いたものだったと後で感じたものです。

* * *

川内康範さんが娘さんといっしょに作った番組「まんが日本昔ばなし」(1975~1994年)を見て育ったという昭和世代も少なくなかったと思います。

作詞は川内さん。
♪まんが日本昔ばなし

 

優しいだけの人間は たくさんいます。
でも、本当に頼りになるのは、優しくて、強くて、正しい、正義のヒーロー!

世の中に生まれてくる正義のヒーローとは、実は人間の理想の姿なのかもしれませんね。
正義のヒーローが、人間と同じであってはいけないのかも…。

あなたの中の、ウルトラマンは、眠っていませんか…?

そろそろ、起きようぜ!
そこで、うたた寝中のヒーローさん!


◇ウルトラマンたちの苦悩

さて、皆さまは、過去の「ウルトラシリーズ」のテレビの平均視聴率をご存じでしょうか…。

「初代ウルトラマン」が30%台後半、最高は40%超。
「ウルトラセブン」が20%台後半。
「帰ってきたウルトラマン」が20%台前半。
「ウルトラマンA(エース)」と「ウルトラマンタロウ」が10%台後半。
「ウルトラマンレオ」が10%程度。
「ウルトラマン80」以降は10%を切っていきます。

今の時代のテレビ番組の視聴率と比較してみます。
近年のウルトラシリーズの単純な視聴率は、おそらく1~4%程度だと思います。

今は、録画率も重要な指標ですし、家族構成やテレビの保有状況が、昭和の時代とは大きく異なります。
テレビを、一人一台で保有する家庭も少なくありません。
家族の人数よりも、テレビの台数のほうが多いこともめずらしくありませんね。
ネットには動画チャンネルもたくさんありますし、今は膨大な数のテレビチャンネルがあります。

ちなみに、初代ウルトラマンが放送された、1966年のNHK紅白歌合戦の視聴率が74%、2022年の同番組視聴率が35%です。
1966年の、野球の巨人戦の平均視聴率が21%、2022年が5~8%くらいです。

* * *

実は、わが家は70年代の一時期に、視聴率調査対象家庭でしたが、機械式ではなく、ペーパー式の、今の新聞のテレビ欄のような内容の調査表で、視聴した番組を色で塗りつぶすかたちでした。

当時の家庭の娯楽は、テレビゲームも、インターネットもなく、たいていはテレビかラジオ、あとは読書…、子供は宿題しろ…、早く寝ろ。
ほぼ夕方からの時間帯は、ずっとテレビがつきっぱなしの状態です。
家族の人数も多く、ひとつのテレビを奪い合い!
「チャンネルのツマミが壊れちゃった!」という家庭も多かったですね。
昭和の時代は、今の時代と比較すると、チャンネル数はわずかです。
ですから、その調査表は、塗りつぶした色だらけ…。

視聴率が20%台、30%以上の番組が軒並みありました。
ですから広告効果も絶大!
今のような数%の視聴率では、ほぼ広告効果なしと判断され、街の広告塔のほうがマシと言われた時代です。

今の時代は、テレビを保有しない若者も多く、録画するという発想もありません。
小さな子供たちは、テレビ画面をタップ(クリック)しようとしたりしますね。
好きなものだけを、好きな時間に、ネットで見る…、特に見逃しても…、それ以外はゲーム画面を見る…、あまりにもテレビを取り巻く状況が変わりました。
昭和世代の「テレビ好き」「ながらテレビ」「つけっ放し」の人数の多さは、まさに圧倒的で、テレビ放送というシステムは、昭和世代の消滅とともに消えていくのでしょうね。

そんな昭和時代に、初代ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマンの認知度が、いかに高かったかが わかりますね。

* * *

ウルトラシリーズだけでなく、仮面ライダーシリーズでも、それ以外の人気ドラマシリーズでも、大ヒットした初期作品の視聴率や人気を維持していくのは、至難の業ですね。
実際に制作する人間も交替していきますし、後継者たちの重圧は並大抵のものではなかったでしょう。

1972年(昭和47)の「ウルトラマンA」からは、円谷プロも相当にたいへんだったようです。
それでも視聴率10%以上ですから、現代の感覚からすれば、相当に高い数値です。

徐々に低下する視聴率の理由としては、他のライバル番組の台頭も大きな要因だったと思います。
「ウルトラマン」の大成功により、ビジネス上のライバルとなる正義のヒーローが他社から次々に登場してきます。
まさに、各社制作者たちのアイデア合戦になっていきましたね。

特に、1971年4月からスタートした「仮面ライダー」は、当初、怪奇色が強かったためか、最初は認知度が低い状況でしたが、痛快アクションに路線変更し、急激に人気が拡大していきます。
「仮面ライダー」の視聴率は20%台となり、1973年(昭和48)の「仮面ライダーV3」の頃が最高視聴率となったようです。
視聴率という点では、ウルトラマンと肩を並べました。
当然、両方を視ていた子供たちも多かったはずです。

ウルトラマンも、仮面ライダーも、男子小学生だけの視聴率を計測できていたら、ものすごい数値だったことでしょう。
ウルトラマンも仮面ライダーも、おそらく80%は超えていたでしょう。
当時の視聴率調査対象家庭では、家庭内に小学生がいるのが条件でしたが、男子か女子かで相当に違ったはずですね。

* * *

「ウルトラマン」が、古くからある、変身する巨大ヒーローであるのに対し、仮面ライダーは、人間のサイズで、当時の世間では ほぼ見ることのなかったバイク用のライダースーツを着て、奇妙な昆虫イメージのフルフェイスのヘルメットをかぶったような顔、ド派手なカッコいい大型ベルト、見たことのないデザインの大型バイクでぶっ飛ばし、カンフーのような激しい戦闘スタイルで、イーッとしか言わない大勢の敵を片っ端からなぎ倒す…、こんな斬新な内容に、子供たちが飛びつかないはずがありませんね。
足での「キック」といえば、「ライダーキック」でしたね!

「〇〇仮面」という名のヒーローは古くから結構いましたが、「仮面ライダー」というイカしたネーミングには、さすがに まいりましたね。
そして、あの「ライダー変身!」という叫び声とポーズがなかったら、世の中全体で「変身ブーム」が起きていたのかどうか…。
「変身ブーム」は、ウルトラマンだけでは作れなかった気がします。

* * *

ウルトラマンの登場以来、変身型のスーパーヒーローが次々に登場してきましたが、特に、ウルトラマンと並んで、人気を二分したのが「仮面ライダー」でしたね。
1971年(昭和46)あたりから、ウルトラマンの最大の敵は、怪獣ではなく、実は「仮面ライダー」であったのは確かだと思います。

「仮面ライダー」が、人間のサイズで、通常のドラマのように撮影できるのに対して、ウルトラシリーズの「特撮」は、お金も手間も相当にかかってしまうのは、一目瞭然ですね。
当時の円谷プロの苦悩は、想像するに余りあります。

とはいえ、タイプの異なる この両巨頭が、世界中にファンを作り、シリーズ化して50年以上続いているとは驚くばかりです。
ものすごい「昭和の遺産」に感じます。


◇昭和のアベック… ウルトラマン A(エース)

ここからは、「帰ってきたウルトラマン」終了後に作られた、「ウルトラマンA(エース)」以降の昭和の主題歌を…。

1960年代後半から1970年代前半にかけて世界中で起きていた「ウーマンリブ(女性解放運動)」ですが、日本でも、女性の権利や待遇が見直され始めました。
そんな時代背景を反映させたのかもしれませんが、男性と女性が一緒に変身したのが「ウルトラマンA(エース)」(1972年4月 ~ 1973年3月)でした。
途中回で男性ひとりの変身スタイルに変更されましたが、男女の変身スタイルは画期的な変身スタイルでしたね。

変身したのは、「昭和のアベック(カップル)」…TAC(タック)の隊員である「北斗 星司(演:高峰圭二さん)」と「南 夕子(演:星光子さん)」。

マスクのあの穴…なんか便利そう…。
♪ウルトラマンA

 

「帰ってきたウルトラマン」の「ワンダバ」は、ここでも健在!
タックの隊長で、時代劇ドラマ「大江戸捜査網」の同心(どうしん)の「井坂十蔵(演:瑳川哲朗)」も不滅!
昔、私の会社の部下が、このメロディを歌いながら、営業に飛び出して行きました。
江戸の同心たち、いけ~!
♪タックのうた

 


◇さわやか… ウルトラマン タロウ

小泉元首相が、幼少期の息子さんとよく見ていたという「ウルトラマンタロウ」(1973年4月 ~ 1974年4月)です。
なんといっても、主役が息子と同じ名前!
小泉元首相は、後に、「ウルトラマンキング」の声もされましたね。

遺伝子的には、どう見ても、ウルトラセブンの角あり…。
ZAT(ザット)隊員のさわやか青年「東 光太郎(ひがし こうたろう・演:篠田三郎さん)」は変身時に、自身の名を絶叫「タロウ」!
日本中の「タロウちゃん」が狂喜乱舞!

日本のほぼすべてのヒーローが変身時に、ポーズと絶叫することが、これで完全に定着…!
ママも絶叫…、私はテクマクマヤコン!

オープニング映像の基地と戦闘機のおもちゃが爆売れ!
街のど真ん中に、巨大基地かよ!
♪ウルトラマンタロウ

 

このあたりから、ウルトラヒーローたちが兄弟で、ドラマ内にも、ヒーローの父や母などの家族が登場し、「ファミリー色」が強く打ち出されてきましたね。

昭和のウルトラヒーローの中で、「ウルトラマンタロウ」が「さわやかさ」で突出しているのは、俳優の篠田三郎さんのイメージそのものからかもしれません。
声まで、さわやか!

さわやか タロウ!


◇オレは… ウルトラマン レオ

どうもレオは、これまでのウルトラ兄弟たちの親戚のようです。
別の星「しし座」からやって来たようですね。

当時の流行の「スポ根(スポーツ根性)」精神を盛り込み、「カンフー技」を使い始めたウルトラマン!
スポーツセンター指導員の「おゝとりゲン(演:真夏 竜さん)」は、かつて「ウルトラセブン」であったモロボシ・ダン隊長(演:森次晃嗣さん)のMAC(マック)に入隊。
ウルトラセブンに、心技体を仕込まれました!
「ウルトラマンレオ」は、ウルトラシリーズの「スポ根」バージョン!

当時 当たり前の「昭和のしごき!」「昭和の猛特訓!」
「スポ根ドラマ」の定番!
今の時代ではダメなやつ…。

 

一流スポーツ選手は、みな乗り越えてきましたね。

 

主演俳優の真夏竜さんは、2004年に末期がんと診断されましたが、見事に克服して大復活!
「昭和のしごき」がきいたのか…?
後のウルトラシリーズ作品に多く出演されています。
今は、民話の「語部(かたりべ)」として活躍されていますね。
さすが… 俺は、ウルトラマンレオ!

* * *

昔、テレビ番組「極上空間」に出演された、森次晃嗣さん(ウルトラセブン)、篠田三郎さん(ウルトラマンタロウ)、真夏竜さん(ウルトラマンレオ)の三人の映像です。
昭和世代のウルトラファンには、涙が出そうな内容ですね。
ウルトラヒーロー役が、どれほどの勲章か… わかる気がします。

 

* * *

「ウルトラマン レオ」制作時の70年代は、「オイルショック」の影響により、製作費にたいへん苦労したようで、「特撮」部分よりも、人間ドラマのほうを深く描写しています。
1967~68年に放送した「ウルトラセブン」では、男性隊員のダン(演:森次晃嗣さん)と女性隊員のアンヌ(演:ひし美ゆり子さん)が最後に別れましたが、「レオ」の中で、なんと再会!
しみじみ「2時間ドラマ」みたい!

再会シーン

 

 

レオと怪獣の話しはいいから、このあと二人はどうなったんだ…。
「ウルトラセブン」での、ダンとアンヌの別れ話は、次回以降に書きます。

さて、「オイルショック」下の「ウルトラマンレオ」では、レオの地球上での活動可能時間も、3分間から、2分半ほどに短縮…、まさか、そこまで切り詰め!
変身後も、2パターンの身体サイズ… 巨大化した時と、人間サイズで、エネルギー消費量が違うんですと… カラータイマーの時間短縮も ちょっと納得!

西武球場にも来たの…!?
長髪の髪型がまるでライオンの「ウルトラマンレオ」(1974年4月 ~ 1975年3月)。
朝の寝起きのパパの髪型…。

主演の真夏 竜さん自身が歌います。
♪ウルトラマンレオ

 


◇宇宙戦艦… ザ☆ウルトラマン

アニメ作品の「ザ・ウルトラマン」(1979年4月 ~ 1980年3月)。

歌手に、大ヒット中のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の、ささきいさお さんを呼んできた!
♪ザ☆ウルトラマン

 


◇傘寿ですか… ウルトラマン80(エイティー)

「ウルトラマン80」 (1980年4月 ~ 1981年3月)に変身する人物は、なんと中学校の教師!
赴任してきた教師は、ウルトラマンの「矢的 猛(演:長谷川初範さん)」。

個人的には、「ウルトラマン」と「金八先生」(1979年~)は、別々のヒーローかな…?
でも、当時の小学校の先生たちの一部は、うれしかったかも…。
生徒たちに向かって、きっと叫んでた…「エイティ~」!
…先生、傘寿(さんじゅ)ですか?

当時、「エイティ~ン(18)」と叫んでいた、便乗 高校生もいました。
そして、学校の子供たちの親御さんの中には、幾人かの怪獣級も…。

* * *

ちなみに、私の時代の小中学校の男性の先生のイメージ(記憶)は、金八先生のような 妙に地味なジャケット姿か、ジャージ姿!
サラリーマンが着るようなスーツ姿はまずいません。
学校の先生なのに、英語の綴りがめちゃくちゃな文字がプリントされた、500円くらいのトレーナー!
どこで売っているのという柄の、袖の短めのセーター!
腰には、タオルなどという立派なものではない「手ぬぐい」をぶら下げていました。
手洗いの後はもちろん、汗をふき、黒板をふき、テーブルの上までふきます。
その同じ手ぬぐいで、子供たちの顔の汚れまで ふく!
きたねェ~!

武田鉄矢さんのバージョンも見てみたかった…。
変身シーン…金八十(80)先生、ウソでしょ!
熱血教師「ウル八 先生」…きた~!

 

たしかに、教師が変身したのなら納得の歌!
♪ウルトラマン80

 

意外と、1980年(昭和55)当時よりも、今の時代に放送したほうが結構うけるのかも…。
ちょっと早過ぎた…?

今年、傘寿(さんじゅ)をむかえる方々… さあ いきますよ!
エイティ~!

昭和のウルトラマン世代は、今 たぶん、フォーティ~、フィフティ~、シックスティ~、セブンティ~ あたりかな。
めざせ、エイティ~!


◇さあ いくぞ! 兄弟!

最後は、「M78星雲」から来た「昭和のウルトラ兄弟6人」が勢ぞろい(ゾフィ、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャック、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウ)で…。
楽曲は「ウルトラ6兄弟の歌」。


下記映像の、2分20秒から5分20秒あたりまでが、その楽曲「ウルトラ6兄弟の歌」です。

 

* * *

ウルトラマンの故郷「M78星雲」は、実は「M87」の誤設定とも、別設定ともいわれていますね。
先頃、M87の「ブラックホール」も観測されました。
この星雲や銀河のお話しは、次回以降に…。

がんばれ、昭和のウルトラマンたち!
さあ いくぞ!
昭和生まれのお父さん… ウルトラの兄弟たち!

* * *

2023.4.15 天乃みそ汁

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